100人それぞれの「答え」

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時事通信社 デジタル農業誌Agrio編集長者

増田 篤(ますだ あつしさん)

自分が満足感を得られるような仕事があって、何とか食べていける。より多くの人がそういう生活ができる社会であれば、成長率がどうなろうと、気にしなくていいのでは

Q. 経済成長とはどういうことでしょうか

ある意味マクロの話をしているわけで、「国内総生産(GDP)が何%伸びるというのはどういうことか」と言われても、日々の生活でどうなのか。新聞記者でも実感として十分に分かって記事を書いているわけではないと思います。

ある国が成長するとき、別の所から富を収奪したりすることがどの程度あるのか。地域間での富の移転があり、それは一種のゼロサムなのかとも考えてしまう。

さらにもっと大きく考えてみると、農業もそうだし、鉱工業原料もそうだが、どこかで地球の資源を収奪している部分が常にあるのではないか。「地球の命を削りながら人間が成長している」ということかもしれないとも思います。

その場合、「経済成長がいつまで続くのか?」を考えると、たとえば宇宙や地球が膨張し続けるとすれば、世界の経済成長も持続可能なのかどうか。地球自体や地域、自然環境の拡大、成長が止まっているのなら、有限な資源を削り続けていることになります。

一方で、太陽が輝き続け、地球の資源も増え続けていくとすると、それを活かして世界全体で成長していけるということかもしれない。

エダヒロ:GDPが大きくなるということが、地球からの何らかの収奪という形で行われるとすると、地球自体が成長していない限りは難しい、ということですね。

そうですね。「少しずつ地球を削っていっている」ということかもしれないなという気がします。

Q. かたや「経済成長は必要だ」という声も多いですが、経済成長の必要性についてはどう思われますか。

必要だというのは、人間がより豊かに生活するためということ。少し前までは、それは物質的な満足を満たすとか、利便性を向上させるということだったとすると、当然必要ということになる。そこには欲もある。今までの日本もそうだし、ほかの先進国もそうだが、それを際限なく追い続けてきたんだろうと思います。

ところが、経済社会の発展がある程度行くところまで行くとどうなるか。世界の多くの地域がある程度豊かになり、地理的に最後に残されたフロンティアはアフリカだという話になった時に、途上国はまだ豊かではないけど、先はどこかで見え始めてきたのではないかいう話も出てくる。水野和夫さんが「資本主義の終焉」で言われていることですね。

水野さんは「日本が最初に豊かになった」と指摘している。もっと先にイギリスやアメリカがあるということではあるけれど、国民の総平均レベルで一番先に豊かになったのは日本なのかなということ。そして、「日本のバブルが真っ先に来ている」。私も、日本はバブルのピーク期が象徴で、日本人は物質的にはほとんど満ち足りたんじゃないのかなとずっと思っていました。

それが終わった後、「じゃあ次は何?」となった時、どうすればいいかわからない。でも「ずっと今まで、GDPは何%成長し続けたから、それはないといけない」と、一種の強迫観念みたいなものに駆られている。政治家としては「目標を達成しないと、自分の実績として残らない」ということになる。

でも、国民の大多数は今や、それほど新しい物が欲しいわけでもないし、どちらかと言うと違う方向に目が向きつつあるかなと思います。違う意味での豊かさですね。自然環境や農業などに対する関心が、特に若い人などの間で高まっているのもそういうことではないかと思っています。

私の息子世代なども、中学、高校からiPhoneとか持っているわけですね。別に今さらテレビを見たいということもない。クルマにも興味はない。われわれのころに比べたら、少なくとも「モノ」に対してハングリーということはない。

日本の場合は人口が減り、ある程度経済が成熟して満たされた中で、GDPが増えるということは、どこかで無理をしているのではないか。特に、金融の世界ではかなり強引に無理をやっている。「異次元の金融緩和」とか。

そして、最後は株価が上がれば経済成長したような気になっている。バブル崩壊後は、ずっと、いくら公的資金を入れても、大して上がらなかった。今、一見上がっているけど、そこだけに資金を投入し、「見せかけの経済成長」を演じているのかなという気がする。

エダヒロ:今のお話で、農業への関心について、特に若い人たちは、どんなふうに見られていますか?

たとえば10年前ぐらいまでは、若い人が農業に関心を持っても、「根性ないからすぐやめちゃう」みたいな話が多くて、脱サラしたお父さんたちもそうですけど、「こんなしんどいか」と思ってやめてしまうという話が一般的だった。もちろん今だってそういう人はいるが、もう少し地に足がついた形で参加してきているのかなと思います。

最近よく聞くのは、むしろ「無理に農業だけで生計を立てることを考えるのではなく」という言い方です。たとえば、過疎地域とかに行って、ほかのいろんな仕事をしながら農業もやるという、新しい形の兼業の形を、実際に模索し始めている人たちが出てきている。そこは非常に面白い。

農村で今まで兼業というのは、農協や役所に勤めたり、地元に企業があれば御の字みたいな形だった。そういう兼業ではない「新しい兼業」が出始めているということ。

エダヒロ:面白いですね、「新しい兼業」ですか。役所に入って空いた時間に農業ではなくて、中山間地などに入って、そこで必要な仕事をするのですね。たとえばどんな仕事があるのでしょう?

よくあるのは、「6次産業化」と言われているもので、直売所やレストランをつくったりというもの。

また、『Agrio』でも紹介したが、「エネルギー兼業」という言葉も生まれてきている。農業と再生可能エネルギーの兼業で、そこでは農協も新たな役割を果たせるはずだという。

さらに、これも『Agrio』にITの専門家に寄稿してもらった話で「IT兼業」というアイデアもある。「半農半X」のように、「午前中は農業をやって、午後はIT仕事をやる。1日農業をやるのはしんどい。1日コンピュータとにらめっこしているのもしんどいという話で、ストレスの面でちょうどいい」と。

Q. 経済成長を続けることの犠牲はどんなことがあり得るでしょうか。もしくは日本で起こってきたでしょうか。

先進国では、経済成長が行き詰まる中で、経済成長率、つまりGDPを押し上げようとして、ひたすら金融緩和をして、株価や不動産などのバブルをつくってしまう。

私は昔から、金融というのはどこか虚業だと思っています。虚業の部分だけが膨らんで、うわべのGDPは上がるかもしれない。でも、「それって何?」と言えば、経済が成熟した先進国ではいつかバブルがはじけてで、また金融緩和をしてバブルを作るといったように同じことの繰り返しでしかない。

Q. 日本の経済成長の結果、犠牲やひずみなど出てきているとしたら、どんなものでしょうか。

日本に関して言うと、結果的には、ほかの国よりうまくマネージされてきたのかなという印象です。

例えば、高度経済成長期に農村から都市部に出てくることによって、雇用を確保できた。逆に、都市部から地方に、交付金などの形でどんどんお金を流すことによって、農村の生活水準も下支えされた。格差は拡大していると言っても、他の国に比べ格差の少ない社会だと思います。アメリカは、リーマン・ショック後だって、格差をさらに拡大させるというように、まったく反省がない。

高度成長の時は当然、環境を犠牲にして、環境問題が起こった。それも日本はある段階で気がついて、何とかだいぶ良くなってきた。

日本は、アメリカから「もっと市場原理主義でやれ」と言われながら、そこは抵抗しながら終身雇用などで雇用を維持ししてきた。終身雇用が必ずしもいいことばかりだとは思わないが。経済成長で大事なことがあるとすれば、いろんな形で生活の糧があるということでしょう。

また、デフレになって、賃金も大して増えないけれども、生活はどうかと言うと、そんなに貧しくなっているわけではない。今の経済環境の中ではデフレが一番合っているかもしれない。住宅ローンの金利も上昇しない。

Q. 「経済成長」と「持続可能で幸せな社会」の関係をどう考えられるでしょうか

たとえば「経済成長率」という数字については、そんなに気にしなくていいのではと思います。むしろ、自分が満足感を得られるような仕事があって、何とか食べていける。より多くの人がそういう生活ができる社会であれば、成長率がどうなろうと、気にしなくていいのではということ。

日本は、高度成長期に比べ空気がきれいになり、水がきれいになってきているというところは、いい方向に来ているのかなという気もします。

新しい農業も少しずつ始まっています。例えば畜産では、狭い牛舎に押し込められた形から、これからは土地も余ってくるから、放牧型で、牧草で飼育すれば、そんなに大量に飼料を輸入しなくてもいいのではとか。地産地消型の農業も十分にあり得る。無駄なエネルギーや燃料の消費を少しでも減らす。また、日本にも資源は実はたくさんある。森林資源などバイオマスなどは典型ですね。


インタビューを終えて

メディアの方のGDPについて「新聞記者でも実感として十分に分かって記事を書いているわけではないと思います」という言葉には何だか説得力がありますね! それってなんだろう?と。「ずっと今まで、GDPは何%成長し続けたから、それはないといけないと、一種の強迫観念みたいなものに駆られている」ということなのでしょうね。それってなんだろう?とまたしても思います。 「国民の大多数は今や、それほど新しい物が欲しいわけでもないし、どちらかと言うと違う方向に目が向きつつあるかなと思います」「自分が満足感を得られるような仕事があって、何とか食べていける。より多くの人がそういう生活ができる社会であれば、成長率がどうなろうと、気にしなくていいのでは」という実感、そして、デジタル農業誌の編集長さんならではの、「新しい兼業」のお話や「新しい農業も少しずつ始まっています」という実感、とても心強く希望が持てます。

取材日:2015年3月18日


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