100人それぞれの「答え」

写真:山本 ペロさん

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配達員、ペロタ屋

山本 ペロ(やまもと ぺろ)さん

意外に、お金使わなくても生きていけるんだといううれしさがありました。

Q. 経済成長とはどういうことですか、何が成長することですか。

そもそも「『経済』という言葉も、私は説明できないな」と思い、ウィキペディアで調べました。そうしたら「社会の生産活動を調整するシステム」と載っていて、「お金のことではなく、生産活動のことなんだ」ということをすごく思いました。このプロジェクトのホームページを拝見させていただいて、皆さんが「一般的にはいわゆるGDPのことですよね」と、おっしゃっていたのを聞いて「なるほどな」と思いました。

前にデジタルカメラの雑誌で働いていたことがあって、300万画素、400万画素と、どんどん画素が増えていく時代で、盛り上がってはいたんですけれども、私はその時写真自体にすごく魅了されていたので、「画素というよりは、なぜみんな写真の良さとか、デジタルカメラで写真を撮ることに対して、それほど熱くならないんだろう?」とずっと思っていました。

いい写真を撮られる読者の方をお呼びして座談会をした時に、「やっぱりあのレンズが欲しいな」とか、「今度こういうカメラ買ったんですよ」という話ばかりになってしまったことがありました。そういった話を聞いていると「自分はここにいていいのかな」と、ほんのり思ったこともありました。

「生産量が増えればいいのか」とか、そういうことに関しては、自分の道としては決定的に違うものだなと思いました。そこで、雑誌をやめたあとは、カフェで古本を交換する会をやったりして、いい思い出みたいなものを人にお伝えできたらいいなというのを、ほんのり思い始めました。

それで、本名は山本ユウコと言うんですけれども、それから「ペロタ屋」という名前を勝手に作って、遊び半分でやっていました。それで、気がついたら山本ペロと呼ばれるようになって。

Q. 「ペロタ屋」というお名前の由来は?

由来は特にないんです。雑誌を辞めた後に、自分が本当に好きなことをしよう、何がいいかな、と思った時に、「人を朗らかにするものをあげたい」と思ったんですね。売るか、お金は伴わないまでも渡すかするような仕事をしたいと思って。それは何かなと思った時、勝手に雰囲気でペロタという名前を付けました。

Q. デジタルカメラの雑誌を辞めてから、どんなことを?

環境問題に興味があったんですね。きっかけは、リオの環境会議をモデルにした漫画があって。「失敗したり進まないことも多いけれど、それでもいいほうに一歩ずつ進んでいく、そこが人間のいいとこじゃないか」って、その漫画に出てくるキャラクターが言ってたんです。今まで環境問題に興味なかったけど、そうか、一歩ずついいほうに進めばいいのか、と思ったら、環境活動をすごくしたくなりました。

それで最初は、その漫画家さんが勧めるグリーンピースにボランティアで入りました。その後にJFSさんに参加させていただいた後、greenz.jpの立ち上げの時に、編集部兼ライターとして参加しました。

greenz.jpは出産を機に辞めまして、今は配達員をしています。徒歩でする集団住宅専門の配達というのがあって。それと、子どもを親同士で預け合いながら、保育士さんと一緒に屋外で遊んでもらう「青空保育」というのを、仕事ではなく、やっていて。今、その両方で楽しく生きています。

写真:山本 ペロさん

Q. JFSでもお手伝いいただいていたんですね、ありがとうございます! では、経済成長の問いに戻って。

自分のご経験をベースに、「経済成長は何ですか」と聞かれたら、今だったらどんなふうにお答えになりますか。

自分の思う方向に無理やり曲げるとしたら、「一人ひとりが幸福度を上げられるかどうか」みたいなことなのかなと思っていて。企業単位とかではなくて、「一人ひとり」というところがキーワードなのかなと思っています。

経済については、私は全然わかっていないことが多いと思います。夫が扶養してくれるおかげで、ある意味、お金のことは考えずに済んできた、みたいなところがあるので。今やっている配達のことや青空保育から見える視点がいいのかなと思うので、そういう視点から話します。

私は団地で育ってきて、いわゆる長屋みたいな感じでした。私の2つ上くらいが団塊ジュニアのベビーブームの時代だったので、常に子どもたちがたくさんいて。団地といえば、いつかは一戸建に引っ越す夢を持つ、若い家族が一時的に住まう、活気のある場所だったんですね。

それで、団地っていいなと思っていて、たまたま団地の配達の仕事があったので。子育てと両立したいと思って、子どもに何かあってもすぐに行けるような所と思って選びました。

Q. お子さんはおいくつですか?

4歳です。

実際配達していると、経済成長期に建てられた団地の"夢の跡"というか、そういう感じがすごくしてきていて。団地を歩いていても、たとえば休みの土曜日でさえも、子どもが歩いている姿がない。複数で遊んでいる姿がなくて。たまに見ても、お父さんと子ども、おじいちゃん・おばあちゃんと子ども、という感じで、私が子どもの時は、あんなにあちこちにいた子どもたちはどこに行ってしまったんだろう? と。

今、団地が、築四十年代になっていて、住む人もどんどん減っている中で、配達に行ってお会いする方は60~80代という感じで。お伺いしても、玄関まで出るのも一苦労、印鑑も自分で押せない方がいらっしゃったりします。そういうことがしばしばあって、自分が住んでいたころと全然違うなとびっくりしています。

同時に、もうそろそろ建て替えなければという話が持ち上がった時に、「高層にしてその分たくさん人に貸して、建て替えた予算を補おう」みたいな話になるそうです。しかし、空き家がどんどん増えたりしている団地の姿を見ていると、「一般的なお金とか生産量でいう経済成長っていうのは、ありえないな...」と思います。

将来的には、土地の転用方法も思いつかないまま、壊す予算もなくなり、そのまま廃墟になってしまうんじゃないか、とさえ思います。団地はみんな廃墟になってしまうんじゃないか、という未来の姿を想像すると「日本、やばいでしょう」と、単純に思います。

Q. 経済成長を続けることに伴う犠牲はありますか。

私が住んでいる所は、グループ企業が何もない所に電車を開通させて、グループ企業の不動産が分譲住宅を建てて、グループ企業のバスが通っているという場所なので、何もかもお膳立てしてもらって住んでいる場所なんですね。

そういう所だからなのかもしれないですけれども、この辺に住んでいるおばさまたちとかの話を聞いていると、何か問題があった時に、「じゃあどうすればいいか?」ということではなくて、自分ごとじゃなくて、文句を言って終わり、みたいな感じで。

それじゃあ、私はどうなのか? と思った時、最初は「私は違う」と思ったんですけど、でも、あとから考えると、自分にもそういうことがあるなと思ったんですね。

親と保育士さんが共同で運営している、青空保育に参加しているんですけれども、青空保育での活動自体が、常に自分に染み込んでいる消費者意識との闘いみたいで。あの子が困っている、けど私ぐらい行かなくてもいいだろうとか、つい思ってしまうところを、いかに乗り越えるか、そして、ムリなくできるか、が私の中で課題になっていて。

そういうところを乗り越えて、自分ができることをムリなくお互いに差し出すというところに、経済成長ではない、次の時代の経済があるんじゃないかなと思っています。

主婦の集まりって、お金はあまり関係ない。かかるのは食費ぐらいで、自転車で移動するので交通費もかからない。一般的な経済活動とは少し離れた所にいるのかなという気もしますが、今が青春みたいで楽しい。時々いざこざがあったり、グチったり、家で困ったことを言い合ったり。友達の家行ってみんなで遊んでご飯食べて、子どもたちは子どもたち同士でお風呂入ってる間に、その間ぺちゃくちゃしながらみんなで皿洗い...。それで夜更かしして次の日保育士さんに怒られたりして、すごく豊かで楽しい時期だなと思っています。

だんなさんが働いてくれて、それによってある生活なんですけどね。

Q. 日本がこれまで経済成長を続ける中で失ったものがあるとしたら何でしょう?

「困った人がいたら助ける、話し合う」ことはなくなったなと思います。消費者意識が育って、企業は自分の要求を満たして当然だったりするというか、何か困ったことがあっても、話し合わずに、まずはクレームを言う。対等な人間関係が、少なくなったんだなあ、って思います。

Q. 「経済成長」と「持続可能で幸せな社会」の関係はどうなっていると考えますか

関係ないというか、そこはもういいんじゃないかな、みたいな感じがしています。

Q. 団地の話に戻りますが、「経済成長なんかもう違う世界だよ」というようなお話でしたが、「そういう所だからこそ、経済成長してもっとお金を呼び込んで、みんなが元気になっていかなきゃ」ということを言う人もいると思います。そういう考え方はどう思われます?

絶対数として、働ける人口がいないから。団地で、住んでもらう人を増やそうと、チラシを配っていて、それを見たりもするんですが、いろいろやっているんですね。イケアの家具と一緒に生活できるとか、老人ホームに入る前にちょっと安い所で生活してみる、整備を整えたりしているようです。けれども、団地を建てた時の盛り上がりとは全然違う時代になってきていて、「団地」という枠では、今の人たちにはハマらない時代になってしまったんだろうな、と思います。これからは、「総合してどう幸せになるか」ということではなくて、個々がそれぞれどう幸せになっていくか、というか...。

Q. ご自分の話で、お友だちとやりとりしたり、ご飯を一緒に作って食べたりという話は、個々の人たちの幸せですよね。それと、世の中で言う経済成長、たとえば「お給料はもっと高いほうがいい」とか、「日本のGDPがもっと多いほうがいい」とか、そういうことは全然関係ない話なんですね。

そうですね。子どもを生んで配達をするようになってから、働く時間が減ったので、収入もすごく減ったんです。前は雑貨が好きでいろいろ買ったりしていたんですけど、貧乏になってみると、無駄なものばかり買っていたなということに気がついて。それは単に「買う」という行為をしたい欲で、「モノを持ちたい」欲ではなかったのかも、と思いました。

食べるのと一緒で、「ストレスたまっちゃった、買っちゃおう」みたいな感じだったんだなと思ってます。昔好きだったお店に行っても、欲しいものがほとんどないです。「買う行為」をしたいモノだったらたくさんあるけど、それをずっと持っていたいというモノはほとんどなくて。

本当に欲しいものが少しになって、結果的に「買いたい、買いたい」みたいな欲にさらされることがなくなって、結果的には、生活の満足度というか、幸せ度がちょっと上がった気がします。それはうれしかったことです。意外に、お金使わなくても生きていけるんだといううれしさがありました。

Q. 雑貨屋さんに行っても欲しいと思うものがそんなにないというのは、心境の変化が先だったのか、お金がなくなったから買えなくなったからだったのか。

最初は、「あれも買えない」「これも買えない」と思っていたんですけど。だんだん慣れてきた、というところだと思います。交通費がかかるので、簡単に友だちに会いに行けなくなったり、遊びに行けなくなった、みたいなことは残念だなと思うんですけれども、モノに関して言うとすごく楽になりました。

そして、家を振り返ると、昔、お金がある時に買った気に入った器や雑貨が残っているので、それを使っているとうれしいというのがあって。「今日は昔買ったいい器で食べよう」みたいな楽しみが増えた気がします。

Q. お金が減ると幸せも減ると、みんな思い込んでいるけど、実際はそうじゃなかったという

そうですね。足し引きで、ほんのちょっとですけど。

写真:山本 ペロさん

Q. やってみないとわからないですね。そのほかに何かありますか?

環境問題のことをしていた時に、顔の見える関係というか、顔の見えるモノというのを、すごく言っていた時があって。たとえば、着る物でもエシカルってどういうものを作っているかとか、野菜などもそうですね。そういう生活って、想像すると「なんか疲れそう...」と思っていたことがありました。

しかし、友だちが作ってくれたものに囲まれたり、逆に友だちに向けて作ったものを売るとか、そういう小さい身の回りだけで生活する、みたいなことがだんだん増えていくというのがこれからなのかしら、と。最近思うんです。前に「疲れそう...」と思っていたのは、「遠くのあんまり知らない達人」に囲まれていたからだな、と思いました。

自分で配達していてなんですけど、配送料って結構かかりますし。それだったら、近所の人の何かというのがいい。最近、地元のマルシェに参加したんですけど、自分で焼いたクッキーとかあっという間に売れたりして。

こういう小さいマーケットがあちこちにあって、それを少しずつ買って、リサイクル品を買って大切に使ったり、そういう生活なのかもしれない、と未来のことを考えた時に思います。

Q. ご自分の生活も、そういう生活に近づいている感じ?

そうですね。今までは、スーパーとかで買っていたんですが、震災以降、いろいろ考えて、「スーパーなどチェーン店で買うのはやめよう」と、なぜかそういう結論になったんですね。

今でもスーパーでは買ってしまうんですけど。せめて、と思い「生活クラブ」という生産者をみんなで支えるみたいな生協の組合員になりました。

肉がびっくりするほど高いのを、買って食べると、すごいレストランで食べるような肉の味がしたりする。最初は単純にうれしいですが、だんだん「これは私の身の丈の味じゃないな」って思うようになりました。

前、クウネルや天然生活、みたいな文化にちょっとハマっていた時があったんですけど、いいもので周りを固めると、結局、お金、お金、みたいな感じになるんですね。これは滋賀の誰々さんが作った何とかで、みたいな感じになったりするのは嫌だな、と。「いかに自分の身の丈の品質で生きていけるか」みたいなところが自分の中であります。

生活クラブの中にもいろんな品質がある中で、「自分の身の丈の品質って何だろう?」とすごく考えます。たとえば、無農薬とか有機がいいと思っても、やっぱり価格として、身の丈じゃないなと思うところもすごくある。だからといって、業務用スーパーのあれの品質は嫌だなとか。そういうところで「本当に自分の身の丈は何か?」、厳しく問うたり、問わなかったりする日々です。


インタビューを終えて

「絶対にこの方にはインタビューして見て下さい」とお薦めいただいて、山本ペロさんにお会いしました。温かい時間でした。

団地が好きで、団地の配達の仕事をされています。「配達していると、経済成長期に建てられた団地の"夢の跡"というか、そういう感じがすごくして」――私も小さい頃団地で育ったので、何となくわかるような気がします。

ペロさんの「働く時間が減ったので、収入もすごく減った。貧乏になってみると、無駄なものばかり買っていたなということに気がついた。本当に欲しいものが少しになって、結果的に「買いたい、買いたい」みたいな欲にさらされることがなくなって、結果的には、生活の満足度というか、幸せ度がちょっと上がった気がする。意外に、お金使わなくても生きていけるんだといううれしさがあった」という実感のお話、「お金が減ると不幸になる」と思っている人が多い中で、とても感じ入りました。

そして、「友だちが作ってくれたものに囲まれたり、逆に友だちに向けて作ったものを売るとか、そういう小さい身の回りだけで生活する、みたいなことがだんだん増えていくというのがこれからなのかしら、と。最近思うんです」という言葉、この主婦であるペロさんの実感の言葉は、このシリーズに登場して下さった専門家の方々がおっしゃっている方向性と軌を一にしていると感じました。静かな革命が密かに進行中、という気がします。

取材日:2015年2月10日


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