100人それぞれの「答え」

写真:遠藤 秀一さん

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NPO TuvaluOverview代表理事、ツバル国環境親善大使

遠藤 秀一(えんどう しゅういち)さん

ツバルの自給自足の生活から見ると、数字に置き換える事、それこそが大きな間違いの切っ掛けになっていると思えるのです

Q. 経済成長とはどういうことですか、何が成長することですか

私は、1998年より南の島国「ツバル」に軸を据えて活動してきました。長年の活動の中で、特に印象的で今でも感動させられるのは、国際空港がある首都の島から連絡船で数十時間かけて訪れることができる、離島といわれる絶海の小島での、彼らの自給自足の暮らしです。珊瑚や貝殻などの生物由来の砂や礫で構成される海抜2m程度の島。決して豊かとは言えない自然環境の中で、数百年から数千年の時を生き延びてきた彼らの知恵や技には見習うべきことが沢山あります。

仮に経済をストックとフローの総量と仮定してみます。ツバルの離島の自給自足の暮らしでは「ストック=島の土地」そして「フロー=人間の活動」とすることができるでしょう。その2つの規模が増えることが経済成長だとすると、土地に関して言えば増えることはまずありません。半日もあれば1周できる限りある島の海岸線は海面上昇による影響で後退していくばかりです。同様にフローも増えそうにありません。18人を産み育てたというおばあちゃんに会ったことがありますが、無限に生み続けることは不可能です。医療がない島では平均寿命も長くはありません。また、化石燃料を使った自動車や重機もありませんから、人間活動が今後増大することはないでしょう。

なにもかもすぐに限界に到達する島の暮らしですが、もちろん成長するものもあります。子供の成長は島の人たちの大きな楽しみの一つです。それに、木々や作物は日々成長し食べ物を提供してくれます、海産物も然りです。その成長を疑うなどという必要はありません。それを皆で分けあい、等しく愉しむことができます。その結果、島はいつも笑いに溢れ、幸せに満ちています。ちなみにツバルの離島の幸福度は95%ほどあります。

と、ここまで、それらしく書いてきましたが、やはり数字による指標などが出てこないと分かりにくいでしょうか? しかし、ツバルの自給自足の生活から見ると、数字に置き換える事、それこそが大きな間違いの切っ掛けになっていると思えるのです。

ツバル語が属するポリネシア言語圏では、数字はたいてい10まで数えることができます。それ以上は「沢山」という表現になります。指は10本しか無いので、それ以上の数字には身体にとって意味が無いのです。しかし、脳の世界では、数字という文字の羅列は、無限に増やすことができますし、その数値を実態の有無に関わらず他の人と共有することも可能です。特にそれが貨幣の量を表す場合、その上、数字の額が増加していく結果を得られる場合、私たちの脳は敏感に反応し、積極的に関わろうとします。その結果、日本は指標で表すと、世界でも屈指の経済規模を誇ると言われるほどになりました。でも、その数字は、脳の中だけで有効な数字で、私たちの身体が属している現実世界とは無関係のものではないでしょうか?

安倍晋三首相が先導するアベノミクスでは、日銀、ゆうちょ銀行、年金機構などが国内株を買いあさり、日経平均株価を2万円代に回復させ、大きな成果だとしています。しかし、それは関係者の脳が集まって無理やり生み出した実態が伴わないただの数字ではないでしょうか?それでも株価の上昇は経済成長と密接に関連します。

このような視点で考えると、経済成長とは、私たちの脳と、現実の世界=自然物としての身体が属する世界、との距離が離れていく。身体と脳の間の溝が深くそしてお互いが見えないほどの空間が生まれていく、そういう状態を助長していくことだと言うことができます。

Q. それは望ましいものですか、それはなぜですか

脳は、私たちの身体(=自然)をコントロールすべき対象と見ています。なぜなら、最終的に脳は身体の死によってその活動に終止符を打たなければならないことを知っているからです。脳は限界のある身体やそれが属する自然が基本的には嫌いなのかもしれません。

ツバルの離島に残るような自給自足の暮らしでは、脳は身体(=自然)と協力して共に生き残ることに注力します。釣りとタロ芋の栽培と家族の世話、そして、島の共同体の維持が優先されます。小さな環礁島の数百人が、まるでひとつの家族のように助けあって、すべてを共有して、生きていく様は、本当に美しいものです。

しかし、お金への依存度が高まるにつれ、脳はもっぱらお金という名前の数字の羅列に注力していきます。そして、食べる寝るといった身体を維持する基本行為と家族を蔑ろにし、数字の桁を増やすことに集中してしまいます。その結果、身体は大きなストレスに耐えかねて様々な病気を抱え込むようになります。身体に問題があれば、脳の判断も自ずと狂います。しかし、脳はその関係性に蓋をしてしまうのです。そして、さらに間違いを積み重ねます。朝のラッシュ時の電車の中の、隣に立っている人を人と思わないような態度には驚かされますし、要職に付く人や警察官などが、犯罪に手を染めるニュースも増えるばかりです。

その間違いは、組織では次元を異にします。営利企業は利益を追求するあまり善悪の区別なく行動します。時には自然環境を軽視し破壊するばかりか、犯罪行為に及ぶこともあります。それが国ともなると、環境にも人命にも配慮がない原子力エネルギー政策を推し進めたり、「戦争」という命も身体も大量に殺めることを選択し実行することができるようになります。

脳が身体からかくも離れてしまっている現在を望ましいとはいえませんし、これ以上この状況を亢進させることはとても危険なことです。

Q. それは必要なものですか、それはなぜですか。必要な場合、いつまで、どこまで、必要でしょうか

必要ありません。

Q. 経済成長を続けることは可能ですか、それはなぜですか

不可能です。

脳を支えている身体(=自然)には限界があります。そのことを脳は知らないふりをすることはできますが、最後は現実世界の、自然界のルールに従わざるをえないのです。身体(=自然)の寿命を伸ばすことを考えて、脳は自らの活動を律していかなければなりません。

Q. 経済成長を続けることに伴う犠牲はありますか、それは何ですか、なぜ生じるのですか

脳の世界が広がれば広がるほど、私たちの選択の自由が増加します。身体や物理的な条件を無視した選択ができるようになるからです。選択そのものが生活の全てと言っても過言ではありません。そして、選択の結果に一喜一憂することでしょう。しかし、失敗が積み上がると、所持している「お金」という数字が0になる、またはその可能性に圧迫される時が来ることもあります。その時に自殺を選択することができるのも脳の仕業です。

脳が身体(=自然)と寄り添って生きるツバルでの自給自足の生活のように、ポケットの中の数字が0になった時にでも、楽しく生きていくことができるということを知る余地もないのです。

日本政府の発表ではこの国の自殺者数は年間3万人強となっています。人口1万人のツバル国が年に3回消滅しているのです。異常事態です! しかし、この数値はまやかしだとする説もあります。WHOの規準を適用すると、ツバルが毎年11回消滅するということになるそうです。

これほどの異常な犠牲は他にはないでしょう。

Q. 日本がこれまで経済成長を続ける中で失ったものがあるとしたら何でしょうか

身体(=自然)を主軸にした判断をする力を失っていると言えます。その結果、私たちは幸福感をも失いました。

Q. 「経済成長」と「持続可能で幸せな社会」の関係はどうなっていると考えますか

相反します。

「持続可能で幸せな社会」を私たちが手にするためには、脳を身体の脇に、せめて手の届くところに引き戻すことが大切です。そのためには、自然の領域に身を移し、自然をすべてコントロールしようとせず、自分の食べ物くらいは自分で育てる努力をすること、それをまず始めるべきだと思います。


インタビューを終えて

ツバルでの活動に長く携わっていらっしゃる遠藤さんにツバルに連れていっていただいたことがあります。カメラマンでもある遠藤さんの写真をいっぱい載せた本を一緒に創りました。

1年のうちある期間をツバルで過ごし、活動する遠藤さんの「ツバルの自給自足の生活から見ると、数字に置き換える事、それこそが大きな間違いの切っ掛けになっていると思えるのです」という言葉は本当に説得力があります。そして、身体(自然)と脳との乖離が経済成長の原因であり、またその結果でもある、という見方も、身体(自然)と乖離せずに暮らしているツバルの人たちを見ていてこそだなあと思います。

「経済成長とは、私たちの脳と、現実の世界=自然物としての身体が属する世界、との距離が離れていく。身体と脳の間の溝が深くそしてお互いが見えないほどの空間が生まれていく、そういう状態を助長していくこと」――脳と身体(自然)との乖離を縮め、一体化に向けて行くには、何が必要なのでしょうか。いろいろと考えさせられます。ありがとうございました。

取材日:2015年4月14日


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