幸せ研の活動について

ホーム > 幸せ研の活動について > お木曳きから「しなやかな強さ」を考える

2011.05.30

お木曳きから「しなやかな強さ」を考える

お木曳きから「しなやかな強さ」を考える

Some rights reserved by Tom BKK

これからの厳しさを増す時代に、それでもしっかりと幸せに生きていくために、私たち一人ひとりに、そして地域や組織に、国に、何が必要なのだろう?とよく考えます。

私の生涯キーワード(?)である「つながり」もそうですし、よい日本語になかなかならないのですが、レジリアンス(resilience) もそうだと思っています。日本語では「弾力性」「復元力」などと訳されますが、私は「しなやかな強さ」と訳したりします。

以前に、日経エコロミーというウェブサイトに、自分の経験したことをこの観点から書いて寄稿したことがあります。

日経エコロミー 連載 第2回(本当の強さを創り出すもの)

■持続可能性の鍵は「しなやかに立ち直る強さ」

以前、伊勢神宮に取材にうかがい、「持続可能性」という観点からいろいろなお話をうかがいました。遷宮を繰り返すことで永遠を紡いでいる伊勢神宮は、「本当の強さ」とは何かを示すとても興味深い例です。

西洋型の発想で強いものを造るなら、堅牢(けんろう)な石やコンクリートを使うでしょう。でも伊勢神宮では、材木を組んだだけのお宮を建て替え、建て替えすることで、永遠をつくり出しているのです。同時に、宮大工やさまざまな手工業者の技(御神宝や御装束など)もそのなかで伝承されます。

問題解決の手法として注目されている「システム思考」や「学習する組織」の重要なコンセプトのひとつに、「レジリアンス(resilience)」があります。「弾力性」と訳しますが、何かがあってもしなやかに立ち直る強さのことです。組織づくりでも、社会や地球についても、この「しなやかな強さ」がとても大事であることはおわかりになるでしょう。伊勢神宮の式年遷宮には、この「しなやかな強さ」の鍵が隠されているのです。

■お宮の建て替えが町ぐるみの行事に

さて、遷宮は8年かけて準備します。建て替えの木材となるヒノキは、山で伐採されたあと伊勢の宮川から陸揚げされて、外宮に運び込まれます。内宮には、五十鈴川から運ばれるそうです。そして、2年間、神宮の貯木池に沈め、木の余分な油を抜きながら、製材される日を待ちます。

陸揚げした材木を神宮まで運び込む「お木曳き」行事は、遷宮の8年前に行われます。2013年の第62回遷宮に向けて、今年がちょうどその年です。去年・今年の5〜6月にかけて、伊勢の80を超える町がそれぞれの町で団を組み、お木曳きを行っています。

もとはお宮の仕事としておこなわれていたお木曳きですが、いまでは「町ぐるみでお伊勢さんを大事にする」行事として、町の人々の楽しみでもあります。また、全国から集まる人々は、「一日神領民」として参加できます。

伊勢市長から「ぜひお木曳きに参加してみてください」とお誘いをいただき、私の環境メールニュースを読んでくださっているという伊勢の議員の方にも大変お世話になりながら、会社やNGOの仲間たち16人で伊勢にお邪魔しました。

今回は特別に「通町」の団に混ぜてもらい、数百人の町の人々と同じ経験を味わうことができました。

■効率の悪さを楽しむ

朝、宮川に行きます。川の中の木を木橇(きぞり)に載せ、みなで綱を引いて、堤防へのゆるやかな坂を上っていきます。堤防の上まで来て、さあ堤防を乗り越えて町へ下ろうかというときに、曳いてきた人たちは木遣り歌を歌いながら、木橇(きぞり)を揺すって、まるでシーソーのように"遊び"始めるのです。そして、あらあら、川のほうに戻っていってしまいました!

こうやって、2回も3回も曳いてきては堤防上で揺すり、また川まで戻してしまうということが繰り返されます。そして、最後の最後にやっと町の中へと木を曳き込みました。

いよいよ神宮に向かいます。きれいに飾り付けされたお木曳き車についている2本の綱をそれぞれ300人以上の人たちが手に手に持って曳いていきます。2本の綱の間には、ハッピ姿もカッコいい若い衆が、木遣り歌で調子をつけながら、みんなを先導してくれます。「みんなで粛々と曳いていく」というようなものではありません。笑いがいっぱいで、そして、効率が悪い。効率の悪さを楽しんでいる。しょっちゅう立ち止まっては「遊び」が入ります。

Some rights reserved by Tawashi2006

行進が止まると、みんなで綱を上下に揺すり始めます。そうして、2本の綱のこちら側とあちら側から真ん中目がけて走り寄り、綱引きならぬ「綱押し」をするのです。真ん中の若い衆はぺっちゃんこになりながら、綱押しを扇動しています。

あちらへぐぐぐぐっと押していくと、今度はあちらからぐぐぐっと押される。そんな行ったり来たりを何度か繰り返すと、綱はまた2本に分かれ、木遣り歌とともに進み始めます。でも、少し進んだかと思うと、またすぐにその綱押しが始まります。

それほど遠くない距離なのでしょうけど、そうやって何時間もかけて、お木曳き車が神宮の近くまでやってきました。最後の最後は、「エンヤ曳き」です。体力に自信のある人たちだけが参加し、綱を持ったまま走って、お木曳き車を神宮の中に曳き込みます。もちろん私も参加しました! 雨の中転ばないように夢中で走ります。無事、最終地点まで到着すると、みんなでバンザイ! みんなほんとにいい顔をしています。

■「遊び」が強さになる

今回、お木曳きに参加して強く感じたのは、一見、時間のむだ・体力のむだのように思われる「遊び」があちこちに、システムとして組み込まれているということ。そして、それがレジリアンス(しなやかな強さ)をつくり出しているということでした。

そして、宮大工や手工業者の技だけではなく、伊勢の町の「地域力」の伝承にも、この式年遷宮が大きな役割を果たしているということです。

今でも木遣り歌が、頭の中にも心の中にも響いています。いい経験をさせてもらいました。

社会でも組織でも、短期的な「効率性」を求めて、短期的に役に立たないと思われるバッファーや冗長性をどんどん削ってきました。その結果、中長期的な「しなやかな強さ」を失ってきたのではないか。

でもこれから、温暖化にせよピークオイルにせよ、いろいろな動乱や不連続性が生じてくる時代に、「しなやかな強さ」を取り戻すこと、意識して作り出すことは何よりも大事なことの1つではないかと思うのです。

Page Top