100人それぞれの「答え」

写真:ハーマン・デイリーさん

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メリーランド公共政策大学院名誉教授、元世界銀行チーフエコノミスト、定常型経済推進センター(Center for the Advancement of the Steady-State Economy ) 理事

ハーマン・デイリーさん

考えるべきことは、「経済成長は私たちを豊かにしているのか、それとも貧しくしているのか」ということです

Q. 経済成長とは何ですか?

経済成長には2つの意味があります。
1つは経済、つまり人やモノを含む経済そのものが物理的に大きくなるという意味です。「経済」の成長ですね。
もう1つは、コストよりも便益のほうが大きい(=経済的な)成長という意味です。実質的にプラスになる成長、実質的に役に立つ成長ということですね。

この2つはまったく違う意味です。

最初の定義「経済が拡大するということ」が、2番目の定義にも当てはまるかどうかと言えば、そうとは限りません。「拡大すること」がコストよりも便益を多く生み出す場合もありますが、逆に、コストのほうが多くかかってしまう場合もあります。

かつては、経済の成長は、そのためのコストよりも、それが生み出す便益のほうが大きいものでしたが、今やコストのほうが大きくなっていると私は考えています。

そして、みんなこの2つをごっちゃにしてしまいます。

Q. 経済成長とは望ましいものなのでしょうか

2つ目の定義で言えば、望ましいものです。1つ目の定義で言えば、かつての「空いている世界(empty world)」では望ましいものでした。しかし、今は「いっぱいに詰まっている世界(full world)」ですから、2つ目の定義で考えたときには望ましいものではありません。不経済な成長になっています。

Q. 経済成長は必要なものでしょうか

「空いている世界(empty world)」では、物理的な拡大は経済的なものだったでしょう。しかし、今はそうではありませんから、必要ではありませんし、成長すべきでもありません。

しかし、質的な発展の可能性はあります。今、あなたが持っているiPadだって、とてもいいものでしょう? こういったものは、このようにニーズを満たしたり、幸せをつくり出したりしますよね。それが成長を伴っていないなら、つまりほかの、これほど良くないものから資源を再配分することでつくり出されるとしたら、これは質的な向上となります。そのときに、より高い価値があるために、GDPが増えることもあり得ます。

ですから、私は「GDPそのものを一定にせよ」とは言いません。GDPが成長するのは構わないのです、こういった理由で成長するのであれば。しかし、同じものを「もっと、もっと、もっと」生産することでの成長ではありません。

Q. 失業や環境問題、人口増加など、さまざまな問題に対して、「経済成長なくしてどうやって解決するのだ」と言う人がいますが

繰り返しになりますが、最初のところからもう一度考えてみる必要があります。つまり、「経済成長は、私たちを豊かにしているのか?」ということです。豊かになっていれば、今挙げたたような問題は解決しやすいでしょう。豊かになることは、私も賛成です。

ほとんどの人は、「経済成長すれば、豊かになる」と思い込んでいます。しかし、本当にそうなのでしょうか? 成長が不経済なものになってしまえば、成長することは私たちを豊かにするのではなく、貧しくしてしまいます。貧しくなってしまえば、先ほどのような問題を解決することは、より難しくなるでしょう。

ですから、考えるべきことは、「経済成長は私たちを豊かにしているのか、それとも貧しくしているのか」ということです。経済学者はこの問いに焦点を当て、より良い答えを導き出す必要があります。もちろん、そのように努力している経済学者もいて、どのように測ったらよいかなどを考えています。私自身は、GDPを「便益の勘定項目」と「コストの勘定項目」に分けるのが良いと考えています。

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Q. 経済がどこまでも成長していくことによって、何らかの犠牲が生じているのでしょうか

ええ、たくさんの犠牲が生じています。拡大することによって、ほかの種から成育地を奪ったり、資源を枯渇させて将来に残さなかったり。ほかにもストレスが増えるなど、いろいろな犠牲があります。

私たちが開発してきた技術は、良いこともしてくれますが、悪い結果をもたらすこともあります。例を挙げましょう。米国の発明者トマス・ミジリーという化学者が、テトラエチル鉛を加えると、エンジンの回転が良くなるということを発見しました。それで、みんながテトラエチル鉛をガソリンに加えるようになり、その結果、あちこちに汚染が広がっています。つまり、この技術がつくり出した価値よりも代償のほうが大きくなってしまったのです。

信じられないかもしれませんが、クロロフルオロカーボン(CFC)を発明したのも、この同じ人物なのですよ。CFCはオゾン層の枯渇につながるものです。ここでも、技術のつくり出した価値よりも、代償のほうがはるかに大きなものとなりました。

こういったものが、成長による犠牲です。もう少しゆっくりと時間をかけていれば、避けることができたかもしれないことです。

Q. 米国でも世界でも、経済成長によって失われたものがあるでしょうか

ええ。たくさんありますね。オゾン層からの保護も、絶滅してしまった生物種も、多くの漁場も。耕地も土壌浸食で失われています。私がかつて住んでいたルイジアナ州では、原油の流出と、ミシシッピ川からの農薬の流入によって、メキシコ湾の海の生産性が大きく失われてしまいました。

こういったものが支払われていないコスト、計上されていないコストです。価格にも反映されていません。

問題は、こういったコストが計上されていないことです。利益のほうは私有物として計上されますが、往々にしてコストは環境や公共財の分野で発生します。たとえば、誰も空気を所有していません。ですから汚染は計上されないのです。

Q. 「幸せで持続可能な社会」と「経済成長」をどのように考えたらよいのでしょうか

幸せで持続可能な社会のために経済成長が必要なわけではありません。経済的な「十分さ」は必要です。私たちは誰でも消費する必要があるし、モノが必要です。あるところまでの「十分さ」は必要で、その後は、それを維持することになります。

つまり、維持したり生産したりすることは必要ですが、それがどこまでも大きくなり続ける必要があるのでしょうか。最適なレベルがあるはずです。


インタビューを終えて

世界銀行のシニアエコノミストの職位にあるときから、経済の規模が大きくなっていかない「定常経済」を主唱しつづけているハーマン・デイリーさん。経済成長の定義や、その可能性や望ましさの判断のしかたなど、本当にわかりやすく答えて下さいました。最後におっしゃっていた「十分さ」(Sufficiency)とは、「足るを知る」とも通じるキーワードですね。

取材日:2014年4月11日


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