100人それぞれの「答え」

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男性 60代 さん

経済成長を続けることは可能です。人類には知恵があるからです

Q. 経済成長とはどういうことでしょうか 何が成長することですか

「経済成長」を経済学ではどうとらえているかと言うと、われわれの価値の全部ではないが、経済的価値を尺度としてとらえたものだということです。

では、経済的価値を測るのはなぜか? 本当は「豊かさ」が「心の豊かさ」まで含めて測れればよいのですが、いまのところ客観的で十分な測定ができないため、「経済」あるいは「経済的豊かさ」という観点で測っている尺度が豊かさを測る尺度の代替になっているということです。

経済的な付加価値とは、「経済的に新たに生み出される価値」です。経済的付加価値が増えれば、それだけ人の「経済的豊かさ」は増えます。「経済的豊かさ」とは、モノ(有形無形)、カネが増えること、みずからの価値(経済的な価値)が上がることです。経済的価値は1つの尺度であって、これがすべてではないことは、経済学者も認識しています。

経済学者は、「今のGDPは経済的価値を計測するにも不完全だ」という見方であり、GDP自体も何年かに1度、測定する項目の改定、充実がされています。たとえば、「投資」にしても、機械への投資は把握できますが、ブランドやノウハウへの投資や、グーグルのような企業の資産の測り方は難しい。

しかし、そういうものが経済の中で大きなウエイトを占めるようになってきています。そこから広がっている豊かさをとらえようと――心の豊かさまでは至っていないですが――、「無形資産」という形でそういうものもGDP統計に組み入れられるようになっています。「世の中で価値を持つものが客観的にとらえられるのであれば、入れていきます」ということです。

もっとも、いくらGDPを充実させても、それは経済的価値の計測を精緻にすることに他なりません。経済的価値をとらえて計測する「経済成長」以外にも、幸福指標といったものを測ろうとする試みも多数あります。ブータンの人々の幸福度は世界で一番高いなどと言われたりもしますし、日本でも旧経済企画庁が発表した「新国民生活指標」(通称「豊かさ指標」)などがあります。しかし、この「豊かさ指標」は実感に合わないとの批判があり、「豊かさ」を全体的に表示することはうまくできないのが現状です。まして、「心の豊かさ」となるとなおさらです。

Q. 経済成長は望ましいものですか? それはなぜですか?

皆が心までも豊かになる形で経済成長するのが望ましいですが、それは経済成長の仕方の中味の問題です。経済成長自体は、経済付加価値を尺度とした考え方で、ひとつの有力な指標です。したがって、経済成長の中味は問われますが、他に有力な「人の豊かさ」の客観指標と計測方法がない以上、経済成長という計測そのものが良いとか悪いとかは一義的には言えません。

むしろ、最低限の生活すらできない人がどれだけいてそれを減らすにはどうすればよいのかが分かるといった観点では、経済成長の把握は有益です。

「心が豊かになる形で経済成長する」といったとき、その具体的中味について一般化して言うことは、なかなか難しい。ただし、「毎日生きていくこと自体が厳しい人が、経済成長で仕事に就いて救われたり、生活が安定向上したりすると、その人の心も豊かになる可能性が大きい」ことがいままでの分析で知られており、それは良いことですよね。

一方、一部の人が富(これも経済統計がないと計測できない)を独占し、一握りの大金持ちと大多数の貧困者ができるような経済成長は望ましくありません。しかし、これは「経済成長」が悪いのではなく、「成長の仕方」が悪いのです。したがって、「経済成長は不要」「GDPは不要」ではなく、再分配政策や社会政策を動員して、どう成長すればよいのか、そして成長の成果をどう分配し、みながもっと豊かになるかが大事になってきます。

Q. 経済成長は望ましいものですか? それはなぜですか?必要な場合、いつまで、どこまで、必要でしょうか

経済成長が全世界の大多数の人々の心までも豊かにするのであれば、経済成長は必要不可欠でしょう。もちろん、心の豊かさまでも定量化できる手法が確立するのであれば、成長の計測方法も今のような「経済成長」を「GDP」で測るやり方を変えていかなければなりません。

経済成長が、どのような意味合いでも「必要なくなる」とすれば、それは、地球環境破壊等が進んで、それ以上は取り返しのつかないことをしないかぎり成長できなくなった段階です。あるいは、経済成長することが、世界中の大多数の人々にとって不幸せだと感じるようになったとき。もっとも、当面はそのような状況にはありません。

Q. 経済成長を続けることは可能ですか、それはなぜですか

可能です。それは、「地球の資源を浪費する余地が残っている」ということではなく、「人類には知恵がある」からです。"ホモサピエンス"ですからね。われわれの文明社会もそうですし、人類自体の発展も、まさに知恵の蓄積であり、イノベーションがあります。もちろん良い発展だけではないので、中味の吟味は必要ですが、発展などが続くかぎり、長い目で見れば経済成長の余地はあります。

その意味する中には、「より良い生活が、より少ないエネルギーや資源の消費でできるようになる」ということもあります。私はそれを信じています。

Q. 経済成長を続けることに伴う犠牲はありますか、それはなぜ生じるのですか

経済成長には大きな恩恵がある一方、犠牲ももちろんあります。地球資源を消費していき、少なくしていくことはその一つです。それが経済成長の1つの姿ですから。また、自然に平等に配分されるという形で成長する、そんなうまい具合にもなかなかなりませんから、適切な社会政策をとっていかないと、不平等の拡大が起きることを完全に止めることはできません。車の両輪のようなもので、両方が必要なのです。

Q. 日本がこれまで経済成長を続ける中で失ったものがあるとしたら何でしょうか

失ったものはありますが、得たものも大きいと思っています。戦後、海外から多くの日本人が復員して狭い国士と農地だけで皆を生活させられなくなった状況を打開したのは、傾斜生産方式に始まる経済産業政策であり、輸出振興政策であり、その結果もたらされた経済成長ですから。

当時、多くの人々が生きるか死ぬかの生活をしていました。実際に餓死者もあり、平均寿命は50歳台でした。乳幼児死亡率は高く、国民健康保険や年金制度は整備されておらず、まともな食事をとることができない人々が数多くいました。そのような事態から脱することができた背景に経済成長があったことは間違いありません。

他方、失ったものも「純粋だった心が虚ろになった現在が不幸だ」等いろいろあると思います。しかし、これは、経済成長が悪いのではなく、成長の仕方の問題であり、そのような成長をしてきた我々の意識の問題だと考えています。

敢えて失ったものがあるとすれば、経済成長あるいは豊かな経済生活を前提としてしまう慢心でしょうか。そして、何事も金銭を尺度とし、金銭が最も大事と思いこんでしまうことでしょう。もっとも、こちらについては、国際的に見て日本人にそのような人は相対的には少ないと思っています。もちろん、金銭が最も大事と思う人は日本にもいくらでもいますので、あくまでも「相対的に」ということですが。

とはいえ、相対的に少ないことにはいろいろな理由があると思います。日本人の考え方もあるし、これは大事にしなくてはいけないと思います。たとえば、「何のために仕事をしますか?」というとき、アメリカの中学校では「稼ぐため」と教えるのです。

日本人の多くは、「100%それだけではないだろう」と思うでしょう。社会に奉仕する、自分自身のため、自分を高めるためなど、人間が共同社会をしていく上で、あるいは立派な社会をつくっていく上で、規律や自己抑制、共生という考えなどは広く価値観として必要だと日本人の多くは考えていると思います。

それはそれとして、世の中には厳しい生活をしている人々が依然数多くいます。それらの人々を経済的にも豊かにすることは不要ではありません。もし、それを経済成長なしに所得再分配だけで実現しようとすると、豊かに生きている人々の生活水準を下げることになります。それが最も素晴らしいやり方とは言えません。

皆、働きに応じて負担をしています。高額の所得をもらっている人なら、相当税率の高い所得税がかかっても当然だと思います。ただ、完全に成長ゼロで「平等にすべきだ」となると、より大きく稼いで国全体を支えている人をつぶしてしまうことになる。

むしろ、格差がなるべく拡大しないように政策的に心がけながら、努力した人にはフェアな形で果実を分配する経済成長をすることが、豊かな人々の生活を毀損せず、厳しい生活をしている人々を豊かにする最良の道だと思います。

もちろん、「何がフェアか」という議論は、今後もしていかないといけない。今のところ、100%決まった考え方があるわけではありませんから。

ちなみに、近年主要先進国では格差が拡大しています。日本でも同様です。しかし、格差拡大の中味を見ると、アメリカと日本は違う形になっています。アメリカでは、高所得者の所得がさらに伸びる一方、中間所得層の所得が大して伸びない中で所得格差が拡大しています。一方、2000年以降の日本の所得分布をみると、年収500万円以上の所得階層全てで所得が減少しており、もっぱら増えているのは年収500万円未満の所得階層です。アメリカの場合でしたらいかに上位1%の所得層の所得を他の所得層に分配するかが大事ですが、日本の場合には全般的な所得底上げが必要で、それには再分配しつつも経済成長をしていくことが不可欠です。

Q. 「経済成長」と「持続可能で幸せな社会」の関係はどうなっていると考えますか

「経済成長」と「持続可能で幸せな社会」はイコールであるべきだし、「二歩進んで、一歩後退」のようなところもありますが、人類の知恵で徐々にその方向に進んでいると確信しています。その典型が、福祉国家です。

社会保障制度の充実も、19世紀後半以降に実現した人類の知恵ですし、「福祉国家」もこの100年以内で整備されたものです。また、持続的な成長を実現するための経済金融政策の精緻化や政策理論の発展も、どの時点からカウントするかの問題はありますが、実効的な政策を実施できるようになったのはこの100年ぐらいです。

「どのような経済体制を構築するか」という考え方を踏まえた経済成長をすることが大事です。実は、北欧諸国の福祉国家は、国民の富の不平等が世界で最も少ない方に属する一方、経済成長率が持続的に高いのですが、これは偶然両者が実現しているわけではないのです。国民がそのような経済社会を構築しようと努力してきた結果、出来上がってきたものなのです。

ちなみに、スウェーデンの付加価値税率は60年代まで4%程度しかなく、今の日本以下でした。それを、社会保障充実と所得再分配に回すことを念頭に、引き上げてきたことで、現在のスウェーデンがあります。一方、スウェーデンの充実した社会保障体制を維持するにはおカネがかかります。スウェーデンでは、その財源を経済を強くすることに求めていて、高い社会保障負担にくわえて充実した雇用と高賃金を実現できる収益力ある企業体質に求めているのです。ですから、意外かもしれませんが、スウェーデンは世界有数の社会保障の充実とアメリカ並みの競争的な市場経済とが併存している社会でもあります。

大事なことは、スウェーデンも別に昔から福祉国家だったということではなく、わずか数十年でつくった制度だということです。「われわれはどういう経済体制を構築して、国民がより豊かに感じる社会を維持・増進させるのか」には、経済成長だけでなくて、どういう経済体制の経済社会をつくるかという議論があるのです。それは国民の選択です。

スウェーデンは今、見事に財政黒字国です。それは、充実した社会保障の費用は全て今の現役世代が負担していて、次の世代に繰り越さないことが実現されていることを意味しています。また、国民の所得や企業の所得の7~8割を、保険料や税金で納めなくてはならないにもかかわらず、経済成長は日本より高い。成長率は日本どころかアメリカよりも高いのです。しかも、1人当たりの所得は、ドル換算するとアメリカより上です。これはスウェーデンにかぎらず、北欧の福祉国家の諸国はおしなべて、日本はもちろん、アメリカよりも1人当たり所得が多いのです。

日本の場合はどうなっているか? そういった政策をとってこなかっただけではなくて、枠組みがないまま、増税だ、高齢化だ、社会保障費がかさんで財政赤字が増えている、景気が悪くなれば支出増だ、産業界も支えなくてはならない、というように。場当たり的なことをやってきた結果、まだOECD諸国中では相対的に低いとはいえ、政府支出の対GDP比はじわじわ上がってきているのです。それでいながら、経済社会がどの方向に動いているかといえば、スウェーデンのような福祉国家の方向ではなく、自己責任が貫徹して国民皆保険もいままでなかったアメリカと同じような経済体制へ動いているのです。

たとえば、一人親世帯の相対的貧困率はOECD諸国中最も日本が高くなっていますし、高齢者分を除いた公的社会保障支出の対GDP比もOECD諸国中下位にあります。政府支出が増え、財政赤字もどんどん増大しながら、公的負担が少ないアメリカ型の経済社会に向かっているというのは、おかしいとは思いませんか。

政府支出がじわじわ増えていって、やがてスウェーデン並の大きな政府になって、われわれの税金が重くなるかもしれない。だけど、社会保障は充実していないとしたら、ばかみたいじゃないですか。

何十年もかかりますが、そういうことを考えていくことが必要だと思います。

ただ、スウェーデンのやり方が唯一かどうかはわかりません。先ほど言ったように、スウェーデンでは、社会保障を充実するためにお金が必要で、企業と国民から所得の7~8割を保険料や税金で集めています。

そして、保険料をいちばん負担しているのは企業部門です。5割以上は企業部門が払っています。つまり、さきほどもお伝えしたように、福祉国家を維持するには巨額の財源が必要であって、財源を賄うために企業は収益力を上げろ、強い企業になれ、という政策なのです。

ですから、つぶれそうな企業は助けないというスタンスなのです。だから、スウェーデンを代表する企業であるボルボもサーブも、みずからを支えられなくなったときに外国企業に身売りしたのです。スウェーデンでNo.1みたいな企業でも国は助けないのです。

それで何が福祉国家かと言えば、企業にあった雇用は助けます。ただ、日本のように、補助金を出すとかいろいろな政策で企業を潰さずに雇用を守るというやり方ではなく、「まともな雇用や賃金も出せないダメな企業は消えろ」と放置します。ですから、失業するのです。

実際、リーマンショックの後を見ても、スウェーデンの失業率はアメリカ以上に跳ね上がっているのです。「これでは福祉国家ではないのではないか」と思うかもしれませんが、雇用や人に対するセーフティネットの考え方が違うのです。

「失業するか、しないか」が問題ではなく、ダメな企業は退場させて、失業した人をもっとよい賃金・雇用環境の企業に送り込むところが国の責任なのです。このような考え方で政府が力を入れているのが、積極的労働市場政策であり、教育です。

だから、失業した人が、「自分は大学でこれを学んだけれども、もうこれでは駄目だ。大学院で勉強し直したい」と言うと、生活費まで出るくらいの奨学金が出ます。それで、勉強しながら生活できます。それが国としての務めなのですね。ノウハウや知識、資質を高めて、よりよい企業などに再就職しようとする人たちをバックアップするのが国の役割なのです。「失業する・しない」ではないのです。

このような政策が、企業部門でアメリカ並の市場経済になっているということにつながっているのです。優勝劣敗ですね。もちろんそこで働く人も大変ですが、働く人にふさわしいレベルは国が全面バックアップしてあげる。だからスウェーデンでは大学院卒の人も多いし、自営業やコンサルタントもとても多いそうです。これは1つの道ですが、私はここに惹かれます。

Q. いくつか質問させてください。本当は心の豊かさを測れればいいけれど、定量化はできない。経済的価値は測れるので、それを測っていますというお話でしたが、その場合、貨幣で測るということでしょうか?

そうです。ただし、IMFなどは、自国通貨で測ったGDPと、世界の基軸通貨である米ドルで測ったGDPと、各国別の通貨が持つ価値すなわち購買力平価ベースでのGDPを各国別に発表しています。また、実際のGDPとは別に潜在成長力も計測しています。

これらで示したいのは、「稼ぐ力」ですね。稼ぐ力があれば、より多く稼げる。貨幣所得が増えることだけが豊かになることではなく、心の豊かさは別にあったりしますが、今のところ、色々な貨幣所得の測り方を1つの尺度として豊かさを計測することは、まったく無益だとは言えないわけです。

Q. 戦後の日本や今の途上国など、食べられない人が食べられるようになると幸せになるように、経済的価値、つまり稼ぐ力が増えれば幸せが増える時代や地域はあると思います。でも、日本を含む先進国は、その時代を過ぎたのではないかと、幸福の研究者たちは言いますが、どうでしょうか?

とても大事なところですね。日本は、国土も狭く、資源もエネルギー資源もないのに、ここまで豊かになりました。歴史的に見て、資源があった国が必ずしも豊かになってはいないのです。資源のない国でも豊かになっているところがある。「何が違いをもたらしたのだろう」ということも、経済学者の研究テーマになっています。

色々な要因があって結論はでませんが、教育、世界の海を制覇するといったチャレンジ精神やグローバルに物事を見る視点、内外の競争の中で生産性を上げる努力、などが言われています。もちろん、適切な経済政策も不可欠ですが、これは一部の既得権者の利益に引きずられることなく、どう自国の置かれた状況をきちんと洞察できるかが大事なところです。

ただ、最近数十年の主要先進国経済で興味深いのは、1970年代以降のアメリカについて見ると、高成長を長期間持続していた時期が、だいたいバブル期だということです。日本の80年代バブルほどひどくありませんが、不動産バブルだったり、金融バブルだったり、ITバブルも90年代にありましたね、そういう時期に長期間良好な成長をしているのです。

直近はリーマンショック、いわゆるサブプライムローンショックですね。これは、金融バブルでもあるし、住宅バブルでもあります。その後、中央銀行が大胆な金融緩和策を続けていますが、「これはやめなくてはいけない」ということを、去年くらいからアナウンスしだしています。そのたびにマーケットが動揺するので、慎重に見極めてということで、今日まで来ているわけです。

これは何かと言うと、経済成長を回復すればよいというのではなくて、「今度は中央銀行バブルで無理な成長をしてしまうのはいけないよね」という意識です。バランスですね。

たとえば6月、欧州中央銀行がついに中央銀行への預託金利をマイナスにしました。マイナス金利にしたということは、「お金は余っているかもしれないけど、預けたら損するぞ」というメッセージです。

お金を預けると損するとしたら、そのお金を無理してでも、ほかの損しないところに回そうとするでしょう。そうすると、株に行くかもしれません。融資に行くとすると、従来だったら貸したくないような危ない企業に貸すことになったり、あるいはその先に、80年代の日本のバブルではないですが、企業が必要以上に不動産を買うことになるかもしれない。そういうひずみが出る可能性がありますが、これは結果論であって、どうなるかわかりません。

逆に言うと、マイナスの金利にせざるを得ないほど、今ヨーロッパは、成長がほとんどゼロだということです。国によっては3%のデフレです。ギリシャやスペインでは、失業率が25%を超えています。

1930年代の大恐慌時のアメリカの年間失業率が、最悪が1934年で、24.9%でした。失業率だけで見ると、世界史の教科書で見た、みすぼらしい格好をした人たちが食料の配給に並んでいるアメリカの大恐慌時のあの悲惨な状況を超えているのです。

だから、これは景気悪化というより大恐慌です。その中で、財政は緊縮、緊縮でやっていますから、財政収支はどんどん良くなっています。そうすると、マイナス金利でやるしかないと、中央銀行が思い詰めるのも、理屈としてはあるのです。ただ、後で「やりすぎた」となるのか、「それでも足りなかった」となるのかは、今日現在ではまだ評価できませんが。

いずれにしろ、バランスの取れない経済成長を長期間続ければバブルを起こし、反動がくる。他方で、過度の経済緊縮や財政健全化をすると、これもまた経済成長がなくなる。近年のアメリカや欧州での経済成長から見えることは、経済成長にはバランスが大事ということであり、バブルを起こすほどのことがないと長期間の高成長が達成できなくなっている最近の姿は、日本を含む主要先進国の稼ぐ力がかつてほどなくなっていることを示しているということです。

Q. 経済成長そのものが可能であるか、必要であるかについて、「日本の現在の財政赤字などを解決するためには、当面経済成長は必要」と短い時間軸で考えている人と、「経済成長は永久に続けられるし、永久に続けるものだ」と思っている人もいますが、どう思われますか?

「1人当たりが豊かになればよい、だから人口が減少している日本ではGDPはマイナス成長でもよいのだ」という理屈はその通りですが、今後数十年は、それが成り立たない可能性が強まっています。

なぜかと言うと、高齢化が進んでいるからです。少子化だけだったら問題ないのです。人口が減りながらも現役世代の割合が変わらないのであれば、1人当たりは豊かになっても、国の経済規模は小さくなるのだから、全体集計してマイナス成長でもいいじゃないか、というのはその通りです。

しかし実際には、高齢化が進んで、働いている人の割合が減っていくのです。これを勘案すると、全体がマイナス成長にならないためには働く人々が一層大きく負担を負うこととなり、一層稼がなければならなくなるということです。

しかも、日本経済全体がマイナス成長となると、企業も数を減らさなければ業容が維持できなくなります。そのとき、「売上が毎年落ちても従業員もそもそも減っているから良いではないか」と言い続けることができるのかは疑問です。上場企業では株価も落ちるでしょうし、世界の中での企業規模順位や存在感ひいては規模の利益に支えられる競争力も落ちていくことになります。

いずれにしろ、「高齢者の生活水準も現役世代の人たちの生活水準も落ちない」という前提で考えると、働く人々にとって「マイナス成長でいいじゃないか」とばかり言ってはいられないと思います。

人口動態は変えにくいので、今の状況だと、極端に移民を入れるなどしない限り、出生率が回復してもじわじわとしか効いてきませんから、今後30年・40年がどうなるかは見えています。

そういう中で、どうやって成長率を維持するか。これは大変です。あと20年くらいすると、1年間に人口は平均100万人ずつ減っていくことになります。高齢化のピッチを掛け合わせて考えないといけませんが、簡単に考えると、100万人分、要するに1%ずつGDPが下がるという状況が、毎年自然に起きるようになります。

しかも、高齢化が進んでいますから、高齢者への年金給付や社会保障を支えるために、現役世代はより多く稼がないといけなくなります。

経済成長をゼロと考えても、1%ずつ労働人口の減少で減る部分は何で稼ぐのか? 移民も限界があるでしょうから、無理して労働人口を増やすことはできません。

1つは、女性の活用です。現在の日本では、出産すると6割くらいの女性が退職します。出産後も働き続けられる環境をつくることで、中堅層の女性が働き続けられるようにする。今は女性の就職率は「M字型カーブ」ですが、フランスやスウェーデン並に「逆U字型」になると、300万人労働力が増えます。

これに女性の年層別の平均賃金を掛けると11兆円、GDPの2%強のかさ上げができます。もちろんこれは単純計算ですから、そんなに働く場所があるのかという議論もあります。

そういう議論に対して、女性が今まで家事労働としてやっていた部分を外部化しなくてはいけなくなりますから、そういう仕事は間違いなく増えてきます。

そういうことまでして経済成長したいのかという議論も、もちろんあります。今まで家事労働は、お金には換算されないが、大きな労力と価値が付いていますから、経済的価値は計算できるのです。外部化されていないから、表のGDPには出てきませんが。

「家事労働を外部化すればよいのか、実態は変わらないじゃないか」という議論も正しいですが、外部化することで、女性は働きつづけることができ、子育てができる。その稼いだお金で、教育、保育、家事労働の補助、外食・中食、マッサージなどの産業が広がることを敢えて否定する必要はない、ということですね。

さらに大事なのは、女性が仕事を辞めないということです。今なぜ女性の平均賃金が男性に比べて低いかと言うと、けしからん話ですが、女性は最初から幹部候補として採用されないという差別があることも一因です。

もう1つは、相対的に低賃金の非正規雇用が多いからです。最初は正規雇用でも、中途で辞め、後で復帰する時には、多くは非正規での復帰にしかならないことも女性の非正規割合の高さの背景にあります。「女性が正規雇用を続ける」ことが、女性が仕事をする上で一番大きなインパクトを持ちます。

従って、無理に働く女性を増やすのではなくて、「子どもが生まれても、子育てをしながら働きつづけられる」よう社会が職場環境を整備することで、働く人は相当増えるはずですし、結果として経済成長にもプラスになります。この点も敢えて否定する必要はないと思います。

あとは、仕事を続ける意欲のある高齢者にも仕事を続けてもらうことですね。女性の場合もそうですが、これは企業の責任も大です。そこは企業に対して「70歳まで働ける」しくみを義務化しないといけません。

女性も同じです。フランスでは、産休や育休でしっかり休んで復帰するとき「現職復帰義務」があります。これは法律で決まっています。たとえば、課長をやっていた女性が産休・育休に入り、数年後に会社に戻ったときは、同じ課長のポストに戻さなくてはいけない。

もちろん、そこから出世する人もいますが、ブランクの間に同じレベルの男性が力を発揮しており、追い上げるのが難しくなっているということもあり得ます。ですから、現職復帰義務等はあっても、フランスの場合は、役員になる女性の比率は、欧米では低いほうです。しかし、現職復帰義務などで、出生率は回復し、働く女性は増え、しっかり所得を得られるようになっています。

こういう社会はよいと思います。無理に人を増やすのではなく、人々の意欲や選択を生かす形で増やす余地がある所は広げていくということです。

もうひとつ、経済成長を考える場合には投資も大事です。グーグルやアップルが例かもしれませんが、人が欲するような魅力的なモノやサービスを創り出すための投資ですね。残念ながら、日本は欧米に劣後しています。数字でも明らかです。

日本の企業の機械設備の投資は、対GDP比で見ると、アメリカ以上です。この20年くらいの統計をみると、リーマンショックの後も大震災の後も、アメリカを下回ったことはない。

ところが、コンピュータソフトウエアなどの投資では逆転されています。「のれん」や「ブランド」など、捕捉しにくいものですが、GDPを見ると日本の無形固定資産はアメリカのようには高まっていません。

高速道路をもっと作る、整備新幹線を造るといったことは、もう投資効率を見ながら抑制すればいい話であって、大事なのは投資の中身なのです。日本は、ソフト力や、力を全体として上げるような投資を高めないといけないと考えています。イノベーションにつながる人類の知恵を高める努力を怠ってはいけない。

Q. 基本問題委員会の委員をやっていた時、日本のエネルギー政策はこれまでは国と業界が決めてきたけれど、3.11の後、エネルギーについての国民の関心と主体者意識が少しずつ出てきたことを感じました。経済体制について、スウェーデンのような国を目指すのか、アメリカなのかといった議論は、国民の間ではあまりないですね。

ないですね。「どういう社会をつくっていくか」について、90年代初めに、エスピン・アンデルセンというデンマークの社会学者が、国の福祉体制(福祉レジーム)を3つに分類しました。1つは社会民主主義型、もう1つは自由主義型、3つ目が保守主義型です。

どういう国を当てはめたかと言うと、1つめはスウェーデン、2つめはアメリカ、3つめがドイツです。ドイツの場合、宗教があり、イギリスに遅れながらも産業革命が育まれた国でもあり、かつ、家族という伝統的価値が北欧より残っています。

どういう社会をつくっていくかというとき、アメリカ型は、「自由が大事。その代わり、困窮する人が出ても面倒は最低限しか見ない」という姿です。スウェーデン型は、「国民が同意して高福祉高負担で社会を支える」という福祉国家です。ドイツ型は、従来からある宗教団体や中小企業、伝統的家族といった社会構造が社会を支える感じです。

もちろん、「どれが絶対」いう話ではないのですが、3つの類型の国を見てみると、それぞれ国民の意識や社会のあり方が理解しやすくなります。

アメリカでは、銃規制もできません。「自分の身は自分で守る」という意識が強いからです。オバマケアにも反対がけっこうあります。貧困層が数千万人もいるのに、なぜ大きな反対が起きるのかと言えば、「自分の責任で自分のことを律するのだから、政府の介入は極力なくしてほしい」という考え方になっているからです。

他方、スウェーデンでは、「自分たちが分担をして、自分たちをしっかり支えていく」という、社会保障の原点みたいな意識が強い。さらに、「一人ひとりが自立している」ことが強調される社会だと言われています。

子どもは自立しているから、家族に保育を任せるのではなく、保育所をつくり、学校を充実させ、子どもの面倒を社会が見ていくという姿勢を強く出しています。

大人になっても、女性は自立している。世帯主の男性に従うのではなく、自立している女性を支える社会の枠組みを、みんなのコンセンサスとしてつくっている。

高齢者も自立しています。だからスウェーデンの高齢者は、子どもの家に身を寄せるという人は少なく、自ら進んで高齢者用の住宅に行きます。よいとか悪いという話ではなく、国民がそういう意識でいるわけです。

ドイツでは、大変充実した女性に対する両立支援策を行っているにもかかわらず、出生率が回復しません。なぜかと言うと、やはり「女性は家庭にいるもの」という意識が強い。働きながら出産・育児という支援策を、同じようにやっていても、効果が他の欧州主要国とは違うのですね。

こういう中で、日本はどういう道を選ぶのか。日本の社会なりの仕組みがあってもいいのです。

Q. そういう議論が、これからもっと出てくるといいですね。

そう思います。

Q. マイナス面や犠牲の質問のところで、「地球の資源が減っていく」というお話がありました。経済成長を続ければ、それだけたくさんのものを地球から取り出して地球に排出することになりますね。それが、資源の面でも排出源の面でも、地球のキャパを超えてしまうと成長が続けられないですよね。まったく資源を使わない成長があり得ないとすると、経済成長はどこかで止めざるを得ない、もしくは止まらざるを得ないのでしょうか?

現在のような資源・エネルギー消費型の経済成長をいつまでも続けられないという意味では、それは事実ですね。ただし、今までの産業革命は、エネルギー革命を付随してきました。最初は石炭、次は石油、天然ガス、ウランでしたが、今、人間が手にしつつあるのは、再生可能エネルギーであり、省エネ技術です。外部からのエネルギー需要を差し引きゼロにするゼロエミッション住宅のようなものが出てくる時代ですよね。

エネルギーは使うが、技術革新によって、エネルギーの調達方法を変えていくことができるようになったということです。エネルギーは使うが、地球に負荷のかからないエネルギーの見つけ方・活用の仕方が少しずつ出てきたというのは、大変よいことだと思っています。人類は考える動物ですから、経済成長を続けて豊かになりながら地球への負担を減じる方法は必ずあり、人類が存在するかぎり、必ずその方向に進むことができると楽観しています。

Q. 省エネや再生可能エネルギーによって、原単位は確かに改善していますし、それは必要なことだと思います。でも、原単位が改善してGDP当たりのCO2が減っても、経済成長を続けるとしたら、つまり、GDPが増え続けると、CO2は増えてしまいますね?

増えますね。だけど、なるべく増やさないやり方もあるのです。

さきほど、「経済成長の仕方の問題だ」と言いましたが、たとえば日本で、明らかに無駄な形で資源やエネルギーを使って経済成長している一つの分野は、住宅投資です。

日本の住宅は平均25年で建て替えられます。欧米の立て替え期間はその倍です。短期間で住宅が造り替えられていくのは資源とエネルギーの無駄です。ですから、もっとカチッとした住宅を造ることです。

そういう意味で、原単位を下げる余地はまだあると思います。そこはやらなくちゃいけない。

悩ましいのは、おっしゃったように、経済成長していくと、原単位を下げる余地はあっても、ゼロにはならないということです。そうすると、エネルギー源の革新が必要になる。再生可能エネルギーはその一歩です。

さらに言えば、極端な話ですが、宇宙で太陽光を集めて、24時間発電し、電磁波か何かで地球に送るという技術が、50年後くらいに確立されるだろうと予測されています。そうすると、宇宙から、エネルギーは来ますが、CO2は来ません。

そういう技術開発ができると、「エネルギーはよりふんだんに使っても、CO2は出ません」からよいように見えます。しかし、本来、地球として得ているエネルギー以上のものを、宇宙まで行って集め、地球で消費することになりますから、地球のエネルギーバランスは崩れる可能性があります。それは、CO2は増えなくても地球温暖化の原因になるということですし、地球の生態系に悪影響を与える可能性も強まります。

Q. 環境影響=人口×豊かさ(ひとり当たりのGDP)×技術(GDP当たりの環境影響)ですから、環境影響を増やすことなく、GDPを成長させるとすると、人口増×GDP増を上回る技術の改善が必要だということですね?

はい。

Q. これまでの実績では、原単位が改善しても、たとえばCO2排出総量は増えているように、技術の改善が十分ではないことになります。CO2総排出量をフラットで保つには、人口が増える分と経済成長の分を相殺できる技術を開発し続ける必要がある。ずっと経済成長を続けようと思うと、CO2原単位も減らし続ける必要があり、いつかは、ゼロからマイナスになる必要が出てきます。そう考えると、経済成長を永久に続けることはできないのではないか。

もちろんです。エネルギーに限らず、資源も使っていきます。人間が増える限りは使っていきますし、別に人口が増えなくても、1人ひとりが使うCO2もエネルギーも資源もゼロにはできませんから、それが追加的に新たな消費になっていることは変わりません。

ですから、この議論を否定するつもりはまったくありません。では、どうするのだと言うと、日本の場合は、CO2の大幅削減はかなり達成余地があります。単純に人口が大きく減るからです。

逆に、技術革新があっても、地球上のエネルギーを消費しているかぎり原単位当たりのCO2排出量をゼロあるいはマイナスにはできませんから、人口が減るということしか解決策がなくなります。だとすると、技術革新の中で、CO2を地中に埋め戻すとか、エネルギー生産ばかりかモノを作るプロセスまでも宇宙に上げてしまうとかいう技術が必要になってきます。

もう1つ、どんどんコストが上がっていくことになります。エネルギーを使うコストが上がっていく。資源を使うコストが上がっていく。すると、成長したくても成長できない社会が出てきます。

そうなると、世界人口はもはや増えず、頭打ちになるでしょう。なぜかと言うと、食料増産が追いつかない、増えてきた人たちがみんな豊かになるほどの富の蓄積ができなくなるからです。

今までのアフリカで成長が低迷し、爆発的な人口増加がなかったのは、そういうことだったのですね。それがようやく、この10年、20年、テイクオフを始めました。その理由は、外部からの資本や技術が入って資源を開発して、収入が得られるようになり、富の蓄積ができるようになったことと、教育です。

1960年代、70年代に植民地から独立するまで、これらアフリカの国には義務教育がなかった。読み書きや計算でき、知識を持っている人たちは、限られた富裕層で、海外留学や私立学校に行けた人だけなのです。つまり、1960年代に独立した国は、2000年くらいまでは、中間管理職をこなせるような40代の人材がほとんどいない、ということだったのです。

だから、先進国の企業が進出しようとしても、人材がいない。ようやく、60年代の独立から50年くらいたって、中間管理職がそろう時代になってきたから、テイクオフの条件がそろってきたとも言えるのです。

成長するのはよいですが、当然それはエネルギーや食料の消費量につながります。でも、アフリカの諸国などはしかたないですよね。われわれ先に成長した者は豊かな生活を維持して、後から来る人たちに「どんどんエネルギーを使うのはけしからん」とは絶対言えませんから。

何百年か後にできるのかもしれませんが、人類のかなりの人数が宇宙に移住するようになれば、人口は増えても地球上の人口はむしろ減ることも起きるかもしれません。そうなれば、地球上のエネルギー・資源問題も大した問題にならなくなる可能性があります。

しかし、その前提は、「地球上で資源やエネルギーを消費するコスト、すなわち地球上で生活するコストが、何億人という人が宇宙に行って生活するコストよりも高くなる」ということです。これは、地球が人為的に汚染され過ぎて住めなくなる以外、どう考えても簡単には来ないでしょう。

Q. 一方で、資源や生物多様性も含めて、地球が持つのかどうかということがありますね

それはありますね。

Q. 持たなくなる前に何か折り合いがつけばいいと思うのですが......

おっしゃる通りです。どこかで成長の限界はあると思います。ただ、先ほど申し上げたように、まだ今のところは全面的な制約がかかっているということではありません。

ですから、むしろわれわれがやるべきことは、われわれが培った豊かさを分け与える形で新興国を助け、その環境を良くし、エネルギーや資源の浪費を抑制する形で成長することを手伝ってあげることだと思います。

Q. 「分け与える」とおっしゃったのは、本当にそうだと思います。ハーマン・デイリーに話を聞いた時も、彼は別にGDPや経済の成長を否定しているわけではなくて、「経済を回していくために地球から取り出して、地球に吐き出すスループットを一定にしないといけない」ということを言っているのです。地球は有限ですから、スループットが無限に大きくなるはずはない。彼は、「スループットは大きくせずに、経済が成長することはあり得る。たとえば効率の悪い、あるいは望まれていないモノの生産をやめて、その分を必要とされるモノの効率のよい生産へ振り向けるとか」と言っています。

そうです。

Q. みんながそれぞれ成長しようとすると、全体としてはスループットが増えるので。そこの調整が難しいですね

人によって考え方は違うかもしれませんが、そのための1つの良い手段が「価格」だと思います。「価格が上がってくるから、消費しなくなる」ということで、抑制が効いてくるのは良いメカニズムです。それを人為的にやろうとすると、神の手ではありませんから、無理が起きます。

Q. 価格による抑制も、金本位制など何らかの上限があってやっていた時はよいですが、今は、刷りたいだけ紙幣を刷れるかがわかりませんが、経済成長するために金融を緩めていますよね?

それが、さっきバブルのところで申し上げたように気になるところです。この40年くらい、先進国での長期の高成長をみたとき、こういう形ばかりが目立っているのが気になるところなのです。

ただ、金本位制の問題は、「金の採掘量に世界経済の成長が左右されるのは本末転倒で合理性がない」ということと、もう1つ、金という資源を地球から取り出すところが経済拡大の肝になるので、資源を多く使うということには変わりません。だから、最終的な解決にはならないですね。

Q. 地球が有限で、地球が1年間に生み出せる量や廃棄物として受け入れられる量が決まっているとしたら、それが本位制になるのではないかと考えたりします。

この20年くらいで極めて興味深いのは、「成長すると、サービス消費が増える」ということです。究極的に資源やエネルギーの負荷をゼロにするわけではありませんが、サービス消費が増えてくると省エネになります。これが1つめです。

2つめに、サービス消費の中で、最近何が増えているかと言うと、インターネット系の消費です。これは、エネルギーはもちろん使いますが、天然資源は僅かしか使いません。われわれがバーチャルな世界での消費を増やせば増やすほど、省資源になります。

日本人の生活を見ると、狭い家にモノがいっぱいですよね。欧米人は、大事にモノを長く使って、先祖からの家具を何十年も何百年も使っていたりします。これは素晴らしいことですね。しかも、時代がだんだん、サービス消費やバーチャル消費に変わってくると、ますますこういうことが大事になってきます。

つまり、「消費社会って何だ?」という考え方ですね。要は、われわれはそれで幸せであり、満足感があるから、そうなっているわけです。家の中にモノがいっぱいでごちゃごちゃしているというのは、満足感とは違うと思いますが、その1つ1つに思い入れがあって、旅行すると何かお土産を買ってきたりしますよね。

「どういう形で同じ満足感を得られるか」が、モノではなくバーチャルのところに広がってくれば、われわれ自身、モノではなくてコトの消費に満足感を覚えるようになってくる。ある程度、経済が成長し、われわれがモノに充足すると、そこから先は「コト消費」の世界です。

そういう意味で、「いろいろな経験や体験に価値がある」という方向に変わっていく社会を、どのようにつくっていくかも大事です。

もっとも、当たり前ですが、それでも追加消費はゼロにはなりません。人間が1人でもいる限り、資源は消費するわけです。地球に人類がいるということ自体、これはしかたのないことです。資源の浪費はしないほうがよい。そして、いかに地球にとってやさしい消費にしていくか、だと思います。

質問者:長時間、本当にありがとうございました。)


インタビューを終えて

経済の専門家として、長時間インタビューに応えていただき、丁寧にいろいろと教えていただきました。いろいろ勉強になり、考えさせられ、追加でお聞きしたいこともたくさん出てきました。私自身の認識といちばん大きな乖離を感じたのは、「どこかで成長の限界はあると思いますが、まだ今のところは全面的な制約がかかっているということではありません」というところでした。人間は地球の限界を超えてしまったのか、まだ余裕があるのか――さらに考えを深めていきたいと思っています。

取材日:2014年6月6日


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