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2011.10.25

幸福の指標化についての一論考

ジャパン・フォー・サステナビリティ(JFS)ニュースレター No.109 (2011年9月号)より
http://www.japanfs.org/ja/join/newsletter/pages/031324.html

これまでのようにGDP(国内総生産)の大きさで社会の進捗を測ろうとするのではなく、社会や経済の最終目的である幸せそのものを測ろうという考え方や取り組みが世界各地に広がっています。ブータンのGNH(国民総幸福)がよく知られていますが、2009年にはフランスで、「GDPに代表される現在の指標では経済社会の実態がうまく捉えられていないのではないか」という問題意識に対し、ノーベル経済学賞受賞者などを中心とした諮問委員会から「サルコジ報告」が出されました。

JFS関連記事:ブータンより ~ GNP(国民総生産)より、GNH(国民総幸福)を
http://www.japanfs.org/ja/join/newsletter/pages/029066.html

日本でも、内閣府が「幸福度に関する研究会」を立ち上げるなど、研究や取り組みが進みつつあります。(幸せ経済社会研究所のウェブサイトには、幸福度指標などに関する内外の展開の歴史や動向をまとめたコーナーもありますので、よかったら参考にしてください)

幸せ経済社会研究所ウェブサイト
http://www.ishes.org/

このように、政府が人々の幸福度を測る指標を作ろうと動き出していることは、経済的なパフォーマンス(GDP)だけではなく、人々にとって本当に大切なもの(幸せ)に注目することを通して、単なる経済成長ではなく、真の幸せを増すことを目的とした政治へのシフトの可能性を感じさせてくれます。

しかし一方で、このような「幸せ(幸せ指標)の政治化」に対して、批判的な見方もあります。どのような問題点があるのでしょうか? 日本における「幸せ(幸せ指標)の政治化」に対する社会学者の北條英勝氏の論考「幸福の指標化と政治--世論に基づく政治から幸福感覚の政治へ」(『<社会のセキュリティ>は何を守るのか』学文社、2011)の論点をかいつまんで紹介します。批判的な視点も取り上げながら、私たちの社会を本当の意味での幸せに向かって動かしていける幸福度指標や政治について考えていきたいと思います。

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日本国憲法第13条には「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と、幸福追求権が規定されています。個々人の求める幸せには多様性がありますから、国家は国民の幸福そのものを保障するのではなく、国民個々の幸福追求の権利を尊重するという考え方だといえるでしょう。

しかし現在の政治は、個々人の幸福の度合いを測定して指標化し、政策によって国民の幸福度を向上しようと考え始めています。いわば国家が国民一人ひとりの幸福追求に介入し、幸福を管理しようとしているのです。

2010年に成立した民主党の菅直人内閣は、「最少不幸社会の実現」を掲げ、それに対して自民党は「最大幸福社会の実現を目指す」と述べました。そのまえの鳩山内閣は、国民の幸福度を表す指標を開発し、その向上に向けて取り組むという姿勢を打ち出しました。現代社会においては、国民の幸福や不幸の度合いが、より直接的に政治的関心の対象となってきているのです。

このような動向の背景には、「経済成長だけでは人間は幸福になれないことがわかってきたから、社会発展の目標を経済成長から幸福の増進に変更すべきだ」という認識の転換があると言われています。しかし、幸福の指標化への動きの理由が本当にそれなのか、それとも本当は違う理由なのかを問う必要があります。

先進国ではすでに、かつてのような経済成長を実現できない状態であり、グローバル化などに伴って労働条件や所得水準などの格差も拡大しています。格差が拡大した低成長経済下の政治社会において、人々の関心や観点を経済から幸福へと転換することで、不満を沈黙させようとする政治的思惑に利用される危険性も増してきます。

日本では内閣府が、「社会経済環境が変化する中で、国民が日常生活でどのような意見をお持ちかを聞き、政策運営の基礎資料とするため」に平成7年度から国民生活選好度調査が行われていますが、平成21年度の調査は「幸福度を表す新たな指標の開発に向けた一歩として、国民が実感している幸福感・満足感の現状を把握すること」を目的に実施され、平均は「幸福度6.47点(10点満点)」と算出されています。

ここでは「あなたの幸福感を高めるために有効な手立ては何ですか?」といった質問に典型的に見られるように、人々の幸福感が政策によって増減可能な操作対象とみなされています。

幸福感に関する世論調査の諸前提を社会学的に検討してみると、そこにはさまざまな前提や仮定があることが明らかになります。「それは本当にそうなのか?」と検討することが必要でしょう。

(1) 幸福感の度合いを質問するということには、「誰でも幸福や不幸を日常的に感じており、質問されれば今どの程度幸福/不幸なのかを簡単に回答できる」との仮定があります。

(2) 幸/不幸といった概念は抽象的であり、何を意味するかは人によって異なっているにも関わらず、世論調査ではそこで質問されている幸/不幸の意味について人々の間で何らかの合意があると仮定されています。

(3) 幸/不幸の度合いを評定尺度化することによって、幸福と不幸を対称的なものとして見なし、その線形的な関係を想定しています。(幸福と不幸は単純な二項対立概念なのでしょうか?)

(4) 調査者が作成した評定尺度を用いて、回答者の誰もが幸/不幸を正確に評定できると仮定しています。

(5) 個々の幸福感がどれも等価であり、幸福感の平均値を計算可能だと仮定しています。幸福の度合いを回答者が自己評定する際の参照基準はさまざまです。自分の理想とする状態を想定する人もあれば、過去の経験や将来の期待や不安に基づいて評定する人も、周囲の他者と比較して評定する人もいるでしょう。それらの質的な差異は関係なく、誰にとっても等価なものとみなされます。

このような幸福感に関する世論調査が有する仮定や前提は、特定の幸福感と数量化の思想に基づいていることが明らかです。しかも、個々人の主観的幸福度の度合いを単純加算し、平均値を算出するということは、社会を個々人に分解することによって、社会を個々人の単純総和とみなしているということです。本当にそうなのでしょうか?

世論調査の調査対象の選定にも問題があります。内閣府の行う国民生活選好度調査では、「全国に居住する15歳以上、80歳未満の男女」を母集団に4,000人の標本を抽出しています。15歳未満や80歳以上の人々、非定住生活(住所不定)のホームレスや住民登録をしていない人々は最初から調査対象に含まれていません。

「そのような人々はごく少数だから影響は少ない」という反論もあるかもしれません。しかし、除外された人々は、最大幸福社会や最少不幸社会を目指す政策の中に最初から含まれていないことになるのではないでしょうか。

また世論調査では、転居・不在などで回収できなかった回答がどのようなカテゴリーに偏っているか、その人たちがどのような幸福感を有しているかは顧みられません。単身赴任や母子・父子家庭、夜間勤務の労働者、ワーキングプア、入院加療中の人々、高齢施設入所者といったカテゴリーの人々は、データが得にくくなります。

このように、世論調査のデータ収集網にかからない人々や世論調査で排除されるカテゴリーは社会的弱者と考えられますが、こうした人々を除いて幸福感を測定すれば、その平均値は実態よりも高くなるでしょう。調査から除外された弱者たちの幸福感や生活実態や見解はくみ取られることがなく、幸福感を高めるための政策に反映されることもありません。

こうして得られた調査結果は、幸/不幸の質的な多様性を隠蔽し、個々人の幸福感の度合いを単純に加算して、「平均的な幸福感があるのだ」という見方を醸成していくことになります。国民生活選好度調査の結果が発表された時、ほとんどの新聞報道は、平均値だけを過大に取り上げ、その離散性にはほとんど注目していませんでした。離散性が大きいほど、平均値の代表性自体は低くなります。「平均的な幸福感」という数値化は現代社会を生きる個々人の幸/不幸の質的な多様性を隠蔽する暴力的な機能を果たすと考えられます。

現在の政治は、人々の主観的な幸福感を調べ、それを政策によって操作しようとしています。これは、政治的問題に関する世間一般の意見や見解といった「世論」ではなく、「世間の人々の主観的感覚の総和」である「世感」に基づく政治といえるでしょう。民主主義政治とは、政治をめぐる議論、政治的問題に関する意見の交換に基づくものだったはずです。しかし現在では次第に、政治的意見や議論よりも、人々の主観的感覚が重視されてきているのではないでしょうか。

こうした動きの中で、幸福や不幸はもはや質的なものではなくなり、単に数値になっていくでしょう。これまで人々がGDPという数値の中に経済的豊かさを見いだしてきたとすれば、これからは幸福指標という指標の中に、人は幸/不幸を見いだそうとすることになるというわけです。

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以上、社会学者の北條英勝氏の日本で進行中の幸せ指標の測定と政治をめぐる批判的論考からいくつかの論点を紹介しました。私自身はいろいろと考えさせられました。みなさんにとっても思考の糧を提供してくれる論考ではないかと思います。

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