100人それぞれの「答え」
050
会社員
Iさん(50代 女性)
経済成長は「手段」。「持続可能な社会」は、みんながどういう状況にいるのか、という幸せな絵が描けて共有できるといい
- Q. 経済成長とはどういうことですか、何が成長することですか。
-
私は経済を改めて勉強してきたわけではないので、単純に「経済」のイメージとして、生産と消費の活動で、サービスやモノが生産されて、流通し、それに伴ってお金が回っていくことと捉えています。
なので、その活動が拡大・増大していくことが「経済活動の成長」で、それに伴って付加価値が増えていくことだと考えます。
- Q. 経済成長は望ましいものですか、それはなぜですか
-
単純にモノが増えるとか数が大きくなるというのは、あまり望ましいと思いません。なぜかと言うと、個人差はありますが、例えば3,000キロカロリーも食べればほとんどの人には多すぎですし、生きている時間も80年とか、頑張って100年くらいでしょう。それを超えるような資源投入というか、消費や投資は、そもそもいるの? という感覚があります。
ただ、モノや生活の基盤、資源が届いていない、不足している人たちにとっては、経済成長は必要だと思います。
「衣食住が足りる生活を営む」というところまでの成長は必要で、そのためにあらゆる資源が、地球規模で上手に配分されていくような経済活動が大切だと思います。
- Q. 経済成長は必要なものですか、それはなぜですか。必要な場合、いつまで、どこまで、必要でしょうか
-
数の拡大や量の増大ではなくて、「質」――生活が豊かになるとか、暮らしの質が良くなること、それを「成長」ととらえるなら、今の経済の規模を問わず望ましいことだと思います。効率も良くて付加価値が高い豊かな暮らしを充実させていく、そういう意味なら、成長は望ましいです。
いつまで、どこまで必要か?ですが、成熟社会には、それにふさわしい成長や維持があり、過剰なものは必要ないと思うので、ある幅の中で適正に富が世界中の人々の中で配分されるようになればいいと思います。成長というよりは地球全体で、資源やお金が回っていく資源循環、経済「循環」の仕組みが必要かなと思います。
- Q. 経済成長を続けることは可能ですか、それはなぜですか
-
永遠に成長し続けるというより、上手に資源や時間、サービス、もしかしたら文化というものを含めて、みんながそれを享受できるような仕組みづくりですね。「文化」と言うと、感覚的、感性的でわかりにくいかもしれませんが、アートや音楽など、知識欲を満たし、心を豊かにする文化活動をみんなで享受したいと思うので。
「成長」という言葉が呪縛になって、「拡大しなきゃいけない」というのではなく、程よいというか、等身大のそれぞれの満足感に合ったあり方で、――そういう視点で、経済活動の質的な向上を図っていくのであれば、ずっと続けることは可能かもしれないと、ちょっと思いました。
- Q. 経済成長を続けることに伴う犠牲はありますか
-
どうしても経済成長・拡大は格差を生むと思います。格差は、不平等につながっていく。不平等な世界では、弱者や困窮者が生まれて、平和な世界にはならないと思います。
日本でも、貧困の連鎖や、お金がないと子どもに教育も受けさせられないとか、日本特有の負の面も出てきている気がします。資産やお金、所有物ではない尺度で成長を測りたいです。
日本で大量の食品が廃棄されている一方、満足に食事ができない人たちがいる、そのアンバランスが課題だと思います。富の偏りが生じないような成長のさせ方、経済のあり方をつくることを、理想論かもしれませんが、そういうことを経済大国といわれる国やトップ企業が率先して、と考えます。
- Q. 日本がこれまで経済成長を続ける中で失ったものがあるとしたら何でしょうか
-
ゆったりした時間の使い方ですね。旅行に行っても、飛んで行ってというより、その行程を楽しむ。無駄なことや、一見無為に見えることを許容する感覚や感性。「それって何につながるの?」と、結果をあまりにも求めすぎていて。「どこかで役に立つかも」とか、「まあいい経験じゃない」みたいな、そういうことを許容する空気や感覚・感性を失った? 当然といえばその通りなのですが、特に会社の中などでは、どうしても効率が重視され、すべてのものに意味や解釈を求めがちで、「あるがままでいいよ」という、許容度が低くなっている感じがします。
なので、"大人のゆとり"がないのかなと。成熟社会って何をもって満足するか、という自分の中の尺度だったりすると思いますけど。
あと、「子どもが夢見る明るい未来」というのが、ちょっと今なくなっているような気がします。子どものくったくのない笑顔というのが、あまりない気がする。どんどん情報処理能力を身につけていて、そこは変化ですし、その変化は良いと思いますが、明るさが何となくないのかなという感覚があります。それも、大人の背中が暗いからかもしれませんね。反省して、私たち大人が、変わらなくては。
- Q. 「経済成長」と「持続可能で幸せな社会」の関係はどうなっていると考えますか
-
お金やモノ、生産や消費の量の尺度ではない、「豊かさを増やす成長」であれば、当然、持続可能で幸せな社会とリンクしていきます。心の豊かさや楽しさ、それぞれが持っている価値観に応じた居心地の良さを創出する経済活動が重視されていけば、持続可能な社会につながると思います。
先進国は成熟した国として、モノだけはなくて文化を高めるための経済成長を志向してほしいし、貧しい国には教育が重要だと思うので、教育に重点を置いた経済政策を進めてほしいし、富める国は積極的にそれをサポートすることが必要じゃないかと思っています。
多様な人が、それぞれの価値観で気持ちよく暮らせる社会は、ミクロな、きめの細かい、さまざまなサービスや文化、表現などが求められるのでは? だから、本当に小さな経済の中で、きめ細やかに回る生産~消費というか、サービスやヒト・モノ・カネが上手に回るコミュニティがたくさんある社会というのも一つの姿だと思います。
今は、グローバル化が進んでいますが、ローカルな中で回っていく経済――地産地消もそうですね。-そういうあり方も大切にしたいです。情報は一瞬で世界を駆けめぐるので、みんなで共有する知識や知恵など知的な部分と、体験したり感じたりするリアルな身近な世界、地域の個性やカラーを上手く橋渡しできると、いいのかなと思います。
この質問に答えていて思ったのですが、私には「経済成長」という言葉には、「強い」とか「勝つ」とか、「トップシェア」という競争のイメージがどうしてもあるんです。もう少ししなやかに、「勝つ」のではなくて、たとえば「負けない」という感覚にならないかと思います。
確かに、競争すれば、能力やスキルなど、いろいろなものが上がって、効率も良くなるし、質が高くなると思います。ですので、知識とか感性を磨くための投資や成長で磨きあえればいいと。感性や感覚が鋭い人は、みんなから尊敬されると思うし、その人やそのグループも信頼を得、満足感を得られるようになると思います。
経済成長は「手段」かと。「持続可能な社会」と言葉にしますが、それは、みんながどういう状況にいるのか、という絵ですよね。農業も漁業もサービス業も製造業も、そこにつながっていく活動。美しい幸せな絵が描けて共有できるといいのかなと思います。
インタビューを終えて
「成長というよりは、地球全体で資源やお金が回っていく循環や、上手に資源や時間、サービス、文化をみんなが享受できるような仕組みづくりが大事」というお話、本当にそうだと思います。成長は(GDPなどで)測れるけど、循環や文化の享受などは今は測れない。だからそちらに注意がいかないのかもしれないけど、大事なものを測るくふうと、測れなくても大事なものは大事と考えられるようになること。
そのためには、またはその結果として、Iさんがおっしゃっている「ゆったりした時間の使い方、行程を楽しむこと、無駄なことや、一見無為に見えることを許容する感覚や感性」がもうひとつの鍵なのでしょう。そして、これは、経済成長と闘わなくても、みんなが賛同しようがすまいが、自分ひとりでも始められる、時々やってみることができるものだなあと思いました。そんな試みや時間、やってみる人が増えていくことが、実は大きな問題を解決する鍵なのかもしれない、と思いました。
そして、「子どものくったくのない笑顔というのがあまりない気がする」というご指摘にもはっとしました。たしかに、海外出張から帰ってくるたびに、「笑顔のなさ」「活き活きした子ども」「子どもたちの笑い声」が少ないなあと思うのです。このことは私たちに何を告げているのでしょうか?
取材日:2015年1月15日
あなたはどのように考えますか?
さて、あなたはどのように考えますか? よろしければ「7つの問い」へのあなたご自身のお考えをお聞かせ下さい。今後の展開に活用させていただきます。問い合わせフォームもしくは、メールでお送りください。