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2013.02.05

レジリエンスと定常型経済の国へ向かって

ジャパン・フォー・サステナビリティ(JFS)ニュースレター No.123 (2013年1月号)
http://www.japanfs.org/ja/join/newsletter/pages/032562.html

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人間による環境への負荷を示す指標であるエコロジカル・フットプリントのデータを見ると、現在の人間活動を支えるために、地球が1.5個必要になっています。地球は1個しかないのに? 私たちの世代は過去の遺産を食いつぶし、未来から前借りをすることで、1個しかない地球が支えられる以上の活動を続けているのです。

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銀行口座を考えてみてください。元本に手をつけず利子だけで暮らしていけば、持続可能にずっと暮らしていけますが、今の私たちは、元本にどんどん手をつけ、私たち人間の生存基盤そのものを切り崩しているのです。つまり持続可能ではないのです。

なぜ私たち人間は、1.5個もの地球を必要とするような活動を展開しているのでしょうか? 人口が増え続けていること、そして私たち一人ひとりの、もっと欲しい、もっと使いたいという欲望のせいでもあります。

しかし、それだけではありません。今の経済・社会には、拡大へ向かう構造が埋め込まれているのです。経済と社会の構造を変えていく必要があります。必要な変革にとって大事なポイントだと思っている2つの観点について述べたいと思います。


「東日本大震災を経験した日本」だからこその持続可能性のビジョン

1つは、「東日本大震災を経験した日本」という視点です。2011年3月11日、東日本を襲ったマグニチュード9の大地震と、最大38メートルに達したとも言われる津波、そして東京電力福島第一原子力発電所事故は、私たちに多くの教訓を残しました。その1つは、目先の利益を求めるがゆえに、何かあってもしなやかに立ち直る力(レジリエンス)を私たちの社会は失っていたということです。

大震災後、物流も生産も広範囲にストップしてしまいました。ジャスト・イン・タイムという、どこにも在庫を持たない、極めて効率の良い仕組みにしていたため、また、コスト削減のために部品の仕入れ先を場合によっては1社まで絞っていたため、今回のように何かあったときに、まったく動きが取れなくなってしまう構造になっていたのです。

また、そのほうが安い深夜電力が使えるから、便利だからと、オール電化の家にした人たちも、震災後は停電で何も動かなくなり、大変な思いをしました。自宅には電気もあり、ガスも薪ストーブもあり、太陽光パネルも載っていて、必要があれば近所からも電力の融通が利くということなら良かったでしょう。

こういった多様な支えを「何かあったとき」のために備えておくことは、短期的にはお金がかかり、経済効率が悪いものとなってしまいます。3.11は、私たちの暮らしも経済も社会も、目先の経済効率や便利さを求めるがゆえに、中長期的なレジリエンスを失っていたことを教えてくれたのでした。

3.11の教訓は、「目に見えなくても、お金では測れなくても、短期的には無用に思えても、大事にすべきものは大事にしないといけない」ということです。これまでの私たちの尺度は、短期的で一元的な経済的な効率でした。私たちは「効率」を、四半期や一年といった短期的に測るのではなく、もっと包括的に考える必要があります。長期的に考えたときの効率を最大化すべきなのです。

「長期的な効率」という点では、自然との共生を考え直す機会にもなりました。自然との共生とは、自然の美しい・優しいところを手もとに置いて愛でることではなく、荒ぶる自然も含めて、どのように折り合いをつけて共に生きていくかということです。そのとき、高い防波堤をたてて、その際まで住宅や工場を造るといったように、地上の空間をすべて人間のために使うのではなく、自然の揺らぎのスペースを残しておくことが、長期的なレジリエンスにつながります。

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このことを私たちは、被災した岩手県宮古市姉吉地区の集落から学びました。岩手県宮古市の重茂(おもえ)半島にある姉吉(あねよし)地区では、以前の大震災の経験から石碑を建て、ふだん仕事で通う浜から500メートルも離れ、海抜60メートルの高台にある石碑よりも上にしか家を建ててはいけないと言い伝え、村の人たちはそれを守ってきたのです。今回の地震で、岩手県宮古市姉吉地区からは被害者が出ませんでした。

3.11後、企業は物流や生産の分散化を進めています。都会でも、以前は「時間のむだ」「わずらわしい」と敬遠されていた町内会の活動が活発化しています。短期的な経済効率だけではなく、中長期的なレジリアンスを求める動きなのだろうと思います。

このように、3.11を経験した日本が描くサステナビリティのビジョンの1つは、レジリエンスを重視するということです。


「人口減少時代に突入した日本」だからこその持続可能性のビジョン

もう1つの視点は、人口減少社会としての日本の描く持続可能性のビジョンです。日本は、2004年に人口がピークに達してから人口減少時代に突入し、今後100年間で100年前(明治時代後半)の水準に戻っていく可能性があります。この変化は千年単位でみても海外をみても類を見ない、極めて急激な減少です。また、1990年代初めにバブルが崩壊してから、日本経済は20年ほど停滞しており、「失われた20年」とも呼ばれています。

これは、経済成長至上主義から見れば問題かもしれませんが、来るべき定常経済の姿を先取りしているのではないかと、私は考えています。定常経済とは、活発な経済活動は繰り広げられるが、その規模は拡大していかない経済です。日本は世界に先駆けて、「人口が増えつづけ、経済規模もどんどん大きくなるという右肩上がり時代」から決別し、都市づくり・まちづくりも、経済や社会の在り方も、人口減少をベースに考えるという大きな課題に直面しています。

これまで政治は「経済が大きくなれば、みんなの取り分は増えるから、問題は解決する」として、再分配の問題を避け、パイの拡大に力を注いできましたが、経済が拡大を続けなくなるとしたら、「いかに富を分配するか」という政治の本来の役割に戻ることになるでしょう。

世界の中では、「縮小都市」「smart decline」など、いかに賢く幸せに小さくなっていくかを研究・実践し始めているところもあります。

考えてみれば、日本の得意な技術も、「縮小のための技術」です。あんなに大きかったコンピュータが、手のひらに載るほど小さなものになり、フィルムも現像液も不要で好きなだけ写真が撮れるデジカメが使われるようになりました。企業がしのぎを削って開発競争を進めている省エネ技術にしても、「減らす」ための技術です。

定常経済ということでは、日本にはもうひとつ有利な点があります――江戸時代(1603年~1867年)の経験です。この間、日本が外国から侵攻されることはありませんでした。大変な努力をして、国内自給体制を確立させ、海外とのやりとりを絶ち、鎖国をしていたのです。また、国内でもほとんど戦争のなかった平和な時代で、日本の経済や文化が独自の発展を遂げました。

当時の日本の総人口はほぼ3000万人で、ほとんど変動がなく、2世紀半ものあいだ人口が安定していました。鎖国をしていましたから、海外からは何も輸入せず、すべてを国内のエネルギーや資源でまかなっていました。江戸時代の研究家・石川英輔氏の計算によると、江戸時代の経済成長率は年率0.4%程度、当時の寿命を考えれば、一人の人生の間に「経済が大きくなった」とは実感できない、いわば定常経済でした。

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その江戸時代の日本は、「足るを知る」という価値観を大事にし、拡大を続けない経済・社会の中で、素晴らしい文化を花開かせました。江戸時代の末に日本を訪れた欧米人がこぞって「礼儀正しく、朗らかで、なんと幸せそうな人々だろう」と称賛した記録が多数残っています。もちろん、江戸時代にもたくさんの問題があり、決してユートピアではありませんが、265年間にわたって、自国にある資源の持続可能な活用だけで社会を成り立たせていた、「持続可能な社会」の1つのお手本があるのです。

いかに、短期的な経済効率だけではなく、中長期的なレジリエンスも重視する社会や経済、暮らしにシフトしていくのか? いかに、「経済は成長し続けなくてはならない」という幻想のメンタルモデルから解き放たれ、「本当に大事なのは、経済が成長しつづけることではなく、経済が持続的に営まれる中で人々の幸せを創り出していくことだ」という価値観を共有して、経済や社会の仕組みをそれにあうように変革していけるのか? これが今の、そしてこれからの日本にとっての課題であり、その課題解決を通して、日本は世界に貢献できるのだと信じています。

日本だからこその持続可能性のビジョンとして、「レジリエンス」と「定常経済」の2つを挙げました。そして、この2つは関連しています。自転車を考えてみて下さい。安全な速度を保って、同じスピードで走っている自転車と、どんどんとスピードを上げ続けながら走っている自転車と、突風が吹いたり、急に対向車線に車がやってきたときに、どちらのほうが崩しかけたバランスを取り戻しやすいでしょうか?

持続可能性とは、私たちの文明や地球、人々の暮らしや幸せが続いていくということです。そのためには、その持続を損なうもの、たとえば、気候変動や生物多様性の損失を止めなくてはなりません。そして、どれだけ計画をしてもすべてに対処することはできないので、何が起こっても立ち直れる力、つまりレジリエンスを採り入れる必要があります。

3.11を経験し、人口減少時代に入りつつある日本が、レジリエンスを重視した定常経済へのシフトを試行錯誤し、その学びや教訓、筋道を伝えていくことが世界のためにも役に立つと信じています。

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