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ホーム > インタビュー > 草郷孝好 × 平山修一 × 枝廣淳子(第4回オープンセミナー)(1):インタビュー

関西大学社会学部教授 草郷孝好氏 × GNH研究所代表幹事 平山修一氏 × 枝廣淳子 ~幸せ経済社会研究所 第4回オープンセミナー「GNH(国民総幸福) みんなでつくる幸せ社会へ」(2012年3月20日開催)より~ Interview06

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GNHは単なる理想? GDPとの間にある大きな溝。

枝廣:
最初に少し私の問題意識を共有させていただいて、ぜひお二人にいろいろお話をいただければと思います。
今、「GNH」とか「幸せ」は、「新しい指標」としてどう捉えられるかということから考えたいと思います。日本では特に、世の中が大きく変わってきています。昔だったら、特に男性が「幸せ」なんて口に出すのは恥ずかしいとか「女々しい」とか言われた時代もあったと思うんですが、そうではなくなってきている。それは多分もう、GNHとか幸せを考えざるを得ない理由が、誰の目にも明らかになっているからだということがあると思います。
それは、少なくとも2つの次元において明確です。1つは地球環境です。もう地球の限界を超えてしまっている。それなのに、GDPの成長による経済の発展をまだまだ増やそうとしている。それはもう、地球を見たって、温暖化にしろ、生物多様性にしろ、無理でしょうと。なので、地球の限界ということが明らかになってきた今、そうではない、経済の大きさではないものを模索するという動きが、社会的にも出てきている。
もう1つは、大げさな言い方をすると、社会の崩壊ですよね。二極分化、格差の問題、ワーキングプア、そして貧困の人たち。今日本では貧困層が非常に増えている、そういった大きな背景があると思います。
一方で、私が講演会などでこういう話をすると、「理想としては確かにいいんだけどね」という反応がほとんどです。「日本の経済はどうなるの?」「世界から置いていかれていいの?」「若い人たちの雇用がなくなるよ」「年金の元がなくなるよ」とよく言われます。
理想として、「GNH」や「幸せ中心」というのはいいけれど、現実的ではない、というのが多分、多くの方々の感じなのだろうなと思います。
つまり、GDPとGNHの間には非常に大きな溝があって、今、全然その架け橋が架けられていないことが問題なのじゃないか、という気がしています。私の一番の問題意識は今、そこです。GDPとGNHをどういうふうに橋渡ししていったらいいのか。
ブータンの首都、ティンプーの伝統工芸学校の壁に書かれたスローガン。「国民総幸福(GNH)は国民総生産(GNP)よりも重要である」というジグミ・シンゲ・ワンチュク第4代ブータン国王の言葉。
ブータンの首都、ティンプーの伝統工芸学校の壁に書かれたスローガン。「国民総幸福(GNH)は国民総生産(GNP)よりも重要である」というジグミ・シンゲ・ワンチュク第4代ブータン国王の言葉。

経済発展はしたい、けれどもそのために大事なことを犠牲にはしない。

枝廣:
そこで、1つ目にお二人に教えていただきたいことは、ブータン、もしくはこのGNHをやっているコミュニティで、経済成長やGDPがどういう位置づけになっているのか。GDPとGNH、もしくは経済と幸せを、国として、もしくはいろいろな思想として、どういうふうな位置づけにしているのかなということを、まずお聞きしたいと思います。
平山:
では私から。やはり経済成長というのは切って切れないものでありますし、ある程度収入が担保されている状況というのは必要であると思います。
ただ、そのお金がお金を生むような経済成長ではなくて、ちゃんと持続可能な経済を支える再生産に必要な地力といった、土地に対する投資、環境に対する投資、将来の世代に対する投資なども、間違いなく考えましょうということだと思います。そのために経済発展が無理だったら、その辺はみんなでシェアして、負担を享受しましょうということです。滋賀県甲良町の事例のように、そういう考え方で動いているコミュニティもあります。
ですから、経済発展を非難し、排除しているわけではなく、経済発展も考えたい。でも、経済発展のために、ほかに守るべき大事なところ、自分たちで決めたモノサシに反することはしない、というふうにGNHは考えられています。

人々の満たされた生活状況は、物質的な豊かさだけでは測れず、また一人の生活が満たされるために必要な富は、一律ではないということ。

草郷:
ブータンについては、もしかしたら僕の理解が十分ではないかもしれませんけれど、GDPを否定はしていません。いわゆる政策決定者の立場にある人たちは、IT関係の雇用を増やしたいとか、自分たちの国にとっての雇用の必要性ということは唱えています。
ただし、それですべての人を賄おうとか、いわゆる都市型の産業で、すべての人が高い賃金で生活を立てるということだけを100%満たすことを目指しているわけではありません。そのあたりのバランス感みたいなところが、実は日本は弱いと僕は思っています。
アマルティア・セン(1933ー )インドの経済学者。アジア初のノーベル経済学賞受賞者でもある。

アマルティア・セン(1933ー)インドの経済学者。アジア初のノーベル経済学賞受賞者でもある。

アマルティア・センという経済学者がいますが、センがいいなと思うのは、「人々の満たされる生活状況というのは、物質的な豊かさだけでは測れない」ということを言い切り、さらに、平準化の問題にまで言及しているところです。

つまり「私たちが今生活している社会の最初の礎というのは、経済理論があって、その理論では、私たちが望ましき生活をするとしたら、これだけの量のものを持ち、それを見事に、みんなが配分できたら素晴らしい。」ということですね。

たとえば300万円の収入だったら、素晴らしい生活ができるとして、すべての人に300万円配分するとする。でも、300万と言ったときでも、一人ひとりの状況って一緒でしょうか? たとえば、ある人は透析を受けなければいけないというときに、その人にとっての300万円と、そうでない人の300万円が一緒なのかと言ったら、違いますよね。そういったことも配慮しないで計測している経済理論で、実は社会を設計されているんですね。
センはそれを批判しています。経済学のものの見方を、社会全体から平均的に見るのではなく、一人ひとりの立場というものをちゃんと尊重して、一人ひとりにとっての生活の質が高いような、一人ひとりが持っている力というものが発現しやすいような、そういう社会を実現したい、そのために経済学から何ができるのか?という問いかけをしています。それが彼の言う「潜在能力」(ケイパビリティ)の考え方ですよね。
なので、そういう見方で経済理論のあり方も変えていかないといけないということで、僕は「GNH型」ということを言っています。
現実にどうできるのという話では、社会をどういうふうにしたいのかと設計したら、「その設計図を持った上で、その設計図を満たすためにどれぐらいの収入が必要ですか?」という議論をすることだと思います。
僕は、ブータンの事例からそうしたヒントが学べると思うし、そこがGNHの面白いところだと思っています。
なので、僕は「GNHの思想、センの考え方を活用しながら、私たちがやることは簡単で、みんなが今大事だと思えることは何なのかという優先順位をちゃんと決めましょう。決めた上で、それに大事な限られたお金を振り分けるということが大事で、それがGNH型への一歩じゃないですか?」というような言い方をしています。
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