100人それぞれの「答え」
019
サステナ代表、コピーライター
マエキタ ミヤコさん
経済を本来の姿の経済に戻してあげなくては
- Q. 経済成長とはどういうことでしょうか
-
大学で財政学を専攻していたこともあり、非拡大路線、非営利目的、有志の連合で環境広告会社を経営していることもあり、「経済成長とは」は自分のテーマでもあります。
一般にこれまで言われてきた「経済成長」とは、売り上げが伸びるとか、キャッシュフローが増える、ということですが、そこには自然資本も持続可能性も反映されていません。
結局のところ生産力が上がり、何がプラスになるのかと言うと、「価値が増える」ということです。「ああ、いいよね。そのためだったらお金出してもいいよ」と思うことです。
1日24時間はみんな同じ。それを1つの財貨、労力であると考えると、それを元手に、人は何にエネルギーを出してよいと考えるか、というのも「価値」の側面です。
その価値の総体が増えることが、本質的な意味での「経済成長」です。今、雑誌や新聞で使われている「経済成長」という言葉とはかけ離れていることは自覚しています。
- Q. 経済成長は望ましいものですか、それはなぜですか
-
従来慣行的に使われている「経済成長」の数字が伸びることだけでは、望ましいとは思っていません。たとえば、大型開発投資によりアマゾンの熱帯雨林が皆伐採され作られた農場で肉牛が飼育されハンバーガーがたくさん作れて売れたとして、ハンバーガーの売上げは貸借対照表に数字として現れますが、皆伐採により損なわれた未研究の生物資源や購買可能性は数字として書き綴られず、経済成長といえば経済成長です。でも価値が増えているとは言い難い。
世界で批判が相次ぐ日本発祥のネオニコチノイド農薬も、損なわれる生物資源は貸借対照表に現れないので、ネオニコチノイド農薬の売上げだけが対照表上ではプラスです。こちらも学者の論文を追いかける限り、世界の総体として価値が増えているとは言い難い状況になってきました。海外だけではなく国内でも、ダムでも、リニアモーターカーでも、核廃棄物でも、原子力発電所の運用でも、工場の廃液でも、同じ状況が展開されています。
経済成長には同時に危険(リスク)の可能性があり、しわ寄せがあり、平穏な暮らしがおびやかされたり、不安を感じたり、健康被害がうまれたりすることが知られてきました。これらのリスクは50年前には知られていませんでした。知られていなかったことが、知られるようになる、その過渡期を私たちが生きていることが、むずかしさの由縁だと考えています。
「経済成長」はいいことだと手放しで喜べるものでは全然ありません。
「価値が増える」ということは、すごくよいことです。「生きていてよかった」と思える人が増えるということでもあります。真の意味での経済成長です。自然の摂理、自然資本、クリエイティブなアイデア、自由、自由な発想、個性の発揮、多様性への寛容性、言いたいことをみんなが言えて、政治選択があっけらかんとでき、教育の機会が行き渡り、「価値って何だろうね」とみんなで話し合えて、各々の人生の価値が高まるのは非常に望ましいことです。
経済学は、その初期に、「情報はまんべんなく行き渡っているものとする」という条件を掲げていました。情報がまんべんなく行き渡らなければ経済選択が、功利的行動が、合理的になされない。だからインサイダー取引は違法になるのです。
けれど、情報開示、「まんべんなく情報が行き渡ること」はどれだけこれまでないがしろにされてきたか。情報が隠されるたび、私は社会正義だけでなく、ジャーナリズムだけでなく、倫理観だけでなく、経済学的にも怒りを感じているのです。これでは合理的行動が取れないじゃないか、と。せっかく人類が経済学や民主主義を考えついたのに、こんなに情報が隠されたんじゃあ、オジャンじゃないか、と。
みんなが同じことを知っている条件で、「この会社いいよね」と株を買うから、その会社の株が上がる、というのは健全な経済です。が、情報が囲い込まれ、隠され操作された情報の上に乗っている経済は、もはやナチュラルで自生した経済ではなくて、操作された人工的、作為的な経済です。
日比谷で行われたTEEBシンポジウムのなかで、各国のGNPに自然資本を組み込もうと世界銀行が発言したのは希望のひとつです。逆から見ると、もはや自然資本をGNPに算入していないのは情報のゆがみだとも思えるし、情報開示が果たされていないということにも当たると思います。
故意に誰かが隠しているというだけでなく、「知りたがらない」「話したがらない」「話せない雰囲気」「タブー」「そんなこと聞けない」も含め「情報操作」の一形態です。
- Q. 経済成長は必要なものですか、それはなぜですか。必要だとしたら、いつまで、どこまで必要でしょうか
-
額面上の、貸借対照表的な、金額的な経済成長は、本質的な人類の大目的ではなく、それが必要となる一時期が一企業に必要となるときはあるかもしれないけれど、全部や全員の目的ではないと思っています。そもそも人類にとって、人生や生活は非営利が基準であり、マネタリーの方が一部であるため、マネタリーかぶれが幅を利かせている状況は奇異です。
マネタリーかぶれに憧れたり、崇め奉ったりするのをやめて、数字を追いかけてもいいけど数字を追いかける人に憧れることもなく、粛々と価値を高めることに専念していく時期は既に来ています。質を見直し、本来のナチュラルな健全な操作されない経済成長に徐々に切り替わっている時期が今、だと思います。
- Q. 経済成長を続けることは可能ですか、それはなぜですか
-
経済成長は、その意味が変わりつつある。その上で、「サステナブル・ディベロプメント」という地球サミットのテーマは「持続可能な開発」や「持続可能な成長」と訳されていますが、この「ディベロプメント」にも、「成長」という概念はポジティブな意味で含まれているのだと思います。
よき価値が増え、よき経済が成長していき、幸せな人が増える。もともとの「経済」とは「経世済民」、最大多数の最大幸福をめざすポジティブな言葉です。経済を本来の姿の経済に戻してあげなくては。経済成長を続けることは可能か、というより、続けていきたくなる形の経済に戻してあげることは可能だ、と思います。「経済成長」や「経済」という言葉が、本来の意味とは違う限定されたネガティブな意味だけに使われるのは、ちょっとかわいそう。
──さきほど一般的な「額面的な金額が増える」という経済成長だけでなく、もう1つ「価値を増やす」意味での本質的な経済成長があるとおっしゃいましたが、その両面で経済成長を続けることは可能ということでしょうか?
(まだ金銭価値に換算されていない自然資本や自然環境などの)価値を、(すでに金額換算されたものだけで構成された)額面の経済に加えて、成長させる。それは可能です。
価値が増え、その結果、額面でも金額が増える、ということも可能です。粉飾めいた大衆操作や"政治"干渉や"行政"干渉がどんどん減り、経済指標に自然資本が算入され、求められる財やサービスが求められる分だけ増えていけば、額面にも徐々に価値の実態が現れてきます。もしそうならなければ、それこそ、経済学の失敗、経済学の形骸化、です。
「誤った、うわべの経済成長」は、価値の実態を見ずに額面成長のみを優先することに起因します。本来の価値を見失い、額面の数字だけを伸ばそうとすると、ゆがみやひずみやしわ寄せが生じます。
自然環境など社会の価値から目をそらし額面的な金額のみを増やそうとする経済成長を、社会の価値を増やす本質的な経済成長に変えていこうよ、という意味の話ですので、両面で経済成長をする必要はありません。うわべと本質を両方保つ必要はなく、本質がメジャーになれば、うわべは存在する意味を失います。いまは本質がメジャーでなくマイナーだ、ということが問題です。
間違ったうわべの経済成長は、経済に携わる人にとっても迷惑ですので、これ以上続けず、そろそろ本質的実質的な経済成長に回帰しなければなりません。経済も自然に依存しています。自然が壊れたら、経済も壊れます。これ以上の自然破壊は、経済の自爆です。
- Q. 経済成長を続けることに伴う犠牲はありますか
-
間違ったうわべの経済成長を追い求めることで生じる犠牲は、繰り返しになりますが、公害や原発災害をふくむ経済災害のリスク、人間の健康も含めての自然と環境の破壊、広義での人権侵害、経済格差による貧困、戦争のリスク。自然にクチナシとはよく言ったものです。壊したとき、「嫌だ」とか「助けてくれ」とか言わないので、情報が隠しやすい。弱者や教育を受けていない人も、自然と同じように、黙って不利益を受けとめやすく、しわ寄せ場所にされやすいので要注意です。
- Q. 日本は、これまで高度経済成長を含めて経済成長を続けてきましたが、その中で失ったものがあるとしたら何でしょうか
-
自然や人のつながりも、時間的余裕も失います。疑心暗鬼になって、疑い深くなっていく。「隠せてしまう」ということは、「隠すことがたくさん増える」ということなので、これは隠されているものなのかそうではないのかと、「隠していないことまで疑ったりする」ようになります。
それがどんどん進むと、うたぐり深くなり、信じられなくなり、疑心暗鬼も増える。そうすると、素直に生きられなくなるので、心もねじれていってしまうのではないか、人と人の付き合いもうまくいかなくなるんじゃないかと思います。
- Q. 「経済成長」と、私たちが目指している「持続可能で幸せな社会」の関係はどうなっているでしょうか
-
過渡期とも言えます。経済成長が「持続可能な成長」になればいいと思います。
──持続可能な成長とは?
可及的速やかに自然資本の増減を算出し、経済指標に反映させ、GNP2.0にする必要があります。遅れた現在の指標のままでは、自然の劣化や質の高まりを国の財として経済指標に反映させる余地がありません。
世界銀行でさえ、「自然資本を組み込んで各国のGNPを比較することは可能だ。近々そうしていきたい」と言う時代です。素晴らしいことです。
GNP2.0が実現すると、ブータンやエクアドル、コスタリカなど、自然資本に力を入れている国のGNPが、自然資本を大事にしていないほかの(先進)国より高くなります。
GDPやGNPの国別ランキングの上位国は世界が憧れ、価値づけがなされます。あんな国になりたい、めざそう、となる。この価値観を世界銀行が転換するということは、(今はまだコンセプトだけだとしても)とうとう新価値の時代が始まるのかと希望を感じます。
──それで「過渡期」ということなのですね。
はい。今はまだ、不理解が邪魔して、道半ばですが。いずれ「真の経済成長」への理解が進み、みんなが「なるほど。確かにそっちのほうがおいしいし、安心できるし、理にかなっているねと」となれば、持続可能で幸せな社会の価値が高まり、経済指標も整備、修正されるのではないかなと思います。
しょせん、現行の経済成長指標も苦肉の策で、みんなが頑張る「印」としてみんなが作ったものですから、そろそろバージョンアップしたほうがいいねという時期だと思います。
インタビューを終えて
とてもわかりやすく整理してくれました。「GNP2.0」「しょせん、現行の経済成長指標も苦肉の策で、みんなが頑張る「印」としてみんなが作ったものですから、そろそろバージョンアップしたほうがいいねという時期」、確かにそうだなあと思います。マエキタさんをはじめ、気づいた人や取り組みをはじめている人は確かに増えてきているけど、どうやってそれを主流派にしていくか――コミュニケーションの専門家であるマエキタさんの今後のさらなる活躍を待っています!
取材日:2014年8月7日
あなたはどのように考えますか?
さて、あなたはどのように考えますか? よろしければ「7つの問い」へのあなたご自身のお考えをお聞かせ下さい。今後の展開に活用させていただきます。問い合わせフォームもしくは、メールでお送りください。