100人それぞれの「答え」

写真:小田 理一郎さん

065

ジャパン・フォー・サステナビリティ ゼネラル・マネージャー

小田 理一郎(おだ りいちろう)さん

経済成長はよくて時間稼ぎで、その代償としていつか向き合わなくてはいけない問題の難易度を高め続けるものです。

Q. 経済成長とはどういうことですか、何が成長することですか

一般的に使われている意味としては、「経済成長」とは経済のフロー、特にGDPなどのフローの規模が拡大していることです。また、特に政策として議論する場面では、国内での消費や投資、そして海外との貿易や他の収支のフローの規模を指しているかと思います。

ここで、必ずしも含まれないのは、賃金や財政収入などの家計や政府に入ってくるお金のフロー、富や資産やさまざまな資本などのストックの規模などです。また、お金の循環・回転や、配分の概念も一般的に使われている経済成長には含まれていません。経済成長をしてもこれらが大きくなるとは限りませんし、実際に、はっきりとした相関は見られなくなっています。

一方、近年の経済で相関関係が強いのは、企業の売上や利益、モノやエネルギーの使用量、株価や金融商品の資産額、そして国や自治体の借金などです。

Q. それは望ましいものですか、それはなぜですか

それは状況によります。日本もかつてそうでしたが、経済の規模が小さい時期にはGDPが成長することによって、さまざまなセクターへのフローやストックも増大していました。それによって、健康・衛生や寿命、教育なども大きく伸びるでしょう。このような経済成長は望ましく、世界にはまだ経済成長を望み、必要としている国が数多くあります。

しかし、日本などの先進国に見られる状況としては、経済の規模がある程度大きくなって、GDPが成長しても、その恩恵を受けるのはごく一部の人たちだけです。多くの人たちにとっては経済成長が自分の関わるフローやストックの成長にはつながらないし、また、賃金などが増えている人たちにとっても、それが経済の本来の目的である生活の質や幸福度の向上にはつながっていません。

もし、私たちが一般的にいう経済成長、つまり、GDPの成長が私たちの生活の質や幸福度につながるならば、「望ましい」と言えますが、いろいろなデータが先進国においてそうではないことを示しています。

また、グローバル全体で経済規模が伸びることは、資源や汚染の観点で望ましいこととはいえません。今の経済構造では、GDPの成長が資源の使用や汚染の拡大を伴い、経済を健全に運営する基盤を損なってしまうからです。

例えば、化石燃料、原子力燃料、リサイクルの難しい鉱物資源など枯渇性資源は成長によってそうでないときよりも早く使い切ることになります。在来型の原油や一部の鉱物資源はすでに生産量が減退し始めているし、ほかの多くの資源も向こう5~20年のうちに生産量の減退が始まります。そうなると、私たちが使えるのは自然エネルギーや水、森林、土壌、魚などの自然資源、そしてリサイクルできる原材料の供給可能な範囲にとどまってきます。ところが、グローバルな経済活動は、再生・リサイクル可能な供給量を超えているし、先進国の経済活動では自国で供給できる範囲の3~5倍くらいまで拡大しています。

この資源生産量や再生供給可能量の適性レベルを超えた成長は、やがて坂から転がり落ちるとわかっている赤ん坊の押し車を、もっと高い所まで押し上げてしまうのに似た状況です。ひとたび、下り坂を加速し始めると、大人がどんなに必死に走ってもその加速的な落下の速度にはついていけず、悲劇的なクラッシュが起こってしまうことでしょう。

Q. それは必要なものですか、それはなぜですか。必要な場合、いつまで、どこまで、必要でしょうか

収入をしっかり確保できた層にとっては、収入が増えたからといって、需要を増やさなければいけない必然性はありません。1日3食の人が、収入を増えた分、4食、5食に増やしていったらやがて病気になってしまうでしょう。もちろん、1食あたりの質を高めることもできますが、量を増やすのは不経済だし、害のほうが多いです。服だって家だって、自動車や家電だって、今先進国の中間所得層・富裕者層には十分行き渡っています。収入があるから、あるいは景気を増やすためにといってもっと買おうなんて言っても、無駄遣いは経済的ではありません。需要を下げて、そうした行き渡ったモノの供給能力は調整しないとムダだらけになってしまうばかりではなく、まだ満たされていないニーズの充足に必要な新規事業や新興産業の足かせになってしまうでしょう。

しかし、先進国での経済構造における国民の心理は、けして望ましくはない適正規模を超えた経済成長であっても必要だと感じてしまっているのではないかと思います。

収入の少ない層にとっては、経済が成長しないと職につけないのではないか、賃金や年金が実質下がるのではないかと不安に感じて、経済成長を必要と感じることもあるでしょう。人によって経済成長の影響は違いますが、全体として見れば、経済成長は格差を助長することはあれ、収入の少ない層の生活の質や幸福度を高めているという説得力のあるデータは見あたりません。

多くの人が経済成長を必要と感じるもう一つの理由は、借金にあえぐ財政状況や医療費、年金などの社会保障のシステムです。これらの制度設計や財政計画は、何の根拠もなしに、経済成長がずっと続くだろうという前提で支出計画を組み立てていました。ところが、経済成長が思うように実現しなくなって今までのように支出を続けようとすると、収支があわず赤字に陥ったり、借金をもっと積み重ねなくてはならなくなります。また、将来に向けて積み立てたお金を債券市場や株式市場などに組み込んでしまっているときにはなおさら、資産価値が下がると困るので、経済成長は必要と感じるのです。

経済成長がGDPの成長やそれを支えるモノやエネルギーの売上を増やすことを意味するならば、それを目指し続けることは望ましくないだけでなく、不必要だと考えます。なぜならば、私たちが本当に向き合わなくてはならない課題に対して振り向けるべき私たちの意識やリソースを、けして解決策にはならない手段へと奪い去ってしまうからです。

私たちにとって必要なことは、モノやエネルギーや金融市場ばかりを流れるカネのフローを増やさずとも付加価値を高める新しい資本主義経済モデルの構築、現実的な収入の見通しに基づいた政府や社会保障の支出計画、生み出された価値がごく一部の人に集積せずにより多くの人に届きやすくなるような経済や事業のモデル構築ではないでしょうか。これらの取り組みは簡単ではないですが、成果が出ればよりよい社会に近づけるでしょう。今の日本においては、経済成長は上記と同じくらい難しいことで、うまくいったとしてもよりよい社会になる見込みはあまりありません。経済成長はよくて時間稼ぎで、その代償としていつか向き合わなくてはいけない問題の難易度を高め続けるものです。

なお、経済基盤が不十分なために、命や健康、教育などが大きく損なわれている途上国においては経済成長が必要だと考えています。できるならば、モノやエネルギーなどの資源のフローに依存しないで国民生活の質を高める、いわゆる「リープフロッグ」政策を併せて進めることも必要です。

Q. 経済成長を続けることは可能ですか、それはなぜですか

今の構造のままでは経済成長を続けることは不可能です。

その最大の理由は、地球や地域には資源の供給できる限界や、汚染を吸収できる限界があるからです。有限な資源に頼っている構造では、無限の経済成長はできません。

また、最近世界で非常に強くなっている動きですが、経済成長の恩恵が一様でなく、今まで経済成長を正当化してきた「トリックル・ダウン」政策はほとんど機能していないことと、とりわけ1%未満の富裕層に集中することが問題視されています。政治的に大幅に再分配するか、あるいは、経済そのものの分配を大きく見直すかしない限り、格差問題や若者の失業問題などが大きく立ちはだかる可能性も見逃せません。

Q. 経済成長を続けることに伴う犠牲はありますか、それは何ですか、なぜ生じるのですか

経済成長は、適正規模の範囲内において、犠牲よりも恩恵のほうが大きいことはあるでしょう。いわば、便益がコストを上回る状況です。この場合、特に恩恵を受ける者と犠牲を受ける者が異なる場合に、どのように調整を図るかの議論になるでしょう。

しかし、適正範囲を超えると、むしろ犠牲のほうが目立ちます。コストが便益を上回ってしまう「不経済な」成長です。すでに、資源の枯渇加速、崩壊の衝撃増大、汚染による私たちの命や健康、そして生態系の健全性損失、格差拡大などについて述べました。ほかにも、借金の増大や、労働者の人権や福利への悪影響、都市部への人口流入と過疎地域の拡大、コミュニティの崩壊なども、経済成長及び無理な経済成長を目指すことが助長してきたといえるでしょう。

なぜ生じるか、ということについていろいろなメカニズムがあるかと思います。資源や汚染の問題のように、経済活動とのカップリングが強いために駆動されて生じる犠牲もあるでしょう。

あるいは、宝くじのように、ごく一部の人しか当たらないとわかっていながら、いつか自分も当たるだろうと幻想を追い求めたり、やがて反転せざるをえないとしても自分たちが現役の間、生きている間は何とかなるだろう、さまざまな成長の問題は、将来のイノベーションや技術が何とかしてくれるだろうといった心理的要因もあるでしょう。

経済成長が解決すると言えば、政治的に難しい再分配や構造改革の議論を押し進めなくてもよいといった政治家の都合や民主主義の仕組みも生じる理由です。経済成長はいわば麻薬のような作用をもっているのです。(実際に問題は解決するわけではないので、また麻薬に手を出す中毒症状になりがちです)

また、犠牲が見えにくいのも大きな理由です。サイレント・マジョリティや貧しく苦労している人たち、そして将来を担う若者や子どもたちの声はなかなか聞こえづらいものです。まして、劣化する生態系やまだ生まれていない未来世代の声を聞いて、意思決定に反映するのは簡単ではないでしょう。

こうした聞こえにくい声を取り上げる健全なマスメディアや真に多数の声を反映する民主主義の仕組み、経済成長の外部コストや機会損失を見える化して市場に内部化する市場メカニズムなどが欠如しているといえるかもしれません。

Q. 日本がこれまで経済成長を続ける中で失ったものがあるとしたら何でしょうか

私たち日本人が経済成長で失った最大のものは、日本人としての精神ではないかと思います。

日本人は近代まで「中庸」や「足るを知る」や「隣人を助ける」と言った道徳観が、十分多くの国民に共有されていたと思うのですが、今日いざ経済に関する政策や議論を聞くと、「西洋思想」とか「アングロサクソン」と揶揄してきたやり方のまねのようなことをもてはやしている上、議論の質は欧州や米国の知識人にはおよばないことが多いです。経済界の中でも、日本人の価値観をふまえたような論説が出る一方で、政府や財界からは突き放されているように見受けます。

今日、CSRレポートを見ると、日本の企業は「社会の公器」「三方良し」「自然との共生」などの理念が日本人や自社には根付いていると書いていますが、ひいきめに見ても、現実にそうした理念を実践できているのは一部の中小企業や社会的企業に限られます。

国や人づくりを丹念に行い、不名誉は「末代の恥」と言うくらい、未来世代を常に見通してきた時間軸は、今や次の選挙、次のアニュアル・レポートまでか、せいぜい自分の在任期間までに釘付けとなり、将来世代にコストや借金を先送りしても羞恥心を感じているようには見受けません。次世代の人の育成がおろそかになっていても、未来の世代が何とかしてくれると平気で思えっているのではないかと危惧します

日本人が持っていた潔さや美しさ、羞恥心や責任感が、私たちの世代が継承できているか、次世代に継承していけるかどうか、今とても危機的な状況にあると思っています。

Q. 「経済成長」と「持続可能で幸せな社会」の関係はどうなっていると考えますか

1970年頃までの経済成長は、戦後の苦しい状況を脱し、多くの国民に物質的な豊かさとある程度の幸福をもたらし、そしてその規模もおおむね地球の扶養力の範囲にあったといえるでしょう。(日本でも公害問題などの犠牲はそれまで多く見られましたが)

しかし、それ以降日本や先進国の経済は適正規模を超えて成長を続ける一方で、幸福度を有意に高めることはできず、むしろ精神的に貧しい人の数を増やし、地域社会を徐々に空洞化・荒廃化の方向に向かわせて、環境の持続可能性も大きく損ねています。

私たちは、先祖の残してくれた遺産と、未来世代からの前借りで何とか、今の営みを続けていますが、将来の犠牲や軋轢はどんどん増えています。

私たちに必要なのは、関係性を再構築することだと思います。経済はこれからも必要です。しかし、今までの経済システムの継続ではなく、人口規模に合わせた適切な経済システムの構築、再構築をしなくてはなりません。人や地域社会や国際社会を幸福にする企業やビジネスはどんどん成長してもらうとよいでしょう。物質の真のコスト以上に価値あるモノやサービスには、その仕事の価値を認めて選び、対価を払えば、よい企業やビジネスが広がっていきます。その一方で、市民の幸せや社会や真の意味での価値創造に貢献しない企業やビジネスに対しては、購買も投資もやめて、たとえ大きな規模の企業であってもどんどん退場してもらうのがよいのではないでしょうか。

財政や社会保障も再構築が必要ですが、すでに始まっている政府機能の縮小に対して、新しい「公」や民間・市民の力が重要になっていきます。地域コミュニティの中で健全な経済循環モデルを構築しながら、景気や売上ばかりに頼らない活性化することも必要でしょう。

そして市民は、幸せを単に自分の金融資産や給料、所有しているモノの多さにのみ頼るのではなく、家族や職場や地域での関係性、信頼、協働、助け合い、創発、切磋琢磨、学習、精神性、人間的な成長といった、多様な手段を用いて自身や家族の幸せを築けるように変容できたらすばらしいなと思います。

そして、こうした変化はすでに起こり始めています。私たちが、皮肉やあきらめに押し流されることなく、周囲に起こっている善をもっと探し、称え、採り入れ、広めていけば、私たちに幸せをもたらす経済社会システムへのトランジションが実現できると信じています。


インタビューを終えて

「氷山の全体」を見る「システム思考」の研修や執筆などにも携わってきた小田さんは、システム思考家らしく、ストックとフローの関係、経済成長というひとつの"中毒"から抜け出せない状況などを解説しながら、「では、どうしたらよいか」への提言も話してくれました。
「私たちにとって必要なことは、モノやエネルギーや金融市場ばかりを流れるカネのフローを増やさずとも付加価値を高める新しい資本主義経済モデルの構築、現実的な収入の見通しに基づいた政府や社会保障の支出計画、生み出された価値がごく一部の人に集積せずにより多くの人に届きやすくなるような経済や事業のモデル構築ではないでしょうか」。
途上国においては経済成長が必要だとする一方、先進国にとっては「経済成長はよくて時間稼ぎで、その代償としていつか向き合わなくてはいけない問題の難易度を高め続けるもの」としています。
なぜ多くの人が「このままではいけないのではないか」と思いつつ、必要な転換ができないのか?については、「国や人づくりを丹念に行い、不名誉は「末代の恥」と言うくらい、未来世代を常に見通してきた時間軸は、今や次の選挙、次のアニュアル・レポートまでか、せいぜい自分の在任期間までに釘付けとなり、将来世代にコストや借金を先送りしても羞恥心を感じているようには見受けません。次世代の人の育成がおろそかになっていても、未来の世代が何とかしてくれると平気で思えっているのではないかと危惧します」と、時間軸が短くなってしまっていることを指摘しています。本当にそうだと思います。
そして、それもまた、「悪意を持ってそうしている誰か」を責めたり、気合いや根性で解決しようとするのではなく、時間軸が短くなっていかざるをえない現在の構造(私たちひとり一人もそのシステムの一部です)をどう変えていくか、をみなで考えていかなくてはならない(からこそ難しい)のだと思います。

取材日:2015年2月16日


あなたはどのように考えますか?

さて、あなたはどのように考えますか? よろしければ「7つの問い」へのあなたご自身のお考えをお聞かせ下さい。今後の展開に活用させていただきます。問い合わせフォームもしくは、メールでお送りください。

お問い合わせフォーム(幸せ経済社会研究所)

i_mail.png