100人それぞれの「答え」

写真:会田 洋さん

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柏崎市長

会田 洋(あいだ ひろし)さん

「国土の均衡ある発展」に向けての諸政策は、結果としてうまくいかなかったと言って良いと思います

Q. 経済成長とはどういうことですか。

一般的に言われているのは、「経済の規模がどれだけ成長しているか」ということですね。具体的には、国内で生産された商品やサービスの価値の合計である国内総生産、つまりGDPの伸びであるとものの本には書いてありますが、私なりに言えば、「生産された商品やサービスの『貨幣で測れる価値』の合計が増える」というのが経済成長かなと思います。

Q. それは望ましいものですか。

これまでの私自身の経験を踏まえると、望ましいものだと言っていいと思います。たとえば、子ども時代のことを考えたとき、昭和20年、30年代ですが、多くの国民は本当に貧しかったですね。モノもなかったし、衣食住いずれも大変貧しかったですよ。

食べるものも、終戦直後と比べてさすがにもう量的に足りないということはなかったですが、今の時代からみれば、本当に質素でした。夏も冷房がなかったですから、本当に暑かったし、冬は厳しかったですね。子どもの時、よくしもやけになりましたけど、あれは栄養不足と寒さのせいですよね。今では考えられないと思いますけど。そういう時代を過ごしてきたわけです。

小中学校の時、市の財政も大変厳しかったんでしょうね、冬でも、7℃以下にならないと暖房が入らない。薪ストーブで、丸太の薪が4本くらいしかない。そうすると、午前10時くらいになると、焚くものがなくなるんです。

その後、高度経済成長もあって、物質的にも豊かになったし、食べ物も豊富になりました。今は、電化製品も揃っている、車も各世帯にある、暖房だけでなくて冷房のない家も数少ないでしょう。そういう時代になっているわけです。

経済の成長があったからこそ、こういう豊かな生活が得られたという意味で、経済成長は、必要というか、望ましいものだったと思います。しかし、これからのことを考えたとき、また別の意味合いが出てくると思います。

Q. 経済成長は、これまでは必要だったとして、いつまで、どこまで必要でしょうか。

経済が緩やかに成長していくのが望ましいと主張する経済学者もいますね。医療や福祉・介護・子育てといった社会保障が成り立つには、ある程度の経済成長が必要とも言われています。

これから特に付加価値を高めるという意味で必要になるであろう、技術革新や技術の進歩のためにも、経済的な裏付けが必要だということも言われています。

写真:会田 洋さん
Q. 柏崎市のGDPを考えたときに、それが増え続けることが、市にとって、もしくは市民にとって望ましいこと、必要なことだと思いますか。

望ましいことかもしれないけれども、国全体にも言えますが、それが難しい状況になってきていますね。特に、少子高齢化、人口減少で地方都市は、過疎化が進んでいますから、地域の経済そのものが縮小していく――国とっても同じことですが――ということになるわけですから、厳しい状況になります。

議会などでもその点についていろいろ議論されています。特に、日本創成会議から消滅可能性都市についての増田レポートが出されたものですから。人口問題ももちろんそうですが、それに伴うコミュニティの崩壊ですね、特に中山間地を中心にして、もう集落が成り立たない、生活がそこでは立ちゆかないという状況が出てきていますから。

あるいは、今まで市が行ってきた市民サービス、いろいろな公共施設の維持といったことの1つ1つが、今まで通りにできなくなりつつあります。何らかの統廃合や縮小という局面に来ていますので、そこが大きな課題になっています。

Q. 今のお答えに入っていたと思いますが、「経済成長を続けることは可能ですか」という問いに対しては、人口減少や少子高齢化などで可能ではない、ということでしょうか。

経済的に言うと、経済成長にとっては、資本の蓄積や人口が伸びるということも1つの要素であるでしょうし、技術の進歩や、貿易や投資の問題もありますね。こういった要素が、経済成長にとって重要なファクターだとすると、資本の蓄積にとって、物的なものだけでなく、人的な蓄積というのも必要ですよね。人口減少の時代に入っているわけですから、そこだけを見ても、経済成長をするための条件が厳しくなってきていると言えると思います。

そうすると、よく言われるのは「貿易」ですね。海外収支、貿易収支をプラスにしていくこと。地方都市で言えば、地域外から移入所得を増やすこと。それから、「技術革新」です。技術革新とは、付加価値を高めて競争に勝っていくということだと思います。

私は経済の専門家ではありませんが、貿易面とか技術革新の面でよほど目覚ましいものがなければ、経済成長は難しくなってくるのではないかと思っています。

写真:会田 洋さん
Q. 日本全体でも貿易とか技術革新がないと難しいだろうし、地方都市にとってもそう、ということですね。

たとえば、柏崎という1つのエリアを考えると、経済成長というか、地域の活性化ということで、非常に分かりやすく言えば、外からいろいろ資金を持ってくる、そのパイを増やすというが1つです。それから、入ってきたお金が蓄えられたり積まれたりして動かないと意味がないので、いかに域内で大いに循環させるかということが大事だろうと思います。

Q. 経済成長を続けることに伴う犠牲があるとしたら何でしょうか。

特に高度経済成長期は、公害の問題が大きな問題になりました。当時は4大公害病と言われましたね。熊本と新潟の水俣病、四日市公害とイタイイタイ病ですね。それらが象徴的なものでした。

それから、過疎・過密の問題です。大都市への人口集中。それから、都市問題と言われる交通や住宅の問題などですね。自動車交通が増えることに伴う渋滞、事故や大気汚染の問題など。公害問題、過疎・過密や都市問題などが非常に大きな社会問題になりました。

なぜそんなことが起きたかと言えば、――今、中国がまさにそういう状況だと思いますが――、企業は、生産活動に伴って公害対策を取ると、コストが余計にかかる。従って、対策を取らずに、そのまま環境に汚染物質を放出して、環境面で大きな問題を起こしてきた。いわゆる「外部負経済」ですね。

ですから、当時は「経済」と「環境」の問題はトレードオフの関係であって、「経済的に発展するためには、環境問題は切り捨てる」ということが企業にとって利益になることだったと思います。

ただ、その後、いろいろ法制面での規制が働いたり、企業の社会的責任として、それだけ大きな事件として取り上げられ、また、亡くなった方も大勢出たわけですから、企業も努力せざるを得なくなりました。

さらに言えば、むしろ公害対策を取ることで、それを1つの企業の発展、経済成長に結び付ける、つまり、環境を保全することと産業の発展、経済の成長を結びつけるという方向に次第に変わっていって今日に至っています。

最近では、環境対策・公害対策は、日本ではそれなりに進み、整備されてきたと言っていいと思います。しかし、当初の経済成長に伴うマイナス面が、社会的にも非常に大きかったし、国民にも大変な被害が出たわけです。

柏崎市には原子力発電所があります。今は運転停止をしていますが、世界でも最大という規模で、大量の電気を起こして、それを首都圏に送り、首都圏の人々の生活や産業活動に寄与し、豊かな生活、あるいは経済発展を支えてきたと言っていいと思います。

しかし、その一方で、いろいろ問題もあります。今回の福島の事故のことはもとより、たとえば発電所からは、使用済み核燃料が出てくるわけですが、その処理・処分の方法も処分先も決まっていません。それは、後の世代に負の遺産として残すことになります。それなどは大きなマイナス面ですね。

Q. 経済成長で日本が失ったものがあるとしたら何でしょうか。

経済成長の結果、物質的には豊かになってきたけれども、反面、核家族化が進み、ゆとりや、自然との共生、家族と地域のきずな、人に対する思いやりといったものがだんだん薄れてきている、失われてきているのではないか。それがマイナス面ではないかと思います。

写真:会田 洋さん
Q. 「経済成長」と「持続可能で幸せな社会」の関係は? 

難しい問いですが、いずれにしても、グローバリゼーションが進んでいて、日本がいかに国際的な競争の中で打ち勝っていくかが大きな課題になっているということが、ベースにあります。そういう厳しい状況が続いているということが基本的にあるということですね。

それから、われわれ人間は、常により良くなりたい、より便利になりたい、より豊かになりたい、という思いを持っています。そのことは否定できないと思いますが、行き着く先がどこになるのでしょうか?ということですね。

私が思うには、これで終わりということではないけれども、もう私たちは十分に豊かになっているのではないか、ということです。

今は余計な豊かさがいっぱいありますね。電化製品でもいろんな機能が付いていて、「そこまでいるの?」というのがいろいろあります。最近、家を新築しましたが、驚いたのは何でも自動なんです。トイレの便器のフタも自動で上がる。終わると自動で水が流れる。部屋の電気も人が入ると自動でつく。

そういう意味では、もう十分、物質的な豊かさは手に入れているのではないか。むしろ、自然との共生とか真の豊かさということが大事ではないか。

要するに、人は何が幸せかということです。「足るを知る」ということが大事ではないか。それから、健康や安全・安心、良好な環境、自然との共生、心のゆとり、余暇、人に対する思いやり、感謝の気持ちなども含めた心の豊かさですね。

こういうものは、最初の質問にあったGDPという経済的な指標には表れないものですが、こういうものにもっと価値を見いだし評価する必要があるのではないでしょうか。

もう1つ、新潟県中越沖地震の時に経験したことです。地震による住宅の被害の程度に応じて、公的な支援金が支給されるのですが、家が全壊した場合でも住宅再建に十分足りるわけではないけれども、その絶対額の多寡よりも、他の被害家屋への支援金との差に多くの不満が集中しました。人は絶対的な豊かさよりも、相対的な人との比較のほうに敏感なのです。

さきほどの「足るを知る」ではないけれども、そこそこ自分なりに、これでいいと満足できることが大事ではないでしょうか。

そう、大事なことを言い忘れました。経済成長で失ったものについてです。戦後の日本は基本的に、「国土の均衡ある発展」をめざして、政府において、全国総合開発計画、新全総、三全総、四全総、五全総といろいろな政策が打ち出されてきました。

それぞれ計画ごとの目標がありましたが、要は、「国土の均衡ある発展」をいかにしていくか、が目的です。過疎・過密を解消し、全国一律に豊かになることをめざし、いろいろな計画がありましたが、基本的には結果としてうまくいかなかったと言って良いと思います。

その結果が、今回の増田レポートのようなことになっているのです。大都市と地方との格差、地方から大都市への人口の流出、地方の疲弊が起こっているわけです。

特に、農業です。さきほどのグローバリゼーションとの関係でも、国際競争力も含めて生産性が低く、農業が産業として成り立っていないのです。農業で食えないということで、高齢化が進む一方、後継者や担い手がなかなか出てこない。

農業というのは農村社会と一体なわけですから、農業が廃れれば農村も維持できなくなる。さらに言えば、中山間地が特にそうですが、日本の国土が疲弊し、国土の保全・維持ができなくなってくる。

日本は戦後、高度経済成長期も含めてずっと経済が発展してきましたが、一方で、そういう事態が進行してきたわけです。今、地方は、「切り捨て」と言うと言葉がきついけれども、疲弊してきています。これは国のバランスを著しく失することになるわけです。

大都市というのは、衣食住など、物質的な意味で一大消費地です。何も生産していないとは言いませけど、一大消費地であって、一方、生産地がどんどんその姿を失ってきているのが現状です。日本の国がこれから維持できるのか――これも1つの失いつつある大きな要素ではないでしょうか。


インタビューを終えて

原発の賛否を超えて「明日の柏崎を考える」事業が柏崎市で始まって3年目。そのお手伝いをさせていただく中で、会田市長とお話をさせていただく機会も多く、今回のインタビューでも、「都会という消費地に対する生産地である地方」「原発立地自治体」の首長としての思いやお考えをうかがうことができました。

また、中越沖地震のときの「人は絶対的な豊かさよりも、相対的な人との比較のほうに敏感なのです」というご経験は、世界の幸福研究の知見を裏付けるものでもあり、考えさせられます。

取材日:2014年9月19日


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