100人それぞれの「答え」

写真:藤澤 裕介さん

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海士町漁業協同組合職員

藤澤 裕介(ふじさわ ゆうすけ)さん

海士町に移住して、100%、毎年満足が増え続けています

Q. 経済成長とはどういうことですか

最初に思い浮かんだのは、一般に言われている「経済成長」という言葉の意味というか、使われ方で、「世界のGDPの合計」です。それは、世界の合計だったり、国ごとの文脈で語られたりすることがあると思いますが、基本的にはお金に置き換えられる価値の合計だと思っています。「そこにはそれ以外の価値が含まれていない」という感覚があります。

経済成長というと、合計が増えていれば、多分それは「成長している」という状況だと思いますが、極端な例ですけど、仮に世界の中で1国だけが増えていて、ほかは全部減っていても、合計として増えていればそれを「成長」と言っていいのかどうか。

実際には、格差というか、よい状況のところとそうではないところがある。でも、それが見えにくくなる指標なのかなと感じています。

Q. 経済成長は望ましいと思われますか

今言ったような、通常使われている言葉としてであれば、望ましくないと思っています。GDPだと、たとえば軍事費だとか、犯罪なども含めて、経済の動き全部の合計だと思うので、「真の価値」のようなものは今の指標では測れていないと思います。今の指標では、必ずしも望ましくない。

ただ、国同士のバランスや、長期的なものになるとか、全体の合計だけではなくてすべての国が良くなるといった条件があれば、望ましいと言えるかなと思います。

Q. 経済成長は必要なものだと思いますか

これは言い切れなくて。立場によって違うかなと思っています。ある程度よい状況のところは、必ずしもそれを追い続ける必要はないのかなと思って。

段階的なのかなと思っています。経済成長が必要なところもあるし、必要でないというか、質的な改善はできるけど、量的な成長というか、拡大は、全部に必要なわけではないのかなと思っています。

そうは言っても、人間の向上心とか、「もっと良くなっていきたい」と思う部分でいくと――それは量的なものである必要はないですけど――、「進む」とか、「成長」ということは、楽しみだったり、当然、幸福度などにもかかわってきたりすることなので、必要かなと思ったり。

エダヒロ:イメージとして、質的なほうは、どの段階になっても必要だし、喜びであり、幸せである。他方、量的なものは、「段階的」とおっしゃったけど、それが必要な段階もあるし、必要ではない段階もあるという感じでしょうか。

戦争などいろいろな歴史的な経緯があって、「社会的発展」というと大げさで独善的ですが、差があると思います。「途上国」と呼ばれる国などだと、「望んでもできなかった発展」が状況としてあるでしょう。

そういうところは、これから、医療や教育、生活していくのに必要ないろいろな分野で、「選べること」が大事かなと思っています。望まないなら別によいのですが、望んだ場合は、発展できるようにする必要があるかなと思っています。

エダヒロ:途上国はそうだとして、日本のような先進国で言うとどうでしょう? たとえば、「スマホをあと2台欲しい」と望んだ場合、それは認められてしかるべきなのか、そのあたりの線引きはどのように考えたらいいのでしょう?

望んだ場合には、いいんじゃないですか。ただ、限界が見えていて、価値観が変わってきている。私が海士に来たのも、そういう流れがあってのことだと思いますが、それが5年前でした。そういうことを感じ始めてからで言うと、10年ぐらい前から、価値観とか環境に関する意識の高まりとか、少しずつ変わり始めていて。

それは、「成熟」という言葉がいいかわかりませんが、先進国などが行き詰まって、考えて、気づいて変わっているのかなと考えています。単純に、今までのアメリカ的な拡大路線というのは、進んでいかないのではないかなという気がしています。

エダヒロ:そういう意味で言うと、藤澤さんは1つの事例でもありますね。藤澤さんは、5年前に海士町にいらっしゃる前に、どういう感じで、どういうお仕事や暮らしをされていたのか? どんなことを思って、ここへ来るという決断をされたのか? 来てみてどうだったのか? 少しお話しいただだけるでしょうか。

私は出版社で働いていて、営業をやっていたんです。本を売る仕事だったんです。元々の思いは、「価値観を発信したい」というもので、本当は本を作る側に行きたかったのですが、入ってみたら、「営業をやってくれ」と。それは一番考えていなかったというか、スーツ着たサラリーマンは嫌だという思いがあって、出版社に入れてよかったと思っていたのですが。でも、営業に入ったら、幸か不幸かすごく楽しくて。

いろいろな人とかかわり合いながら、自分がいいと思う本――そこに書かれている価値観など――、そういうものを共感してもらう仕事だなと思って、やってきたのです。

出版社を辞めて海士に来るという決断をした理由の1つは、「いい本は絶対売れる」という信念を持ってやっていたのですが、それが証明できた、と。「本屋大賞」ってあるじゃないですか。あれにけっこう早い段階からかかわっていて、実行委員の人などとも交流をしながらやっていました。最終的に自分が「この本はいける」と思って担当していた本が、本屋大賞の作品になったんです。それで、やっぱりいいものは広まっていくし、そういういい世界がまだ残っているという確信ができて、安心したという部分がありました。

あと、かなり大きな会社だったので、年間の予算とかがあって、当然、「会社を維持・拡大する」という流れの中で、予算ありきみたいな感じがあって、「もともと何をやりたかったんだっけ?」という矛盾が見えてきて。「出したい」と思っている人が誰もいないけど本ができたり......。そのことによって、誰も喜ばない状況みたいなのが、けっこういろいろなところで見えていて、そのことの心苦しさみたいなものもありました。

「そこに加担したくない」と言うとヘンですけど、もうちょっと違うかかわり方というか、自分が役に立っている感じとか、本当に自分がいいと思っている仕事をしたいなという思いがだんだん出てきて。仕事に関してはそういう状況でした。

暮らしに関しては、都会で生まれ育ったのですが、アウトドアが好きで、休みや週末は、田舎や自然に行って癒やされると。平日は、毎日3時間とかしか寝ていなくて、週末は這い出るように家を出て。妻も割とそういうのが好きなので、家族でいろいろなところへ行ったりしていました。

だんだん、都市生活――たとえば、コンビニが隣合ってやっていたりして、必要かと言うと必要じゃないけど、みたいな――、その過剰さみたいなものが嫌になってきて。

と思った時に、たまたま海士のことを知って、来てみたら、すごくシンプルな社会だったんです。だいたい、プレイヤーが1人ずつしかないし、誰かが何かの役割を担っていて、それが全部目で見える範囲。「こういう社会の中で、人のかかわり合いとかを見ながら、1回暮らしてみようかな」と。

あと、何でも自分でやらなければいけないというのが、ちょっと成長できるかなと思って。そういう複合的な思いが、海士に行こうと思ったきっかけでした。

日本がちょっとおかしいかなと思った時に、ブータンのことがずっと気になっていて、いろいろ勉強しました。結局、行けはしなかったんですけど。キューバには行きました。全然違う社会体制の国に行ってみたりして、「日本で育ってきた現代の人って、アメリカ的な価値観がすり込まれている」という感じがしたりしました。でも、世界をいろいろ見てみると、幅広く、いろんな考えがあるし、あっていいし、正解はないなというところで、「何か自分たちなりの幸せを考えらえそうな場所を」と思って。それも海士につながったきっかけです。

エダヒロ:ご家族もそういう考えは共有して。

そうですね。

エダヒロ:海士では漁師さん?

漁師ではなくて、漁協の職員なので、漁師が捕ってきたものを販売したり、漁業に必要なものの調達をしたりという仕事です。

エダヒロ:実際に、いらして5年たって、どうでしたか? 来てみようという決断はどうだったか? 置いてきたものと、こちらで得られたものと。

100%、毎年満足が増え続けています。雪だるま式にいい感じになっていますね。

エダヒロ:それは何がつくり出してくれているんですか。

想定していたのと変わらないのは、自然の素晴らしさとか、人のあったかさとかです。一番期待以上だったのは、人から受ける刺激。海士の場合は、人の距離が近くて、みんな何しているか見えて、それぞれが頑張っていて。枝廣さん初め、外部からいろいろ刺激をもらえる環境にある。

本土にいた時は、毎週末、遊びに行くのと、何か勉強というか、人の話が聞きたくて、講演とかにけっこう行っていたんです。そういうのが、こちらだと自然にできる。自分たちのアンテナに合う人が、次から次へと来てくれる。交流もできるし。だいたいは飲み会をセットしてくれるから。話を聞いてみたいなと思っていた人と、自然に近く話せるような環境で、すばらしいと思っています。

Q. ご自身の話は説得力がありますね! 質問に戻りますが、経済成長を続けることは可能かどうか

短期的には可能かなと思っています。短期、中期、長期みたいなことを言うと、目先のところは、「経済的な価値に置き換えられるもの以外は見ないようにしてきた」という流れがあるので、短期的には可能かなと思います。

漁業で言えば、いろいろな資源をあまり考えない方法で漁獲高を増やしたりすることはできる。けれども、自然というボトルネックがある。「地球の有限性」みたいなところは、各産業などでもあるだろうと思います。だから、短期的にいったん経済成長を続けることができたとしても、どこかでまた落ちる。

だけど、ブレイクスルーもあるのかなと思っています。たとえば、漁業で考えたら、昔から漁業って、基本的に食べ物としての価値だと思うのですが、今は、たとえば海藻からいろいろな成分を抽出して、バイオケミカルみたいなものがあるなど、どんどん変わっていくので。

海の仕事も、「魚を捕る」という単純な世界ではなくなってくるという面から言えば、価値は増え続けるかもしれない。どんどん新しいものが発見されて、ということなので。

エダヒロ:既存のやり方だとどこかで限界に当たるかも知れないけど、そこでブレイクスルーなどでまた可能になっていくという感じですね?

そうですね。

Q. 経済成長を続けてきたことの犠牲やマイナスがあるとしたら、どんなものでしょう

経済の一番の軸に、「合理性」というのがあると思います。それによって、多様性や、独自のものが失われたりする。効率を求めて、「単一の魚種を大量に効率良く捕る」といったことをして、それによって、地域の小規模な漁業などがなくなったとしたら、その土地の食文化も失われる。世界中同じになるような、フラットになっていく流れがあって、そこからこぼれていく「地域のデコボコ」みたいなものが失われてきていると思っています。

それこそが、漁業の世界で言うと、僕が海士でやりたいことなんです。「面白い」と思っているその部分を活かしていける仕組みづくりというか、そこが自分なりにチャレンジしたいことです。

エダヒロ:具体的にはどんなイメージを持っていらっしゃるのですか。

海士にも、「モボシ」と呼ばれる日本中で2ヶ所か3ヶ所でしか食べない魚があるんです。「ススメダイ」のことなんですが、他の地域の人は食べないのに、海士には食べる文化がある。あと、九州の一部、福岡のあたりにもあります。福岡では焼いて食べるんですけど、こちらでは刺し身です。「せごし」と言って、骨が付いたまま輪切りにして食べるんです。あと、大阪の一部、コリアンタウンでは、この魚をキムチの原料にするんです。

調べる限り、その3ヶ所くらいでしか使われていなくて、それぞれ食べ方も違っている。それって、「その3ヶ所で交流ができるかもしれない」ぐらいの面白さです。

日本の漁業には、そういうのが至るところにある。海士でできたら、最終的にはその手法をほかでも広められるような動きをしていきたいと思っているんです。まず現場でやってみてできないと、人に説明もできないですけど。

エダヒロ:海士の人はみんな普通に食べるんですか?

そうですね。

エダヒロ:お店でも見たことないなあ。

時期がかなり限られていて。脂ののった時期しか食べないんです。5月、6月ですね。

エダヒロ:次回お邪魔したときには食べられるかな。網に掛かるんですか。

網に掛かるというか、小さな定置網に入るんですけど、狙わないと捕れないんです。偶然捕れるということはなくて。その漁業自体が、みんながやれるかと言うとやれない。手間もかかるのですが、消費地も少ないので、すごく儲かるわけでもない。でも、この地域の独自性というか、自然環境に沿ってやってきた結果の漁業なんです。今はまだ残っているけど、その漁業をする人は、もう2人ぐらいしかいなくて、失われる可能性が高い、という状況です。

端的に言えば、そういうものが、細かく見ていくと、いくつもある。その複合が、この地域の海とのかかわり方の面白さをつくっていると思うので、何とかそのへんを伝えて、仕組みをつくって、自然と流れていくように修正したいなと思っています。

エダヒロ:そうすると、経済成長そのものというより、その土台としての合理性が効率を優先し、デコボコを削る。そこで削られるものが、それぞれの地域の文化だったり、食生活だったり。それが失われたもので、藤澤さんはそれを取り戻すというか、修正していくようなことをやっていきたいと思っていらっしゃる。

そうですね。それが面白いというか、気づかれていない価値だと思うんです。見えていないだけで、教えて、磨いて、並べてあげれば、自然と認められていくものかなと思います。

エダヒロ:出版社を辞めてこちらに来ようと思った時に、漁協の職員の職があって、そこに応募して、漁業の世界に入られたのですよね。もともとアウトドアが好きとは言っても、今お話しになったような、いろいろな食文化や漁法があるとか、その漁法ができる漁師さんが減っているとか、それはこちらに来てから1つずつ体験的に学ばれたのですか?

何となく、漁業がヤバイということだけは分かっていました。本で得た経験などから、「伝える力不足なんだろうな」という気がしていて。本の世界も、あれだけ本が出ているけど、活字離れとかある。でも、ほんとに手を掛けてやったら、多くの人が共感してくれるということは、1個1個きちんと伝えられていなかったり、粗製濫造している部分もあったりして、そのへんの矛盾は、読者には伝わってしまっているのだと思う。

もうちょっと自分たちがやることに責任を持って、きちんと伝えなければいけないという思いがあって。

多分、漁業はもっとそうなんだろうなと思って来てみたら、やっぱりそうでした。「まだここにはいろいろやる余地があるな」と逆に思ったし、見ていくと、面白いことがたくさんあって。自分自身が楽しみながら、面白かったらそれを人に伝えるということの繰り返し。だから、やっていることは本と一緒です。

エダヒロ:そのうち本という形になるかもしれないですね! 最後に、「経済成長」と「持続可能で幸せな社会」の関係は?

「幸せ」というのは"ゴール"、向かうべき所で、「持続可能」というのは"ルール"だと思うんですね。「経済成長」というのは、ゲームの"スコア"みたいなものかなと思って。

幸せに向かうというのは、みんなそうなのかなと思っています。私は割と性善説の立場なので。みんながそこに行きたい、いろいろなことがあって行けなかったりすることもあるけど、取りあえずそこに向かう。そのとき、持続可能という制約というかルールがあって、経済成長というスコアを取りながら進んでいく、みたいなイメージです。


インタビューを終えて

出版社を辞めて、島根県隠岐の島の海士町に移住し、漁協で働いている藤澤さんにお話をうかがいました。移住のbefore/afterのお話もとても興味深く、共感する人も多いのではないかなあと思います。
経済成長についても、「合計が増えていればいいのか」というのは、「合計」や「平均」につい現実が見えなくなりがちな人間の習性(?)に対する問題提起ですね。
 地域の自然環境に沿ってやってきた結果の漁業があり、それに基づく食文化がある――合理性や効率の世界では削られてしまう、こうした「地域のデコボコ」を大事にしたい、大事にする仕組みにしていきたいという藤澤さんの思いが伝わってきました。
 そして、ご自身の移住については、「100%、毎年満足が増え続けています」と即答。「雪だるま式にいい感じになっています」って素敵だなあ!と思いました。
今度海士町にお邪魔するときには、ぜひ「モボシのせごし」をいただきながら、また藤澤さんのお話をうかがいたいなと思っています。

取材日:2015年4月11日


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