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Case.2

滋賀県甲良町のGNHを感じる町づくり

滋賀県甲良町のGNHを感じる町づくり

書籍『GNH(国民総幸福)-- みんなでつくる幸せ社会へ』 著者:枝廣淳子+草郷孝好+平山修一

※JFS ニュースレター No.117 (2012年5月号)より転載※
http://www.japanfs.org/ja/join/newsletter/pages/032000.html

2012年4月、ニューヨーク国連本部で、国連とブータン政府共催での「幸福に関するハイレベル会合」が開催されました。ブータン政府が提唱してきたGNH(国民総幸福 Gross National Happiness) の考え方が、世界中でますます注目を集めています。

今回のJFSニュースレターでは、開発コンサルタントの平山修一先生にご快諾をいただき、『GNH(国民総幸福)-- みんなでつくる幸せ社会へ』(2011年 海象社刊)に紹介された、滋賀県甲良町の事例についての要約版をお届けします。


開発から取り残された町

滋賀県甲良町は、彦根市の東南、鈴鹿山脈から琵琶湖に注ぐ犬上川左岸に位置する、古き良き農村集落の景観が今も色濃く残っている人口8,000人弱の町です。"日本のブータン"のような景観保全・地域まもりをしてきた同町とその取り組みを、ここに紹介しましょう。

甲良町には大型幹線道路も通らず、高速道路のインターチェンジもありません。名古屋、京都などの大都市への通勤には遠く、琵琶湖湖畔からも遠く離れ、目立った工業団地もありません。一般的には"何も無い"、開発から取り残された場所です。そんな甲良町は、産業や交通の発達による地域の発展を目指しませんでした。

甲良町では、1981年ごろから圃場整備が進められ、昔ながらのなだらかな棚田は、機械が入りやすいように平らに、また畦に植えてあった柿木や雑木林の多くは撤去されました。「田んぼが立派になり、景観はさっぱりしたが、集落内の水路に水が流れなくなった。本当にそれでよいのだろうか」「この大きな圃場整備事業を進めれば、地域の暮らしにどんな影響が出るのだろうか」当時の住民は、効率的になった水田を見て喜ぶどころか、逆に危機感を感じたといいます。このときの危機感こそが、その後の開発の中身を見直すきっかけとなったのです。

1988年~1989年、竹下内閣が地域振興に使える資金1億円を全国の各市区町村に対し、交付した「ふるさと創生事業」においても、「経済効率だけを追わず、豊かさ、住民の望む夢を実現するためにお金を出していこう」と住民の意識が変わり、国から交付されたお金を、地域を育てるために活用したのでした。

「開発から取り残された町」だった甲良の住民たちは、自分たちの選択の結果として、日本の原風景ともいうべき美しい町をつくりあげています。甲良町では、開発行為は地域おこしではなく、「地域まもり」と呼ばれています。これは「開発をすることによって、その地域の人が幸福にならなければ、その開発をする意味がない」と考えた町の偉人、故・野瀬藤一翁が発した言葉です。

同町の取り組みはまさにブータン同様、一周遅れのトップランナーのように、現在は先駆的な取り組みとして、各方面より高く評価されています。


「土徳」という言葉

古来より、蛍は日本人には季節を知らせる虫として身近な存在でした。甲良町の住民は、「つい最近までは、水路に多くの生き物が生息していたが、急激に森や林が消え、なじみの植物も動物も姿を消してしまった」と危機感を持つようになりました。しかし、「皆さん方は、蛍がどこで生まれて、何を食べてどのように育っていくのかを知っていますか?」と外部から来た研究者に聞かれた住民は沈黙してしまいました。

蛍は草に産卵し、冬の間は幼虫が川底の泥の中で越冬します。しかし、甲良町では草は全部刈り、水路の泥さらいは水路の維持管理の一環として田んぼの刈り取りが終わった秋ごろに行っていたのです。「これでは、蛍が生き残れない」と、集落づくりのリーダーが蛍のことを気にかけて水路の掃除を行うようになりました。

このような行いは、経済的効率性から言えば、無駄な行為かもしれません。しかし、自分の生活の質を高め、地域の風土を守ることにつながるのです。風土をつくるのは、人間の営みばかりではありません。自然環境やその生態系が、地域性をつくる大きな要素となることもあります。

甲良町では、よく「土徳」という言葉を耳にします。これは「人間の徳ばかりではなく、集落を培ってきた地域自然にも徳がある」という考え方です。

甲良町の住民は、蛍を通じて物事の本質を見る学習を積みました。そして町の景観が改善されたのと同時に、町民の精神的な生活の質も確実に高まったと思います。たとえ小さな蛍であっても、身近な生き物についての知識や経験は、今まで気づかなかった生活の質を高めるための大きな財産になったのです。


寄り道ができる通学路

地域への愛着の強弱は、子どもの頃にその地域で遊びや生活を通してどういう経験をしたか、ということと何らかの因果関係があるのではないでしょうか。甲良町では、人を育む三つの「間」があると考えられています。それは、(1)昔はあった時間、(2)昔はあった仲間、(3)昔はあった遊びの空間の三つです。

「昔、子どもは、田んぼや川、寺、神社といった"公の空間"で遊んでいました。しかし、今の子どもたちは、公園や家の庭、道といった所で遊んでいます」と甲良町の住民は言います。遊ぶ場所によって、自然との関わり方は当然変わってきます。整備された場所とそうでない場所では、その自然とのかかわり方には自ずと違いが出てくるでしょう。

甲良町では、集落の道はこれまで整備の対象から除外されてきましたが、これを子どもたちの視点で再度見直し整備をしたのが、集落内水路の水辺の環境整備事業です。集落の共同の空間として花壇やベンチ等を設け、近隣のポケットパーク(道路わきや街区内の空き地など、わずかの土地を利用した小さな公園または休憩所)にしたのです。そして道路境界を買収せず、私有地のまま官民境界の植栽を後退・移植し、舗石、芝生、草花で見通しを確保しています。

このように甲良町では、地域で「公の空間」を自然と触れ合えるように整備し、地域で子どもを見守り育てる方針を立てて通学路の整備をしています。甲良町の子どもたちは、毎日、殺伐とした道を歩くのではなく、人の手によって美しく保たれた通学路を通って学校に通っています。治安上の問題、もしくは学校や親の都合で決められた通学ルートから外れた寄り道は許されない、都会の子どもたちと大違いです。

学校帰りなのか、ランドセルを道の傍らにおいて、水路で遊んでいる子どもがいました。「サワガ二がいるんだよ!」知らない人にでも挨拶をしてくる甲良町の子どもたち。きっと将来、よい人間に育つような期待が持てる、そんな通学路です。


誰もが主役になれる村(集落)

ひとり世帯が急増している現代において、都会に住んでいると、例えば一歩も家の外に出なければ、誰にも会わず、会話も無く一日が終わってしまうことなど日常的に起こりえます。一方、村では地域活動によって自治体が成り立っているため、好むと好まざるとにかかわらず地域活動への参加から逃げることができないという現状があります。

一長一短ではありますが、そんな村の拘束も、肯定的に捉えれば、少なくとも個人が地域から必要とされていると解釈できます。住んでいる人の活躍の場がいくつもある社会、住民個人が尊重される社会が、幸福感を感じる上で今後ますます重要になってくると言えるのではないでしょうか。

日本の地方自治体の職員は、議員や首長と違って民意で選ばれるわけではないため、これを職業の一つとして働いているにすぎません。その業務スタンスでは町民のニーズを業務としては把握しても、当事者でないかぎり、自ずと活動に限界があります。しかし甲良町では、行政の職員が「うちの町は住民参加ではなく、行政参加です」と断言するくらい、さまざまな場面で住民の間に入って、話し合いをし、住民のニーズを常に把握する努力をしています。各地区の村づくりでも町の行政職員が中心的な役割を発揮しています。町内13の地区のうち、現在12の地区に町役場で勤務する職員が居住し、各地区にて組織された村づくり委員会の委員として活動しています。

こうした素地もあって、甲良町の村づくり委員会は住民主体で運営されています。村づくりの活動は、あらゆる能力が必要とされます。公園整備一つにしても、いくら頭が良い人がいても、石積みや重機の運転に慣れている人がいないと進みません。また、こうした活動を住民にうまく説明できる人、黙々と単純作業をする人も必要です。そう、ここでは誰でも何らかの役割を果たすことができ、誰もがその活動に必要不可欠な人材なのです。

住民が地域に何らかの形で必要とされ、そして住民が地域のために何かをしたいと考えるときに、きっかけがあれば地域の絆は強くなるでしょう。甲良町の人々は、このような行いを村で日々つづけられることを幸せと考えています。そしてその日々の営みを幸せだと感じられる心の持ちよう、感性、価値観は、祖先が守り育てた自然環境、文化、伝統、人を大切にする精神に支えられているのです。

「住民が笑顔で暮らせるまちづくりをしたいのです」こうした行政の姿勢こそが、GNHを感じる町づくりの方向性を指し示していると言えるでしょう。

(要約:長谷川浩代)

 

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