100人それぞれの「答え」
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元総務大臣、元岩手県知事、現野村総合研究所顧問
増田 寛也(ますだ ひろや)さん
「撤退」「縮小」には、成長の何倍もの知恵が求められるが、うまく実現できれば持続可能性が復活するかもしれない
- Q. 経済成長とはどういうことでしょうか。
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経済成長というのは、生活が豊かになること。「生きていくために食べるものを作り、明日を生きていくために何かを得る」という段階から、だんだんに経済が成長していくことによって、たとえば娯楽など、単に生きていくこと以外の分野に少し目を向ける、そういう力を与えるものが本来は経済成長だろうと思います。
「今まで自分たちがもらえなかった付加価値がそこで新たに生み出される」というのが、私なりの解釈の「経済成長」かなと思います。
大昔は、魚を捕ったり獣を撃ったりして、それで何とか生きていたのが、それらを加工して、さらにもっとおいしい食べ物にするといったことを繰り返ししていき、そこで自分たちも富を得る。それをいろいろな人たちに届ける。その経済活動全体がどんどん広がっていくのが経済成長だと考えています。
- Q. 経済成長は望ましいのでしょうか?
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そのことによって自分たちが少しでも豊かになっていく、ということは望ましいことであって、それで自分たちの生活が少しでも良くなったという喜びを感じるでしょう。
『三丁目の夕日』ではないでですが、「昨日や今日よりも少しでもいい明日が来るだろう」――そういうのが経済成長ということではないかなと思います。
- Q. 経済成長は必要なものでしょうか?
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ええ。経済成長そのものが目的ではなくて、自分たちの生活を豊かにすることを、社会全体で、多くの人が繰り返していくことが経済成長だと思うので、それは必要なことであり、これからもたぶん、人々はやっていくだろうと思います。
- Q. その場合、「ここまで行けばもういい」というラインがありますか? それともずっと続けていくのでしょうか?
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まさに日本が「高度経済成長」と言っていた時に、一方で、金で換算すると所得が確かに倍増したとか、いろいろ得るものが多かった。それまでは洗濯するにも全部手で、女性が一生懸命、寒い中でもやっていたのが、だんだん洗濯機が入ったりしました。
たぶん、経済成長によって生活の豊かさが実現できたんだろうと思いますが、一方で、その裏で失っているものもあります。公害問題もそうですが、定型的な仕事をできるだけ外れることなく、落後することなく、みんなで同じ方向を見て一斉に働いていく、というやり方。
しかもそれを、国土の中のあちこちでやるのではなくて、その時は太平洋ベルト地帯1個所にできるだけ集めてさせることが、経済成長にとって一番効率がよいということでした。それで確かに、家庭の中に置いてあるものは豊かに多彩になったかもしれないけれど、一方で失うものもすごく多かったわけです。
ですから、経済成長をずっと続けていくということは、経済学の上では可能な世界もあるかもしれませんし、「経済成長を続ける」という概念が少しずつ変わっていくのではないかと思います。
私自身は、どこかで分岐点みたいなのがあるように思っています。人間の感受性などと関連してくると思うのですが、途中で付いていけなくなる人、脱落する人が出てくる。ずっと順応して進めていく人もいるけれども、社会トータルで言うと、何か天井があって、限界点というのが来るのではないかと思うのです。
同じような経済成長を続けてきて、一方で外部不経済みたいなものが出てくると、どこかで壁に突き当たる。それをまた超えて、違う意味での経済成長につなげていけるかもしれないですが、たぶんどこかで必ず1回は限界点に当たるという気がします。
──その限界点をつくり出すのは、先ほど外部不経済とおっしゃったものでしょうか。
その時代によって、外部不経済の中身が変わってくると思います。昔は、典型的な環境汚染――土壌とか大気とか水質などでしたが、それをある程度コントロールして、次の経済成長ですね、つまり、環境にあまり悪さをしないような形の経済成長を突き詰めていくと、今度はだんだんと、時間、スピード、価値も支配しようとなってくる。
一方で、感情で生きている人間はどんどん欲が出てくるから、たとえば情報化とか、いろんなことで、時間や空間を全て乗り越えていく。それは、一方ではとてもいいことでもありますが、そこで失われる、人間と人間との触れ合いとか対話というものも、前とは違う意味ですが、広い意味で外部不経済ではないかなと思っています。
常に中身の質や局面を変えていき、ある時期が来ると、また壁に突き当たる。それを抜けられるかどうか。壁の高さは、毎回どんどん高く、厚くなっていく。
結局、人間は生き物であり、地球の中で生きていくものですから、80億、90億、100億超えるという中で、限られた地球の大きさは変えようがないから、これだけ爆発的な人口の中では、どこかで、経済成長の壁が出てくるだろうと思います。そのあたりは、私の想像力では及ばないところですが。
- Q. 経済成長を続けることの犠牲については、先ほどもおっしゃっいましたが。
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毎回、質が変わってくるんです。典型的な環境汚染から始まって、だんだん人間性そのものを失うところになっていく。今度は、人間をまったく無視するところまで、というのでしょうか、人工知能や、グーグルなどがやっている「殺し合う兵器」のように、科学でコントロールして、それを1つの成長の武器として取り入れようという時代になってきていますから、犠牲も年々大きくなっているし、どこかで壁が出てくるのではないかなと思います。
- Q. 日本がこれまで経済成長を続けて失ったものがあるとしたら、何でしょうか
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精神的な、心に根差した部分が相当失われてきているんじゃないかと思います。それは日本だけではなくて、世界中でそうです。
結局、利便性を享受するために変えていいものと、時代を超えても変えてはいけないものがあるということだと思います。
- Q. 「経済成長」と、私たちが創りたいと思っている「持続可能で幸せな社会」との関係はどうお考えですか。
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経済成長がなくなる、ストップする、あるいはマイナスになってくるときに、どれだけ持続可能な幸せな社会ができるかどうか、ですね。少なくても、「成長を追いかける」というところでは天井が出てくるから、持続可能な幸せはたぶん出てこないと思います。
では、低成長、マイナス成長でも幸せな社会につなげられるか?と言うと、それもなかなか自信がないというか、想像が及ばない。
でも、質を切り替えて、「経済は成長しないけれども、違う尺度だったら幸せを感じられる」ということがつくり得れば。冒頭、「経済成長は生活の豊かさを実現する」と言いましたが、豊かさの概念が変われば、幸せな社会も実現できるということになります。
- Q. 最後に、日本の場合、急激な人口減少を迎える中での経済成長をどう考えたらよいのでしょうか?
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「付加価値生産性をもっと上げて、毎年イノベーションを進めていけば、こういう問題は克服できる」という人もいますが、「毎年イノベーション」というのは想像できません。
今までずっと、自然を破壊し尽くすような形で、人間の生活テリトリーを増やしていろいろな経済活動をしてきた世界が、人口減少によって縮もうとしている。民主主義国家にとって、縮小社会への向かい方、撤退はきわめて難しい問題です。「撤退」、「縮み方」をうまく実現することができれば、逆に持続可能性が復活するかなという気がします。
そこは、成長するときの何倍もの知恵が求められています。そのときに高齢者や社会的弱者が取り残される懸念がすごくあります。「撤退」や「縮小」するときに、弱者が犠牲にならないようにするのにはどういう知恵が必要なのか。しかし、この知恵を出さないと、幸せにつながらないと思います。
インタビューを終えて
増田さんとは岩手県知事でいらした頃からご一緒させていただく機会があり、その後もいろいろなところでご一緒したり勉強させていただいています。「増田ショック」とも言われている、人口消滅可能性都市のレポートでもよく知られている方です。
今回お話をうかがって、「経済成長を続けていくと、質の違う層状の限界にぶちあたり、犠牲の質も変わっていく」という考え方や、「撤退、縮小のほうが成長よりも知恵が必要。社会的弱者が取り残される心配が大きく、それを最小限にする知恵がなければ、幸せにつながらない」という言葉にははっとする思いがしました。
人口減少社会・日本における経済成長や持続可能で幸せな社会についての議論はこれからどんどん出てくるでしょう。しっかり考えていきたいと思いました。
取材日:2014年8月22日
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