100人それぞれの「答え」

写真:辰巳菊子さん

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公益社団法人 日本消費生活アドバイザー・コンサルタント協会 常任顧問

辰巳菊子(たつみ きくこ)さん

暮らしの実感から離れた指標ならいらない

Q. 経済成長とはどういうことでしょうか?

本当は、経済成長というなら暮らしも一緒に成長していってほしいなと思っています。普段、人の日常の暮らしの現場ばかり考えているので、「経済成長」というと、違う世界のお話のように思えてしまって。

「日本が経済成長している」というときは、お金を持っている人が株に投資すれば儲かるような社会かなと思っています。なので、株を持っていなければあまり「関係ないや」と私は思いがちなんですね。

ところで、私自身は、まさに団塊の真っただ中の世代なので、大学を出てすぐの初任給は2万円ぐらいだったのですが、あれよあれよという間に、多分数年で10万円という金額を――5倍ですよね――もらうような時をすごしたので、ああいうのが経済成長だと言われれば、そうかなと。

収入がたくさんになるということは、いろんなものが買えるということで、買うということは、産業が発展していくという社会。あれが経済成長というものではなかろうかと、経験して見てきたものだから。

今度は、自分の子どもが、例えば「お誕生日に何が欲しい?」と聞いても、小さなころは「ゲームが欲しい」とか言っていたのが、だんだん「もういいよ」ということになって、今、30代後半の、団塊ジュニアたちは、私たちが思っている経済成長的なものは知らないし、そんなものは望まないのかなと思ったりします。

ああいうものを経済成長と考えるならば、それはそれで暮らしにとっても意味があったのかもしれないと思いますが、今の日本で「経済成長2%」だとか言われても、あまり関係ないな、というとらえ方です。過去の経済成長が良かったかという話は別にして。

環境の活動を始めてしばらくたったころ、『地球家族―世界30か国のふつうの暮らし』という、世界の家庭の中のモノを全部家の外に並べて写真を撮った写真集が出て、愕然としたのね。経済成長のなれの果てが、まさに見て分かりますもの。それで幸せか?と言うと、片付けに翻弄されるし、モノに埋もれてモノに時間を取られるということになって、本当に持続可能ないい暮らしかと言うと、必ずしもそうでもないなと思います。

その端的な表現があの本。ものの見方を変えるという意味で、貴重品ですね。それまでは、「あれも欲しい」「これも欲しい」と、モノがあれば楽しい生活ができると思っていたのが、そうじゃないんだと気づかされ、環境のことをもっと考えないといけないと思ったんです。

Q. 経済成長は望ましいものでしょうか?

初任給2万円の時代がそのままで、今もそうだったらどうか? その時は知らないですからね。でも、10万円の生活を知ってしまったから。知らなかった2万円の時代に、何かに不満があったかと言うと、暮らしの面では特別不満はなかった。ただ、「お金が手に入るとあれも買える」ということを知ってしまい、歯止めがなくなって結果として、モノに埋もれてしまうことになってしまった。

「じゃあ、知らないままでいいのか?」という話かもしれないけれど、今は不可能ですね。良かったのかどうか、よく分かりません。

Q. 経済成長は必要なものだと思われますか?

たとえば「経済成長2%」と言われても、0%と何がどう違うかわからない。

暮らしの実感は数値で表せるものではなくて、「感動したわ」とか「楽しい」とか「うれしい」とか「悲しい」とかいうものが暮らしの実感でしょう? 数字の問題じゃなくて。だから、そういう意味で暮らしの実感から離れた指標なら、いらないんじゃない? と思ったりします。迷わされますものね。

でも、企業等が決算して発表して、その会社を評価し投資してもらうという中では、もしかして必要なのかもしれない。

経産省の人に、「経産省はいつも、企業が発展するためのことばかり言っていて、暮らしを見ていない」と言うと、「企業が発展しないと、暮らしが発展しない」、「企業で働く人が暮らしを支えているんじゃないか」などと言われるのですが、「暮らしがあってこそ企業が成り立つ」と私は思っています。

だって、働く人の元気をつけて、モノを食べて、そういう活力を生み出すのが暮らしじゃないですか。「よし、明日も頑張るぞ」と思ってもらえる場が暮らしなのに、「逆だ」と言われる。そういうやりとりをするけど、結論は出ません。

若い人たちのトラブルや困った問題も、暮らしの現場がしっかりしないから起こるのだと思います。経済ばかり成長すれば本当にいいのか。よくわからないけれども、数値で「2%」とか言うのは、あまり意味がないんじゃないかなと思います。

Q. 経済成長を続けることは可能だと思いますか?

それは絶対に不可能。明らかに不可能です。給料が2万円から10万円になった時、今まで持っていなかったテレビを買った、クーラーを買ったということになると、そのクーラーやテレビをつくるためにどれだけの資源を使ったかということです。小さなテレビが大きなテレビに替わったら、また資源がたくさんいるようになる。その資源はどこにあるかというと、地球の上にしかないわけで、容量が決まっている中で明らかに不可能です。

もしかして、みんながこんな小さなテレビを持てばいいかもしれない。でも、こんな小さなテレビのためには、さらに貴重な、大きなテレビには必要のなかった希少な金属も必要になって、それを掘って手に入れないといけなくなるわけで、あり得ないと思います。

Q. 経済成長を続けることに伴う犠牲はありますか?

まさに地球資源的な犠牲があると思っています。あとは、暮らしの現場がうまくいかなくなっているのも、経済成長に関係するんじゃないかと、私は思っています。

企業が成績を上げるためには、お金を儲けるために何を減らすか。儲かるためには、どこかを節約しないといけない。今は自分たちの大事な「人」の資源を節約している可能性がすごく高いと思います。それは暮らしを疲弊させるというか、人を疲弊させてしまっている。

そうすると危ない社会にもなりかねない。ブラック社会が生み出され、そこへ逃げ込む人たちをつくる。原因は違うかもしれない。でも、その一角は担っている気がします。

Q. 「経済成長」と「持続可能で幸せな社会」の関係はどんな関係だと思いますか。

「経済成長」という単語そのものに固定観念を持つのではなくて、社会も発展し、暮らしも安心して幸せに生きることができる、となることがすごく重要だと思います。

私自身、家政学の仕事しかしてこなかったから、経済は苦手でわからないですが、物事を、「数字」「定量的に」「データを」と言われますと、「安心して幸せに生きる暮らし」は「定量的なデータ」で示すことが出来ないのですよね。例えば、家族のお茶碗を家で洗ってもお金はいただけないけれど、食堂で洗うとお給料がいただける。同じ行為でも家の中の行為はお金にならないのですよね。その代わり喜んでくれる人がいる。経済はお金で測り、割り切りますよね。難しいです。

人にはそうではない「心」や「情」というのがあります。そちらをちゃんと見られる指標ができればいいのかもしれない。でも、それは指標で表すものじゃないと思う。

数値ばかりで世の中を割り切ろうと思っていることが間違っているのではないですか。絵だって音楽だって、心を動かすものが何だってあるじゃない? そういう心を動かすもので、若い人を育てられるように社会がなってほしいなと、そればかり思っています。


インタビューを終えて

辰巳さんとはエネルギー基本計画を作るための基本問題委員会など、政府の委員会などでもよくご一緒しますが、今回のインタビューでも、いつものように「暮らしの視点」の大事さを伝えてくれました。「暮らしの実感から離れた指標ならいらない」「暮らしがあってこそ企業が成り立つ」――本当にそうだと思います。そういう視点を看過することなく、考えていきたいと思いました。

取材日:2014年11月15日


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