100人それぞれの「答え」

写真:岩田 一政さん

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日本経済研究センター理事長

岩田 一政(いわた かずまさ)さん

潜在能力を発揮しやすいような社会になることが成長です

Q. これまでのお仕事を少し教えていただけるでしょうか。

現職の日本経済研究センター理事長で、3年半くらい前からになります。その前は、内閣府の経済統計に関連する研究所の所長を2年ほどやっていました。今日の経済成長の話と関係が深いですが、GDPの数字を作っているところです。その前は、2003年から2008年まで、日本銀行の副総裁でした。福井総裁、武藤副総裁と私の3人体制でした。

その前は内閣府の政策統括官を2年ほどやりました。ちょうど小泉改革の時でしたね。その前は東大で15年ほど、主に国際経済学を教えていました。その前は、経済企画庁という、内閣府に統合された部署ですが、大学を出てから、そこに入って15年ほどいました。

Q. ずっと経済に関わっていらっしゃったご経験とお立場からのお話をうかがえればと思います。最初の問いですが、経済成長とはどういうことでしょうか。

普通、経済成長というのは、GDPの成長率で測るわけですね。けれども、経済に限らず、「成長」と一般化して言うと、われわれの生活水準と生活の質が向上することが成長だ、というのが私の理解です。

さらにそれを掘り下げると、その背後には、人間の潜在能力といいますか、アマルティア・センの言葉を使えばcapabilityと言っていますが、潜在能力を発揮しやすいような社会になること、あるいは潜在能力を展開できるようになることが成長だという考えがあります。それに伴って、生活水準とか生活の質が向上するということです。

そういうことの1つの尺度として、市場で評価できる事柄について、GDPという統計が存在している。どのくらい新たな付加価値が生まれたか、です。最初に「GDPが成長だ」と考えると、理解の仕方がだいぶずれてくるんじゃないかと思います。

「生活の質」という中に、いろいろな事柄があるわけです。たとえば、環境が悪化してしまえば、仮に1人当たりの所得が増えても、決して質の向上にはなりません。もちろん、人とのつながりといいますか、家族や友人、一般的に社会的な絆とかソーシャル・キャピタルと言われるものも質です。

質にはいろいろなことがあると思いますが、人権とか、選択する自由、ある意味では政治的な権利というようなことも、質の中に入ってくるんじゃないかと思います。

ですから、成長ということについても、最近は「Inclusive Growth」という言葉を使うことが多いわけです。Inclusive Growthというのは、私の理解では、生活の質まで考慮した成長という意味です。

生活の質の中には、「格差」もあります。所得の格差も、社会的な安定性を維持するためには、極度に格差が拡大してしまいますと、社会としてうまく存続できないということになるでしょう。

そういう意味で、単にGDPで成長するというだけでなく、Inclusiveなものを経済成長として理解すべきではないかと思います。

──しかし、実際には、たとえば新聞を見ていても、「GDPを何%上げないといけない」など、どうしても数字のところばかりに。

目が行ってしまうわけですね。日本の高度成長の時代、スウェーデンのあるジャーナリストが日本でベストセラーになった本を書いたことがあり、僕も学生時代に読んだことがあります。

日本というのはそのころ、驚異的な成長、10%成長をしていたのですが、そのジャーナリストは「日本は1つ目だ」、"one eye society"だと書いていたんです。one eyeというのは、GDPの成長だけを考えている社会で、ほかのことは目もくれない。スピードが速いけれども、いろいろな問題がありますね、ということを書いていたのを今でも覚えています。

私のように、「人間の潜在能力の発揮とその展開が成長である」と考えると、GDPの成長率というのは、その指標で評価される、ある限定された部分の分野でしかない。もっと幅広く「成長」を理解すべきだと思います。

アマルティア・センは、ずっとそのように、「潜在能力の発揮が成長だ」と考えています。

つい最近のインドの選挙で、非常に面白いと思ったことがありました。センとバグワティが大論争をやったんです。首相になったモディさんのジャマラート州では、市場改革を進めて成長を促進するという政策で、バグワッティさんは「それは正しい路線だ。従って私は支持する」と。投資も貿易も自由化して、結果的に成長率が高く、1人当たりの所得水準も非常に高い。その勢いで選挙に勝ったのだと思います。

センは、モディさんのやり方は支持しないと言いました。センが支持したのは、北部のほうの貧しい農村地帯です。そこは、1人当たりの所得も低いのですが、識字率や教育、社会というものがよく維持されている。お釈迦様、仏教の発祥の地だと言われているところです。センは、「そこがモデルになるべきだ」と主張して、2人ですごいやり合いをしました。

センはノーベル賞をもらいましたけど、バグワティも、いつもらってもおかしくない人です。主に貿易の関係の、すごくいい論文をたくさん書いています。その2人が大論争をやって、結果的にはモディさんが選ばれました。

私の理解では、2人ともGrowthということは言うわけですが、でもたぶん、Inclusive Growthについての理解が、2人の間で少し違う。

Inclusiveにはいろいろなものを含みますので、生活水準のほかに生活の質まで含めて考えるというほうを重視すると、「単に1人当たり所得だけではない」と変わるわけです。

国連は、アマルティア・センの影響を受けて、人間開発指数というのを、ずっと前から計算しています。日本は確か、今、14位だと思います。

指数は主に3つからなっていて、1つは、やはり1人当たりGDP、所得です。もう1つが教育です。どのくらい文盲の人がいるかとか、小学校や中学校にどのくらい行けているかなど。3番目が平均余命で、つまりは健康です。人がどのくらい健康で過ごしているか、ですね。主にその3つで指数ができています。

「1人当たりGDP」より、「実質消費」のほうがいいのではないかなと思います。人々が実際にモノをどのくらい買って、それを楽しむことができるかという、ある種の豊かさといいますか、あるいは生活水準と言っていいのかもしれません。

GDPの数字について、フランスでも、大統領がスティグリッツやセンたちを集めて特別委員会をつくって、報告書を出しましたが、「GDPというのは、ある限定的な指標である」と。

その報告書を読んで、今も頭に残っているのは、「単に所得ではなくて、1人当たりの実質消費」と言うほうがいいという箇所です。

さらに言えば、社会全体の分布も重要です。これはMedian、「中位値」と言いますが、普通は「平均」で言うわけです。「国民1人当たり」と平均にしてしまうのですが、平均にすると、歪みがわからなくなるのです。貧しい人がたくさんいると、中位値は平均よりもっと低くなります。

ですから、「中位値、Medianで測った1人当たり実質消費がよい」と、その報告書でも記されています。

私も、GDPの統計について、たとえば各国を比較するときも、少しはそのように加工した上で比べるのがよいと思います。普通は、「1人当たりの所得」で何番目か――日本は確か19位ぐらいですね。少し上がったかもしれませんけど――ではなくて、「中位値で測った1人あたり実質消費」のほうが生活水準をより正確に表すことができると思います。

GDPの数字というのは、基本的には市場で評価可能なものですよね。付加価値にしても、ストックにしても。市場で取引されて、それが評価されて、どれくらい豊かであるかということです。ストックで見るといくらだと。「国富」というのも、毎年数字を作っています。

国富で言うと、一番抜けているのは、「人的資本」が入っていないことです。人的資本がなぜ入っていないかと言うと、奴隷は禁止されており、1人の人間にどれくらい価値があるかは直接測ることはできない、というのが基本的な理由です。

けれども、私は、市場で評価したものに限定するにしても、人的資本は測って、統計にもちゃんと入れたほうがいいと思っています。

日本の人的資本を測ってみると、1990年代半ばから伸びていないことがわかります。それは、1つには賃金が減ってきているということです。そして、人口も伸びていない、減ってきているということがあります。

実際には、こういった要因もあって、名目の1人当たりGDPも、日本では増えていません。減っています。

また、家事などボランタリーな仕事に関しても入っていません。これは、「その家事をする時間を外で働いていたら」という機会費用で計算することができます。サテライト勘定としては計算されていて、90~130兆ぐらいだと言われています。それに加えて、ボランティアの活動などで30兆と計算されています。

このように、現在のGDPに入っていないものを計算すると同時に、環境破壊などのマイナスを引き算することによって、市場での評価できるものに限られているGDPを補う、もしくは違う側面も含めて計算しようというやり方も行われています。

Q. 経済成長をどこまでも続けることは可能でしょうか?

「どこまでも成長できるのか」ということで言えば、資源や環境の制約がありますから、どこかに限界があるのでしょう。経済というのは、希少な資源を効率的に割り当てる仕組みですから、そういった資源や環境の制約があっても、その限界を先へ先へと延ばしていくことはできるでしょう。「希少な資源や環境の限界を超える」というリスクが、いつ顕在化するかということだと思います。

Q. 経済成長に伴う犠牲はありますか? あるとしたら何でしょうか?

環境破壊でしょう。実際、石油ショックは環境制約が表面化したものだと考えられます。それまで10%という高度成長だったのが、第一次石油ショックで5%になり、第2次石油ショックで確か、3%くらいになりました。しかしその後、バブルでまた5%ぐらいに上がって、その後、現在は1%。私たちの予測(基本ケース)では、2050年までの成長率は0%という予測となっています。

バブルが始まった1990年に、人口ボーナスが終わりました。それ以降、人口オーナスの時代に入っています。技術や制度の向上があれば、1.4%までは成長できるのではないか、というのがわれわれの試算です。

人口減少と高齢化によって、資本ストックの需要が減ります。資本ストックの需要が減ると、投資需要が減っていきます。これが「資本の需要側が減っていく」ということです。

他方で、日本では貯蓄が減っていて、家計の貯蓄率も、かつては25%あったのが、現在は0%。このまま行くとマイナスになると考えられています。これは供給側ですから、潜在的な成長率が減っていくということになります。

Q. 「経済成長」と「持続可能で幸せな社会」の関係をどのようにお考えでしょうか。

若者にとって希望の持てる社会が大事なのだと思います。

「経済成長のない"ゼロ成長"でもよい」「GDPそのものが変わらなくても、人口が減っていくので、1人当たりのGDPは増えるからよい」と言う人もいます。

しかし、高齢化の影響を考える必要があります。高齢者が増えるということは、現役世代の税負担が増えるということです。このままいくと、税負担は38%から55%に増えると計算されています。

つまり、ゼロ成長でGDPが変わらないとしたら、人口減少によって1人当たりGDPがたとえ増えたとしても、税負担が増えることによって一人当たり実質消費の水準、生活水準は下がっていくということになります。「それでよいのだろうか?」ということを考える必要があります。


インタビューを終えて

GDPの数字を作っている内閣府の経済統計の研究所や日本銀行でのリーダー役を務めてこられ、まさに「GDP・経済成長」のド真ん中の仕事を歩んでこられた岩田理事長にお話を伺うことができ、本当にうれしく、勉強になりました。そのような仕事をされてきた方が、「GDPが測れるものは限られている。GDPで測れない生活の質などを含めた、inclusiveなものが重要だ」とおっしゃることは、「私たちと同じように考えていらっしゃるのだ」と意を強くしました。

 経済成長はいずれ限界に達するという考えは同じでも、まだそれは先だと考えられているところは、私の認識とは違うため、またお話をうかがいたいなあと思っています。

岩田理事長の日本経済研究センターの出された『人口回復』(日本経済新聞社)の豊富なデータ、わかりやすい解説、今後の展望と対策は、今回のテーマとも重なる部分が多々あり、とても勉強になりました。

取材日:2014年8月28日


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