100人それぞれの「答え」
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武蔵野大学環境学部 環境学科環境学専攻 准教授
明石 修(あかし おさむ)さん
貨幣経済に依存しすぎない暮らしの中にヒントがあります
- Q. 経済成長とはどういうことでしょうか
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モノやサービスの生産量が増えることだと思います。
- Q. 経済成長は望ましいものですか、それはなぜですか
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経済成長自体が望ましいかどうかは、一概には言えないと思います。それには2つ理由があります。
ひとつは、経済成長はモノとサービスの量の増加を意味しているだけで、その中身については何も言っていないことです。増加するものの中には、人の幸せに貢献するものもそうでないものも含まれます。人々の幸せを増やすような経済成長は望ましいし、そうでないものは望ましくないと思います。
もう一つは、経済成長が犠牲を伴うことです。例えば、環境破壊などです。そのような犠牲を含めて考えると、全体として望ましいかどうかわかりません。経済成長で得られるものに比べて犠牲の方が大きければ、経済成長は望ましくないと思います。
- Q. 経済成長は必要なものですか、それはなぜですか
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「必要」というのには、2つの意味があると思います。
1つは、望ましいから必要だという必要。この意味で必要かどうかというのは、さきほどの繰り返しになりますが一概には言えないと思います。人々の基本的ニーズが満たされていない途上国では経済成長は必要だと思いますが、先進国ではもう必要ないと思います。
もう1つの「必要」、望ましいかどうかは別として、現在のシステムを維持するために必要かどうか、というのがあると思います。それは、もしかしたら今の社会、経済のシステムを前提にする限り、必要なのかもしれないと思います。
- Q. 現在のシステムを前提に考えると必要かもしれないということですが、その場合、いつまで、どこまで必要なのでしょう?
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経済成長を必要としないオルタナティブなシステムができるまででしょうか。オルタナティブに乗り移る舟がないとき、経済成長がなくなってしまうと、破たんというか、悲劇的なことになるかもしれないと思います。経済成長がなくてもやっていける社会・経済システムができたら、経済成長は必ずしも必要ではないと思います。
- Q. 経済成長を続けることは可能ですか、それはなぜですか
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長期的には可能ではないと思っています。一言で言うと、地球の有限性ということです。「経済成長とは、モノとサービスの生産量が増えること」と言いましたが、それを行うためには、資源などのモノを地球から取り出す必要があるし、廃棄物を地球に必ず放出してしまいます。
そういう意味で、有限な地球上で無限の経済成長はできないと考えています。
- Q. 「長期的には可能ではない」とおっしゃった「長期的に」というのは、どれぐらいの時間軸のイメージでしょう?
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地球の資源と浄化能力のストックがどのくらいあるか分からないので、「どこまで地球が持つか」はわかりません。ただ、フローでみると現在の人間活動の総量が地球に対して大きすぎることは分かっているので、そのような状況がいつまでも続かないことは明らかです。直感的には、僕が生きている間には危ないのかもしれないと思っています。2060年ぐらいまでは生きるつもりですが、それくらいまでには......。
- Q. 数百年というオーダーではなくて、数十年のオーダーでという感じなのですね?
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はい。
- Q. さっきおっしゃったことと重なりますが、経済成長を続けることに伴う犠牲はありますか、それは何で、なぜですか。
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あります。1つは、人間の社会・経済の外側で起きている犠牲です。つまり、自然資源が減ったり、環境が汚染されたりということです。資源や環境は、経済活動を行うための基盤であるにも関わらず、経済成長のためにその基盤を崩しているということに矛盾を感じます。
もう1つの犠牲は、社会の内側にあります。格差の問題とか、人の心とか、幸福度とか、そういうところでも犠牲はあると考えています。
- Q. 経済成長に伴って格差とか心の問題が出てくる、というのはどういうことでしょう?
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経済成長を追い求めれば、競争社会になり勝つ者と負ける者が出てきます。そこで適切な分配を行わなければ格差が生じてしまいます。それと、日々競争にさらされ、評価を受ける状況は、精神的にあまり良くない。人々の幸福度を下げる要因になるかと思います。
- Q. 今の、「経済成長すると競争になって」というところですが、競争ではなくて協調型での経済成長というのもあり得ますか? それとも経済成長しようと思うと競争になりますか?
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多分、みんなが協調型になれば可能かもしれません。でも、競争する人と競争しない人が存在したら、競争する人が勝ち、その人たちが、世の中のマジョリティになっていきます。その結果、結局競争社会になってしまうと思います。そういう意味では協調型の社会はなかなか難しいと思います。
- Q. 日本がこれまで経済成長を続ける中で失ったものがあるとしたら何でしょうか
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日本も、心の問題とか、経済成長している時期でも幸福度はあまり上がらないという統計があったり、実際に、子どもの貧困率が高かったりします。そういう問題は、経済成長を追い求めることの犠牲という側面があると思います。
あと、社会の外側では、環境を犠牲にしています。自然生態系の劣化などです。公害問題ではこの影響が人間社会に跳ね返ってきました。ただ、環境に関しては、日本が、自分のものを損なってしまったというより、ほかの地域のものを奪って、そっちを犠牲にしているほうが大きいと思います。
- Q. 世界のほかの国のということでしょうか?
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はい。日本は資源や製品を大量に海外から輸入していますが、そのサプライチェーンの過程で環境破壊を引き起こしています。また、日本で排出される二酸化炭素は、気候変動の原因になり、その影響は海外に及びます。
- Q. 私たちは持続可能で幸せな社会にしたいと思っているわけですが、「持続可能で幸せな社会」と「経済成長」はどういう関係でしょうか
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経済成長を追い求めることは、「持続可能で幸せな社会」につながらないと思います。まず、「持続可能な」の部分ですが、地球の有限性を考えれば、永遠の経済成長とは両立しません。「幸せな」の部分も、さっきお話した心の問題の観点から難しいかなと思います。
だからといって、経済成長をやめたら、持続可能で幸せな社会を実現できるかと言うと、それはわかりません。経済成長をある程度のところでやめることは、持続可能で幸せな社会の必要条件であって十分条件ではないと思います。次の乗り換える舟を準備していない段階で成長をやめてしまったときは、もっと悪い社会になるかもしれません。
どうすればいいかは難しいですが、理論的な研究と同時に、地域での様々な取り組みなど、できるところから徐々にやっていくのが大事かと思います。乗り換える舟を徐々につくっていって、できるところから乗り換える。経済成長からも離れられるようなシステムをつくっていって、だんだん離れていくというのが、持続可能で幸せな社会をつくる道かなと思っています。
- Q. 明石さんが大学やいろいろな所でやっていらっしゃる活動は、そういう意味では、乗り換える舟を探したりつくったりする活動ということですね?
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はい。つくるまでは、なかなかいかないでですけど、乗り換える舟を探している段階です。そのなかで見えてきたのは、貨幣経済に依存しすぎない暮らしの中にヒントがあるということです。最近、大学のゼミの活動で、長野の村を訪問しました。そこで地元の猟師さんや地域の方の生活を伺ったところ、「貨幣経済」だけでなく、自分で野菜や鹿を獲ったり、手仕事でものを作ったりする「自給経済」、自分で作ったものや自分の能力を提供しあう「贈与経済」が成立していました。このような3つの経済のバランスの中に持続可能で幸せな社会があると思います。このような暮らしをヒントにして、都市社会を含め、持続可能な社会の在り方について考えるのが現在の私のテーマになっています。あと、教育活動を通じて、次の舟を将来作れる人をつくるというのも、もうひとつのテーマです。
インタビューを終えて
「経済成長は必要か?」について、「望ましいから必要」「今のシステムを保つために必要」という2つの必要性から考える、という視点がよいなあと思いました。また、最後の「乗り換える舟」を作れる人をつくるための取り組みも素敵だと思います。
取材日:2014年6月19日
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