100人それぞれの「答え」
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幸せ経済社会研究所研究員、武蔵野大学非常勤講師
新津 尚子(にいつ なおこ)さん
私が子どもの頃は、使い捨ての商品を使うことに対する罪悪感が周りにもっとあった
- Q. 経済成長とはどういうことですか、何が成長することですか
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一般的にはGDPが、幾何級数的に成長し続けることを意味していると思います。
- Q. それは望ましいものですか、それはなぜですか
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もし経済成長がGDP成長をさしているのであれば望ましいとは思いません。なぜなら、GDPの規模を大きくするためには、たくさんの資源が必要ですし、また国や世界のGDP成長と人々の生活が安定することは、必ずしも同じことではないからです。
- Q. それは必要なものですか、それはなぜですか。必要な場合、いつまで、どこまで、必要でしょうか
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現在の経済の仕組みでは、GDPの成長は必要だと思います。たとえば、家や車を買うためにローンを組む場合、あるいは事業をはじめるために融資を受ける場合、通常はその借金には複利で金利が課されます。複利的と幾何級数的は同じことを意味しています。つまり、お金を借り続けていると、返済する金額も、幾何級数的に「成長」してしまうのです。私は大学で学ぶような経済学には詳しくないのですが、政府でさえ借金をしている現代の社会は、経済成長を続けていかないと、社会全体が破綻する仕組みの社会のように思えるのです。
- Q. 経済成長を続けることは可能ですか、それはなぜですか
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GDPの成長を続けることは可能ではないと思います。よくいわれることですが、石油などの有限な資源を幾何級数的に使い続けることはできません。しかも現在、地球規模ではまだ人口は増加しているのです。反対に、日本では人口は減少し始めています。この場合は、労働力が減ることを意味しているので、そういう意味でもGDPの成長を続けることは可能ではありません。
- Q. 経済成長を続けることに伴う犠牲はありますか、それは何ですか、なぜ生じるのですか
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問題点は色々ありますが、手段だったはずの経済成長が目的化してしまうことも問題の1つです。経済成長が目的になると、人々の暮らしよりも、GDPの数値が優先されます。現在はそういう状態になっているのではないでしょうか?
- Q. 日本がこれまで経済成長を続ける中で失ったものがあるとしたら何でしょうか
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「足るを知る」、「もったいない」といった価値観。ノスタルジーかもしれませんし、個人的な経験にすぎないかもしれませんが、私が子どもの頃は、使い捨ての商品を使うことに対する罪悪感が周りにもっとあったように思います。 また、1970年代の「一億総中流」という言葉に代表されるような、「日本は平等な社会だ」と感じる傾向も、このところ薄れてきたと思います。少し前までは、格差社会の問題を論じる時にも「そうはいっても日本は平等だ」という声が聞かれましたが、最近はあまり聞かなくなったように思います。
- Q. 「経済成長」と「持続可能で幸せな社会」の関係はどうなっていると考えますか
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現在の仕組みでは、両立しえないと思っています。たとえれば、私たちは「GDPが成長し続けないと、生活が成り立たない」というルールのゲーム盤(将棋盤やチェス盤?)の上で暮らしていると思うのです。自分がそのゲームに参加していると、目先の点数は気になっても、客観的にそのゲームの欠点を考えることは難しいでしょうし、たとえおかしいと気がついても、そう簡単にはゲームのルールを変えることはできません。社会とはそういうものだと思います。でも、ゲーム(社会)のルールも人間が作ったものである以上、時間はかかっても作り直すことはできるはずです。だから、限界がきてゲーム盤がひっくり返って生活がめちゃくちゃになる前に、「経済成長(この場合はGDP成長ではないものです)」と「持続可能で幸せな社会」が両立できるような経済や社会をつくっていきたいのです。
インタビューを終えて
とてもわかりやすく説明して下さっているなあ!と思いました。 「私が子どもの頃は、使い捨ての商品を使うことに対する罪悪感が周りにもっとあったように思います」「少し前までは、格差社会の問題を論じる時にも「そうはいっても日本は平等だ」という声が聞かれましたが、最近はあまり聞かなくなったように思います」――これらの指摘にははっとしました。たしかにそう思います。私が子どもの頃も、「使い捨て」というのは悪いこと、というイメージが共有されていたように思います。
その罪悪感や違和感よりも、「効率」や「便利さ」が社会全体で優先されるようになったのはこの数十年なのですね。社会(というより経済)の必要性(どんどん使い捨ててもらわないと、経済成長できない)と、私たち人間の中にある弱い部分(便利な方がいい、私ひとりぐらい、など)が、鍵と鍵穴のように、ぴったりと符合してしまったような気もします。それを解くにはどうしたらよいのでしょう?
最後のゲームのたとえも、本当にそう思います。私もよく「現在の土俵で闘いつつ、土俵自体をひっくり返さなくてはならない」難しさ、ということを考えたり話したりしています。そのためには冷静で綿密な計画や戦略が必要なのですよね。幸せ研の研究員でもある新津さんとも力を合わせて、考えていけたらと思っています。
取材日:2015年2月20日
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