100人それぞれの「答え」

写真:秋元 圭吾さん

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地球環境産業技術研究機構 システム研究グループ グループリーダー・主席研究員

秋元 圭吾(あきもと けいご)さん

経済成長は無限に必要です

Q. 経済成長とはどういうことでしょうか

経済成長を測る指標はいろいろあると思いますが、GDPはいい指標だと思います。問題はたくさんありますが、「計測できる」という意味では、経済の動きを表す1つのいい指標だろうと思います。

ただ、それでわれわれの経済活動を全部測れるのかと言うと、そうではないし、持続可能な発展や幸福感を測れるかと言うと、そうでもない、ということは認識しないといけない。ほかの指標も考えるべきだと思いますが、一長一短があり、今のところ、「経済成長を測る」という意味では、GDPはいい指標ではないかと思っています。

Q. 「経済成長」とは、「GDPが大きくなること」という理解でよいでしょうか

GDPが大きくなるということは、経済成長の1つの重要な指標ではないかと思います。

ただ、現在の「経済のサービス化」などの中で、計測し切れていないものが、だんだん大きくなってきているという感じはしています。これまでもGDPの計測方法の変革はされてきていますが、改定していく必要がありますね。

Q. 経済成長は望ましいものですか? それはなぜですか?

望ましいものだと思っています。われわれは経済成長を目的に動いているわけではないですが、みんな幸せになりたいと思って行動しているし、効用が高まるように行動しているのだと思います。みんなそれぞれ「満足したい」「効用を高めたい」と行動し、それが集まって、われわれの社会ができている。昨日より明日のほうが幸福でありたいと思って行動した結果として、計測可能な形でGDPが計測されているだけです。GDPを高めるために行動しているわけではない。「結果としてGDPが計測されている」ということだと思います。

最近、日本などでGDPの成長が止まってきているのは、われわれの幸福と、計測されているGDPが一致しなくなってきているからだろうと思います。「結果としてのGDP」と「われわれがそのために行動している幸福」が乖離してきている。だからGDPの成長率は高まっていない。

GDPという計測できるものとは違う部分で、われわれの効用が発生してきています。GDPは、モノの動きや取引に関しては計測しやすいですが、そうでない部分は計測しにくいところがあります。みんながモノには満足してきている結果、われわれの思いはモノとは違うところにある。そのミスマッチのようなものがGDPの低下を生んでいると思います。

われわれの要望に対して、産業やサービスがしっかり提供できれば、イノベーションが生まれ、それによってわれわれの幸福が増してくる可能性があります。

産業革命以前、あまり経済が成長しなかった中で、イノベーションによって、「こんなこともできるのか」という欲求が生まれてきました。それが逆に、環境問題も生んだわけですが、そうはならないイノベーションのしかたも十分にあるでしょう。

われわれがモノではない別のところに効用を感じるようになるなら、それに対する供給側のアイデアも出てくると思います。その中で、われわれの要望と、産業やサービスの提供するものがマッチングし、さらに、それが環境にもよい形でマッチングする可能性もあるでしょう。

現在は、GDPで測れるような要望と、実際の産業のモノなどの供給がミスマッチし始めているから、先進国などでGDPの成長が止まり始めている。イノベーションがうまくマッチするようになれば、GDPは上がっていきます。それは別に悪いことではなく、単にわれわれの「幸せになりたい」「満足したい」という思いとマッチするということなので、いい方向はつくり出せると思います。

そういう意味で、経済成長自体は必要で、あったほうがいいと思います。

Q. 経済成長は必要だ、ということですね

政治家も選挙で選ばれており、われわれは幸福になるような政策を打ってほしいと思って選んでいるわけです。政治家も、そういう中で政策を決めているし、官僚もそれに従ってそういう政策をとろうとしているので、必ずしも「GDPを高めるための政策」をとっているわけではないと思っています。

政策パッケージを全部見れば、経済政策も打つけれども、所得の再配分が非常に重要です。所得の再配分を行うことで、効率的に経済成長させながらも幸福感をならすことで、社会全体での幸福を高めようとするものです。

所得の再分配を強くし過ぎれば、経済効率性が損なわれ社会全体の幸福感も却って低下するので程度が重要ですが、所得の再分配無しでは、社会の幸福感は高められないので、高所得の人から高い税金を取って、低所得の人に社会保障を通じて回そうとし、老後の安定などを考えて社会保障で配分するわけです。それによって社会全体の幸福感を高めようということです。

政治は、そういうことを目的としてやっていると思います。政治家も、別に経済成長を目的化しようというつもりはなく、社会もそういうことを求めているわけでもありません。

ただ、配分するための財源がなければ配分しようもない。そうなると、幸福感はどうしても下がらざるを得ないと思うんですね。

どういうことかと言うと、人間は欲深いので――欲深いからこそ、イノベーションも生まれるし、幸せになれるという面もあるので、いい面もあるのですが――、今もらっている所得より来年の所得は多くありたいと思う人が多いわけです。同じだと満足しない人が多いんですね。

プロスペクト理論などでもよく言われるように、参照点が変わるんです。たとえば、今年500万円もらったとすると、人間は期待値としてたとえば「来年は550万円もらいたい」と思ってしまうのです。500万円しかもらっていない人は「1,000万円」と聞くと「いいな」と思うわけですが、1,000万円もらった人は、次の年は1,000万円では満足しなくて、1,100万円もらいたいと思う。大多数はそうなるわけです。

1度1,000万円もらって、翌年800万円に落ちたとします。500万円の人から見たら「800万円で十分じゃないか」と思うのですが、本人はそうは思いません。800万円に落ちれば「残念だ」と思う人が大多数だと思います。

GDPが下がるということは、基本的には、所得水準が下がるということにほぼ直結します。そうしたときに、われわれは最終的な目的である幸せをどうやって上げていくのか、ということです。人間の欲望が変わらずに、「来年も同じでいい」と思うのなら、所得が上がらなくても満足しますから、所得が上がる必要はないのですが。

参照点が毎年上がっていくと、幸福感を高めるためには、所得も上がらないといけないし、そのためには、経済成長しないといけないことになる。そうすると、幸せであるためには、経済成長がある程度必要であり、そういう循環がつくり出されるべきだと思っています。

もう1つ言えば、プロスペクト理論にも関連しますが、「1度ある状況になったあと、下がることに対しては、非対称」と言われています。「上がるときは、満足感はあまり上がらないが、下がるときは、非常に満足感が下がる」ということは、調査結果としてはっきり出てくるので、確かではないかと思います。

そうすると、われわれ人間は欲深いもので、そこに対して経済を成長させていくメカニズムをうまく働かせないといけない、というのが1つです。しかも、参照点の変わり方では、自分以外の周辺との比較が重要になってきます。みんなが貧しければ、それが当たり前だと思うので、あまり不幸だと思いませんが、まわりがみんなお金持ちだったら、不幸感が強くなるわけです。

つまり、日本だけが一定で、海外はすごく金持ちになっていくとしたら、日本の満足感が一定かと言うとそうではなく、他国が上がってきたことで、相対的にわれわれの不幸感が高まってくるでしょう。

バブル以降、日本経済は発展していませんが、バブルのころと比べると、不幸感を多く抱いていると思います。全体的に見ると、GDPはそれなりに上がっているわけですが、海外との相対的な面では地盤沈下しているので、日本の満足感・幸福感は下がってきているのだと思います。

経済成長することで、ほかの貧しい国の所得が上がって、貧しくて教育も受けられない、人間らしい生活ができない、死亡率が非常に高いといった状況が少しでも改善されて、みんながよいレベルの生活を送れることは、世界全体にとっては非常によいことですから、別に悲観することはないと思います。経済がだんだん収れんしていくのは当然のことで、世界全体にとっては好ましいことですから。

しかし同時に、日本人の満足感が高まらなくなってきたということでもあると思うので、そういう意味で、われわれも成長するような政策を打たないといけないと思うし、経済は成長させていくべきだと思います。だから私は、経済成長は重要だと考えており、「経済成長しなくてもよい」という考えは持っていません。

ただ一方で、経済成長の「質」は考えるべきだと思います。「これまで蓄積していた環境やエネルギー資源などを浪費しながら経済成長につないでいる」というところは問題です。そこを、すぐに止めることはできない。それをすれば、われわれの幸福感はすごく落ちるので、すぐにはできないけれど、なるべく延ばすような政策を打つべきだと思います。われわれの孫やその先の世代まで、持続的に幸福感が高まる政策を打つべきだと思っているので、そういう面で、経済成長の「質」は変えていかないといけない。

GDPはフローですから、ストックがあまり大きく減少しない形での経済成長へ、じょじょに変えていく政策は、間違いなく必要だと思います。ただ、経済成長自体は必要だし、望ましいものです。

Q. 必要な場合、いつまで、どこまで、必要でしょうか

無限です。持続的な経済成長が必要であり、そのために、いま一部は我慢して、少し経済成長を落とすことはあり得ると思います。経済成長自体は必要だけれども、将来の経済成長のために望ましいのであれば、いま若干我慢することはやるべきだと思います。ただ、経済成長は無限に必要です。

経済成長の質は変わっていくべきだと思うし、変わっていくだろうと思います。われわれが欲しいモノやサービスは、われわれが欲深いからこそ変わっていき、満足すれば、別のサービスや心の満足などを求めるようになってくると思いますから。ただ、モノでも、また新しいモノが出て来たら、全然違うイノベーションが生まれれば、また欲しいと思うでしょうね。そういう中で社会も成長していきます。

満足してくると、最後まで健康で、元気で生きたいと思うわけですね。そうすると、高度な医療を提供するものにはお金を払いたいと思うわけで、そういう技術開発のイノベーションに対して、お金が出てきます。

そうすると、それはGDPの成長につながります。そういったイノベーションは別に悪いことではないし、死ぬ直前まで元気で生きたいという要求は悪いことではないと思います。そういうものが経済成長の原動力の1つになることは十分あり得るし、そういう社会になっていくのではないかと思います。

たとえば、自由に飛び回れるモノが出てくれば、うれしいと思うかもしれませんよね。車で移動するより、サッと飛んで好きなところに行けるとしたら。今はそんなものはつくれないと思っていますが、技術のイノベーションでそういうものが出てくれば、「これはいい」と思うでしょうし、それ自体は悪いことではありません。

ただ、願わくば、エネルギーを使わず、ストックを使わない、環境によい技術のイノベーションであってほしいなと思います。

Q. 経済成長を続けることは可能ですか、それはなぜですか

可能だと思います。環境問題が出てくれば、それを解決したいと、知恵も出てきています。昔であれば、馬車が移動手段でしたが、糞が多く、衛生上良くないし、たくさんの距離を多くの人が移動しようと思うと、CO2の問題よりよほどすごい環境問題だったわけです。それを解決する形で、自動車が出てきて、距離も稼げるし、速く行けるし、多くの人を運べる。もし同じことを馬車でやろうとしたら、すごい環境問題だったでしょう。こういう技術のイノベーションによって、環境問題も解決しながら、われわれの満足感を高めてきました。

自動車でも、CO2が少なくなるイノベーションを起こしてきています。知らず知らずのうちに、環境に配慮しないと満足感を高められないとどこかで思っているから、みんなでCO2問題に取り組もうという思いを持ち、その中で新しい知恵を出して、いいイノベーションが起きてきていると思います。今後もそれは可能だと思うし、今後も絶対にわれわれはやっていくと思います。

もちろん、短期的に考えると、その問題に対して手を打つのが遅れてしまっているので、少しでも早くみんなに認知させるための政策が必要だったりします。それも、われわれの知恵で解決していける話だと思います。われわれはずっとそういう歴史をたどってきたと思いますので。

「何もしなくていい」とはまったく思っていません。大きく手遅れにならないうちに、早めに対策をとっていかないといけないと思います。それはできると思います。人間というのはなかなか賢いもので、そういう状況に置かれると、みんなで知恵を出し、少しでもいい形に進んでいきます。その中で成長は続けて、です。イノベーションによって成長を続けていけると思います。

Q. エコロジカル・フットプリントで言うと、地球1個分を超えていますよね。イノベーションによって「原単位」の削減はできると思いますが、経済成長が続くとす ると、「燃費は良くなったけど、走行距離が増えると、必要なガソリンは増えるよね」という話と同じく、絶対量としての必要なストックやエネルギー、CO2 の排出量は増えていくと思います。今のお話は、「経済成長で増える分を上回るイノベーションが起こり続ける」ということなのか、それとも「ストックやエネ ルギー、CO2排出量にはまだ余裕があって、現在後手に回っている部分を含めても対応できる」ということなのでしょうか

基本的には経済成長で増える分を上回るイノベーションが可能だと思っています。また、油断すべきではないと思いますが、まだ時間の余裕はあるとも思っています。ただ、いっぺんには解決できません。原単位を改善しながら、絶対量も押さえるという方策は十分あります。

省エネの「リバウンド効果」と言われますが、リバウンドは間違いなくあるし、リバウンド効果を無視すべきではないと思いますが、ただ、最近の研究からでも、「省エネすると、3割くらいはリバウンドがあるが、残りの7割くらいは量が減る」という評価がけっこう多くあります。

そういう面では、原単位の改善によって、量も減らせると考えています。もちろん、リバウンドで走行距離が増えるというのはあるかもしれないけど、運輸ではそんなに増えることはないので、原単位を下げれば、基本的には下がる部分はあると思います。

確かに、途上国などで人口が増えているところがあります。今の日本や先進国が使っているモノを「使うな」と言っても、われわれのエゴでしかありませんから、しばらくは人口が増える中で、CO2なども増えることは仕方ないと思います。

そうは言っても、人口がいつまでも増えるとは思っていません。「経済が成長すれば、人口の成長は止まる」というところは、はっきり強い関係があります。マルサスは「人口の指数関数的な成長」と言いましたが、それは実際には起こっていないし、今後も起こらないと思います。

経済が成長すれば、人口も抑制され、今後人口が劇増することもなくなり、その中で、世界的なCO2も抑えていけると思います。

ただ、何もしないと、かなり危ない状況になると思うので、早めに政策的に誘導していかないといけないと思います。

Q. 人口はあるところで安定したと仮定して、「CO2の総量=人口×1人当たりのGDP×GDP当たりのCO2」ですよね。「GDP当たりのCO2」を、技術やイノベーションによって減らしていく、というのが原単位の改善ですね。人口が一定としても、経済成長すると、1人当たりのGDPは増えますよね。そうすると、「1人当たりのGDP」の伸び以上に、技術の革新をしていくということですね? ティム・ジャクソンの計算を見ると、経済成長をずっと続けようと思うと、技術革新をずっと続ける必要があり、GDP当たりのCO2を現在の20分の1とか50分の1などにしていく必要があり、その先も,経済成長を続けるなら、ゆくゆくはGDP当たりのCO2は、ゼロどころかマイナスにならないと引き合わなくなります。どう考えたらよいのでしょうか?

先進国では、CO2は増えなくなってきています。もちろん対策を打った効果もありますが、そうは言っても、GDPは上がっています。日本の成長は悪いですし、欧州も最近ちょっとふるいませんが、それらは短期の傾向でしかなく、米国などを見ると長期的にGDPは上がってきているが、CO2は抑制されています。それは可能だということだと思います。

世界全体のCO2は、すごく増えてきました。一番は中国です。中国で何が起こったかと言うと、鉄とセメントを大量に作っている。その影響がすごく大きいのです。鉄とセメントがなぜ必要かと言うと、インフラ整備のためです。

では、今後もそれが続くかと言うと、そうではありません。日本にも鉄とセメントをすごく増やした時期がありました。インフラ整備の時に、それが必要だったのです。今後はおそらくインドも続くでしょう。

鉄とセメントはインフラのために必要なものであり、CO2削減は難しい分野なので、ここに関しては、しばらくはインフラ整備のために必要だと考えざるをえませんが、ただ、そこを過ぎてしまえば、そんなにCO2を出すような産業は多くありません。

あと大きかったのは運輸部門で、運輸部門も削減は難しいと言っていましたが、技術のイノベーションによってかなりCO2を減らすことは成功してきています。日本では減りつつありますし、米国でさえ、運輸部門のCO2は飽和して減少の傾向です。

技術のイノベーションもありますが、われわれの興味がだいぶ変わってきたこともあります。私が学生のころは、みんな「車に乗りたい」と強く思っていました。しかし、今の若い人たちはだいぶ変わってきて、スマホなど別の趣味に興味を示して、そちらで幸福感が増すようです。

そういうふうに、求めるものがエネルギーを大量に必要にするものではなくなってきている。スマホでももちろんエネルギーは必要ですが、付加価値に対するエネルギー、GDP当たりのエネルギーやCO2は、だんだん低減する方向です。われわれの興味が移りつつあるので、それに可能だと思います。

これまでのことを短期的に見ると、確かにおっしゃられる通り、GDPを上回るような形でエネルギーを使って、CO2も出してきたわけですが、今後はじょじょに削減できると思っています。

ただ、削減の度合いを加速していかないといけないと思います。劇的な政策をとると、GDPまで抑制されてしまい、GDPをあまり大きく落としてしまうと、われわれの幸せ感は損なわれてしまうので駄目ですが、そうではない範囲で、なるべく脱炭素化や脱エネルギー化を加速していくべきだと思いますし、できると思います。

Q. 経済成長を続けることに伴う犠牲はありますか、それはなぜ生じるのですか

安易に経済成長をしようと思うと、持っている資源を使ったほうが成長率は高い。これまで、そういうことをやってきたのですね。持続可能でない形で資源を使ったり、ストックを利用してきたところがありますから、それを抑えることは重要だと思います。

ただ、いっぺんに抑えるのは難しい。われわれは1度そういうものをうまく使って幸福になっているのを、いきなり「使わない」と言っても難しい。最終的には、われわれが長期的にどう幸福になるかが目的なので、そこを大きく阻害するような形で急にやめると、幸福感が損なわれる。ですから、ストックを浪費しないような対応策をじょじょにとっていくべきだと思います。

Q. 経済成長を続けてきた犠牲は、ストックの浪費ということでしょうか?

はい、それもあります。これまでは、そういうストックを元に経済成長してきたけれども、ずっと続けることは不可能だから、変えていかないといけない。じょじょにやめていくべきだと思います。

ただ、一部は活用せざるを得ませんし、せっかくもらった資源でもあります。地球が長年培ってくれた資源の下で人類は生まれ、人類はそのおかげで、昔に比べると、死の恐怖からだいぶ解放され、幸せになってきました。そういう意味では、地球の恵みを享受できたから生きていられるので、そういう面では、ありがたく資源を使うということですね。

食料でも、魚や肉などを食べながら、われわれは生かしてもらっており、それを全部やめろというのも無理です。化石燃料資源にしろ、ほかの資源にしろ、環境にしろ、ありがたいと思いながら使うけれども、なるべく持続可能な形に変えていくように努力しないといけない。そこもバランスだと思います。

Q. 再生可能な資源はありがたいと思って大事に使い、再生するように守っていればずっと使えると思いますが、化石燃料や鉱物資源のような再生不可能なものは、ありがたいと思って節約したとしても、ちょっとずつでも使えば使うほど減ってきますよね。長い時間軸で考えたら、どこかでなくなってしまいますよね。そのときまでに、そういうものが要らなくなるくらいまで、技術のイノベーションが進んでいるという見通しですか?

そうです。化石燃料資源などは、それなりに存在していると思います。最近はみんな「シェールガスによって、ようやく分かった」と言っていますが、ただ、前から、石油メジャーの人たちは「あるんだ」と言っていました。ただ、「ある」と言うと値段が下がるから言わない。株主からは「資産がいっぱいあるなら、株主還元しろ」と言われる。埋蔵量を確認してしまうと資産になるので、あえて確認しないようにしているという話は昔からありました。

シェールガス以外にも、シェールオイルもそうですし、たくさんあります。もちろん、有限で、いずれはなくなりますが、資源開発の余地があって増えていく部分があると、相当長い期間があります。その間に持続的な再生可能エネルギー等の技術開発していくことが重要です。

慌てすぎると、われわれの幸福感を減じて、将来の幸福感も減じる可能性があります。私はよく、環境NGOの方から「孫のことを考えていないんですか」と怒られたりもしますが、私ももちろん孫や将来世代のことを考えています。今、経済成長できないと、将来の資産を減らすことにもなるので、そこも含めて、トータルとして見たいと思います。焦りすぎると幸福感を下げるので、焦らないようにしながら、ストックの浪費を抑えていく手段を講じないといけないと思います。

Q. 一方で、化石燃料の埋蔵量は、未確認分も含めて、何百年か分からないけどあるとしても、ジム・ハンセンなどは、CO2側の吸収源の問題で、全部を掘り尽くすことは不可能だと言っていますよね。CO2吸収源のストックはどのような見通しですか?

私も、化石燃料資源の制約よりCO2問題のほうが大きいと思っています。「資源のほうが先になくなるから、CO2の心配はしなくてよい」という話をする人もいましたが、最近はあまり言わなくなりました。みんな、資源があるのはわかってきましたから。私は前から、CO2問題のほうが重要だと思っていました。

ただ、よく議論になりますが、では「2℃目標」なのかと言うと、私はもうちょっと柔軟性があってもよいと思っています。もちろん2℃に抑えられればよいですし、技術開発でできるのであれば、そうしたらいいと思いますが、地球のキャパシティとか、われわれの適応の余地などは、もうちょっと柔軟ではないかと思います。

ただ、「4℃」では非常に危険なので、4℃のような世界は避けるべきだと思います。われわれが温暖化問題に無関心でほっておけば、絶対4℃になる。化石燃料資源はいっぱいあり、そちらのほうが安いですから、放っておけばそうなります。

だからこそ、技術開発で少しでも再生可能エネルギーのコストを下げる政策は必要だし、CCSも必要かもしれない。ただ、CCSについては、自分が所属している研究所(RITE)で研究開発しているからこそ、慎重に見ないといけないと思っています。そんなに期待しているほどできるのかということです。私は、CCSは絶対必要だと思いますが、IEAの2℃シナリオなどによく出ているほどの量のCCSができるのかと言うと、できないと思っています。

そうすると、2℃よりももう少し高めのところでCO2を抑えながら、もう少し長期を見ていくことです。私の視点からすると、それくらいの余裕はまだあるのではないかと思っているので、そこのバランスをいかに図るのかが重要だと思います。

ただ、不確実性がたくさんあり、厳密なことは言えないので、リスクヘッジのオプションをたくさん持ちながら、できることを順番にやっていくことかなと思います。

Q. 日本がこれまで経済成長を続ける中で失ったものがあるとしたら何でしょうか?

優等生的な答えをすれば、環境を破壊しながら経済成長した部分は間違いなくあると思うし、失ったと言えばそういうものを失ったのだろうと思います。

ただ、世界や人類は変わってきているし、環境も一定ということはないと思います。過去の環境が絶対に良かったのかと言うと、それも価値観の問題でしょう。原生林があり、沼があったこの辺を埋め立てたわけですが、昔の環境が絶対に今よりいいのかと言うと、私としては「そうだ」と自信を持って言えません。

過去、何百万年とか何億年の歴史の中で、地球は変わり続けてきているので、「変わらないこと」が絶対的な正義かと言うと、そうは思わないのです。

その中でのトレードオフなので、われわれが幸せになろうと思ってやったことで、別のところで失われてきた部分があっても、それは仕方がないところはあると思います。批判されるかもしれませんけど。

ただ、なるべく予測していきたいと思っています。これまで予測していなくて失敗したものがありますから。だからこそ私は、システム分析という自分の研究分野は非常に重要だと思っています。

トレードオフがあり、よい部分と悪い部分とがあるので、きちんと予測しながら、よい部分と悪い部分を両天秤にかけながら意思決定すべきだと思っています。悪い部分が見えないまま、よい部分だけだと思って、やった後になって失敗した、というのは避けるべきだと思いますから。

経済開発しか頭にない中でやってしまって、後悔した、というのは、事例としてはたくさんあります。そういうものは、今後はなるべく避けるようにしていきたい。

ただ、全部を土俵に載せて、トレードオフの問題として考えたうえで、それでもやはりこちらをとるということであれば、自然環境を未来永劫そのまま手付かずにしておくべきと考える必要もないと思っています。

Q. 極端なトレードオフを考えると、「私たちの幸せやそのための経済成長」がこちら側にあって、「人間以外の種の絶滅」があちら側にあったとき、システム解析をして、「このまま経済成長を続けると、この種がいなくなる」ということわかったとき、それでもみんなの意思決定で「私たちの幸せのほうが大事」と言えば、それが許されるのでしょうか。どう思われますか? もう1つ、その「みんなの意思決定」とは、誰がどのようにやるのでしょうか?

人によってどう思うかはさまざまだと思いますし、それが健全だと思います。画一的だと怖いですから。「シロクマが何頭死ぬ」とか「この種はどう絶滅するのか」という情報の下で意思決定するのであれば、社会の意思決定となります。

ただ、それが将来にわたって何を意味するのかは、きちんと議論しないといけないと思います。それをした上で、それでもこちらをとるということであれば、正当化されると思います。

過去に絶滅した種は多いですし、全部を守ることは難しい。人間活動だけではなく、別の理由でも絶滅していく部分もあると思います。そういう面では、それを悪だとは思いません。批判される方がいるのはわかりますが。ただ、そういう意見の多様性を認めることは重要だと思います。

ただ、意思決定しないといけない。意思決定するとき、難しいところはあると思いますが、情報を隠さず全部話題に挙げることは重要ですし、特定の業種や業界など、特定の利益集団の意見ばかり聞かないことだと思います。みんなに同じ権利があり、国民、場合によっては世界全体、地球全体に生きるみんなのことを考えながら、意思決定すべきだと思いますし、透明な意思決定のプロセスが重要だと思います。

それを経た上で決めるのであれば、その方向を尊重すべきだと思います。「何が何でも環境やほかの生物を守る」というのは、ちょっと賛成しかねます。

Q. そういう社会的な意思決定のプロセスや方法論は、これまであまり存在していませんから、これから作っていかないといけないんでしょうね

徐々にそのようになってきていると思います。社会が民主化して、一人ひとりの個を大事にするようになって、成熟した社会になってきていますから。途上国より先進国のほうが進んでいますし、日本よりもっと進んでいる国もあると思いますが。民主主義の中で個を大事にしながら、意見を尊重しながら、ですね。

ただ、決めるところは決めていかないといけない。全ての一人ひとりの意見を大事にしていたら決まりませんし、社会全体の効用を損なう可能性があるので、どこかで決めないといけないときがありますから、そういうプロセスを経ながら、最後に意思決定をしていく。

これまで民主主義が成熟しない中では昔から、指導者が独善的に決めるとか、どこかの個別の意見だけを聞いて決めるとかいうことがありましたが、じょじょに社会が変わりつつあって、よい制度や仕組みを入れたりしてきました。われわれの英知の中で、「このような制度を入れれば、指導者も暴走しない」「いろいろな意見を聞くだろう」と、制度の改革やイノベーションはずっと進んできました。

そういうものは今後も進められると思うし、それもイノベーションだと思います。ただ、全部を聞いて決められないというのも問題だと思うので、よい決め方には、まだ研究の余地はあると思います。

Q. 「経済成長」と「持続可能で幸せな社会」の関係はどうなっていると考えますか

すでに答えた気もしますが、「GDPや経済成長は、結果でしかない」と思っています。幸せになりたいと思っていろいろやった結果、「こういうものが欲しい」「スマートフォーンが欲しい」「これにお金をかけよう」となるのです。

われわれは基本的に、所得が一定だとすれば、その所得をどう配分するのか、消費にどう回して、貯蓄にどう回すかは、「これだと満足して幸福になれるな」と無意識に思いながら、配分をしているのだと思います。その結果、GDPが決まってくるのだと思います。

「日本人は貯蓄が多い」というのも、何となく将来が不安で、将来に残しておいたほうが幸せになれるかなと思うから、貯蓄が多くなる。その結果として、今の経済成長につながっていないというと言われますが、それは悪いことではありません。われわれは幸せになりたいと思って貯蓄をしているわけですから。人によっては、「貯蓄を引き出させれば、経済成長してよい」と言いますが、そんなことはない。われわれは幸せになりたいと思って貯蓄するのであって、それこそがわれわれが幸せになる方策だと思っているということです。

ただ、間違った理解や思い込みでそう思っているのだとしたら、政府が是正してあげたほうがよいと思いますが。

私は「GDPや経済成長は結果でしかない」と思っているので、幸せとの関係という意味では、われわれは幸せになりたいと思っており、社会がニーズをくみ取って、それに対して企業もそういうサービスや製品を生み出せるようになっていく。

逆に言うと、GDPがあまり成長していないというのは、イノベーションのミスマッチのようなものがあるのだろうと思います。企業も、社会の要望や人々が何に幸福感を感じるのかということをうまくくみ取って、それに対するサービスを提供できたところが実際に成功しています。日本のバブル以降は、バブルの時に浮かれてしまった後遺症のために、なかなかそういうことに頑張れず、イノベーションができなかったのかもしれませんが。

われわれは、モノにはそれなりに満足して生きているので、物質ではない満足感ですね。スマートフォーンにしても、そのモノを買っているわけではなくて、中のサービスに対して高いお金を払っているのです。そういうものを、一歩先んじてイノベーションを提供できれば、経済は成長しますし、それは別に環境にとって悪いことでありません。「クルマでなくて、スマートフォーンのほうがいい」と、環境にもよい形になっている。そういう社会の変革の循環がうまくできる形になっていけばよいと思います。

もっとも、CO2問題などは遠いところであるので、一人ひとりの消費者や個人がいつも認識することはできませんから、いろいろな分析等を通じて事実を示した上で、政策的に誘導していくことは必要なことだと思います。CO2だけに限らず、持続可能な発展に関するものは全部そうだと思います。

Q. 今日のお話で繰り返し出てましたが、経済成長を測るのに、GDPは近似値であるけど乖離が起こってきているということですね

徐々に、全部の経済成長を測れていない感じになっているので、そこは学問的に修正していくべきところだと思います。

Q. 経済成長をGDPで測ると、「市場を通じて取引したモノ・サービス」ということになりますね。幸せにつながるのは、先ほどのお話のサービス化もその1つです が、そもそもモノを介さないようなものもありますよね。たとえば、キャンドルナイトを楽しむ、とか。経済活動が貨幣で測られるものだとすると、経済活動の 大きさと幸せと乖離していますね

それもあると思います。ただ、これだけ市場経済が大きくなっている中では、貨幣で価値を測っている部分は、圧倒的に大きいと思います。お金を介してモノを取引できるようになったのは人類の英知ですから、それは否定するより、その中でより良い測り方はあると思います。GDPは、金銭のやりとりがないと表れてこないですから。

基本的には、お金のやりとりの中で、「このサービスを買おう」「これを買おう」とか、「旅行に行こう」とか、「温泉は高いから、スマホのほうがいい」とか、自分が満足するものに対してお金を払おうと思うのですよね。それらがわれわれの満足感をつくり出しています。

Q. たとえば畑をやって、自分で食べるものを作って、おすそ分けを近所に配って、それで幸せになるという人もいますが、お金を介さないと、経済活動にはカウントされないのですよね?

そうです。

Q. そうすると、幸せの中でも、貨幣で測れる部分だけを経済活動として測っている。GDPで測れるのは一部ですよね

もちろん、GDPで全部測られているわけではありません。週末に子どもと遊ぶと満足感が高まりますが、GDPには出てきません。余暇時間があれば満足感は高まるはずですが、そういうものはGDPには表れません。幸せを別の視点で測る方法は研究されるべきだと思いますが、ただ、測定可能という意味では、GDPを無視する気はありません。

Q. 経済の立場でやっていらっしゃる方は、「GDPは結果でしかない」とおっしゃいますが、でも、一般的には、政治家にしてもマスコミにしても、「GDPを上げること」が目的化しているように見えます。GDPが下がると大騒ぎして不況対策を打ちますよね

おっしゃることはよくわかりますが、GDPが下がることは所得が下がることであり、所得が下がると満足感も減るので、政治家を突き上げて「景気対策しろ」ということになるので、そこはそれなりに幸せ感とつながっているのではないかと思います。

所得の再配分なども幸せにつながります。政治家は、必ずしもGDPを上げることだけをやっているわけではないです。言い方は悪いですが、政治家は票を稼ぎたいと思っているわけであり、票を稼ぐためには、なるべく広い人に満足してもらう必要がありますから。

ただ、所得の再配分をやりすぎると経済を抑制して、幸せ感を阻害するかもしれないので、どこのバランスがいいのかを見ているのでしょう。トータルの政策パッケージはちゃんと機能しているのではないかと思います。

Q. 幸福度のいろいろな研究に繰り返し出てくるのは、秋元さんも先ほどおっしゃった、「まわりとの相対的な地位で幸福を感じる」ということです。所得と満足感 がつながっているという話をされましたが、日本が、2%でも3%でもよいですが、経済成長するとしたら、平均的には、みんなのお給料が上がるわけですか ら、相対的には上がっていない。そうすると幸せを感じないのではないでしょうか? 他国とはあまり比べないと思うのですが、経済成長しても、自国内のみん なが上がるから、相対的には変わらず、幸せにつながらないのではないでしょうか?

そうかもしれません。みんなが上がると、それほど幸せ感を感じないのかもしれないですね。それは正しいような気はしますが、では、「一定だったらどうか」と思うと、先ほど言ったように、参照点が変わるので、「次の年はもう少しもらいたい」と思うのですね。そうすると、一定だとだんだん不幸せになってしまいます。慣れて当たり前になってしまうからです。一定だと不幸せになる傾向がある。

これで十分だと思う人ももちろんいると思うけど、一般的に言うと、慣れてしまうところがありますから、まわりが一緒に上がっていくのだとあまり幸福感は変わらないと思いつつ、若干上がってこないと不幸になるのでは、と思います。

もう1点。日本は人口が減っていくわけですが、その中で社会保障を考えると、ある程度経済成長していないと、高齢者を養えません。将来世代の負担が増えていくのは明らかですから、ある程度所得を上げておかないと、負担感がすごく大きくなっていきます。

Q. でも、同時に労働力が減っていくから、同じ規模のGDPを維持するだけでも大変になってきますね

ええ。大変です。人口が減って一人当たり所得が伸びたとしても、将来世代の負担が大きくなるか、高齢者にお金が払えなくなるか、社会としての幸福感は減る必然性があるような状況だと思います。

「所得の上昇がなくてもいい」「GDPの成長がなくてもいい」というのは、それに輪を掛ける形で厳しい気がしています。人口が減る中で、貧しくなるしかないのではということがあるかもしれないけど、少しでも緩和しようと思うと、一定の経済成長というか、一人当たりGDPや所得の上昇がないと、非常に厳しい状況ではないかと思います。


インタビューを終えて

地球環境産業技術研究機構は経産省の所管する研究所です。秋元さんと温暖化やエネルギーなどさまざまな委員会などでご一緒させていただくたびに、経済界や産業界の物の見方や考え方を教えていただいています。今回のインタビューでも、「本質的な解決策としての技術革新への信頼度」「地球を改変することへの許容度」など、経済や環境問題に対する「考え方」の違いを創り出す、いくつかの軸が浮かび上がり、とても勉強になりました!

取材日:2014年6月18日


あなたはどのように考えますか?

さて、あなたはどのように考えますか? よろしければ「7つの問い」へのあなたご自身のお考えをお聞かせ下さい。今後の展開に活用させていただきます。問い合わせフォームもしくは、メールでお送りください。

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