「車よりも電話」? ―変わりつつある価値観
- レスター:
- さらに、人々の自動車に対する考え方も、新しい時代に入りつつあると言えるでしょう。私が若いころは、特に農村地帯に住んでいるならば、人と交流するには、自動車や小型トラックなど、持っている乗り物に乗って、ドライブして、ほかの友達を乗せたものです。それが私たちの交流のやり方でした。それしか人の集まる方法がなかったのです。しかし、ワシントンDCや東京に住んでいる若者が自動車に乗り込んで、ドライブしている姿は想像できません。
- 枝廣:
- そうですね。
- レスター:
- つまり、今、何が起きているかというと、若者はインターネットで交流するということです。ドイツで、確か19歳から39歳を対象の調査が行われました。「スマート・フォンと自動車のどちらかを選ばなければならないならば、どちらを選びますか?」という質問です。圧倒的大多数が「電話」と答えました。
- 枝廣:
- そうですか!
- レスター:
- 人々の考え方のシフトが表れています。米国では、自動車の台数は、もはやあまり増加しないと思います。実際、現在、減少に転じるかもしれません。
- 枝廣:
- 本当ですね。
- レスター:
- なぜなら、多くの若者はわざわざ運転免許証を取得していないからです。自動車を運転することに魅力を感じていないのです。
- 枝廣:
- 日本でも同じ状況だと思います。日本の自動車ディーラーは、若者に自動車を売ろうと必死になっていますが、多くの若者は自動車を持つことがかっこいいと思っていません。カーシェアリングやレンタカーがあります。だから、自動車を持たなくてもいいのです。特に若者の間では、基本的な価値観が変わってきていると思います。人々が自動車から自転車へ切り替えれば、もちろん、地球への環境負荷が減り、同時に幸福度も上がると思うのです。なぜなら、レスターさんがニュースレターでお書きになったように、自動車を運転していると、ほかの自動車の人たちと会話することは難しいですが、自転車の場合、信号待ちで自転車を止めたときに、ほかの人たちと話すことができます。
- レスター:
- 本当に。イライラしてクラクションを鳴らすのではなく、おしゃべりできるのですよね!
- 枝廣:
- そうして、幸福度が高まります。
幸福と消費とGDP
- レスター:
- 一方で、人々が疑問を感じ始めている兆しがあります。米国では過去数十年の間、新築の住宅は年々どんどん大きくなるばかりでした。それが今ではどんどん小さくなっています。自動車もどんどん大きくなっていましたが、今では小さくなってきています。
- 枝廣:
- こうした動きについて、世界の多くの国々のなかではブータンが先駆者だと思います。ブータンはGDPやGNPではなく、国民総幸福量(GNH)が各国にとって最も重要なものだと述べました。これは、ブータンだけの考えではなく、近年、フランスの大統領も幸福についての報告書を作成しました。彼によると、フランス政府が、GDPだけでなく、進歩を測る一つの方法として、人々の幸福度に注目しているそうです。同様に英国でも、持続可能な開発委員会が、「成長なき繁栄(Prosperity without Growth)」に関する報告書を作成しました。ですから、これはブータンだけの考えではなく、先進国の間でもますます見られるようになりました。福利と幸福に関する新しい概念です。なぜ今、こうした変化が見られるのでしょうか?
写真撮影:辻信一(ナマケモノ倶楽部世話人)
- レスター:
- 米国では、幸せか、幸せではないか、人々がどのように感じているかについての調査が行われています。興味深いことに、調査が開始されたのは1950年代なのですが、過去半世紀にわたり、米国では幸福度の高まりが見られないということです。米国人の消費量が2倍、3倍、4倍になったというのに、です。ですから、消費が必ずしもより高い幸福度をもたらさないということが明らかです。餓死しそうであれば、もちろん消費は幸福をもたらします。あるレベルを超えると、幸福をもたらさないのです。
- 枝廣:
- 一般の人々は、幸福と消費をますます区別するようになりました。しかし、こうした問題について、企業などの産業界の人たちと話すと、多くの人々が、GDPこそ追い求めなければならないものだと信じています。GDPやGDPの拡大への執着が、より多くの消費、生産、環境への負荷をもたらすので、多くの問題を引き起こしています。GDPの拡大という考えと、それに対する人々の執着についてどうお考えですか?
- レスター:
- 産業界にいて、成功していると見なされたいならば、企業は成長しなければなりません。収益を上げなければならないのです。つまり、ある意味、成長に依存したシステムに根本的な問題があるのです。ある程度の見直しが必要でしょう。システムにどのように取り入れていくかについて、具体的にはわかりませんが、もし、人々がすべてのものをより多く消費したくないと考えるようになれば、まさに人生を楽しむことができる、よりシンプルな生活を求めるでしょう。そうなれば、企業は、現在、操業している分野で「成長し続ける」という問題を抱えなくて済みます。
- 米国の自動車業界の例を見てみましょう。米国の現在の自動車生産能力は、5年前を大幅に下回っています。おそらく今後はさらに減少するでしょう。成長への執着に歯止めがかかっている一つの例です。もし、人々がもっと多くの自動車を欲しいと思わなくなれば、自動車会社は成長や自動車販売量の増加を継続することはできません。自動車業界は、この始まりが見られる主な部門です。6~8年前の米国の新車販売台数は1,700万台でしたが、今年はこれが1,300万台になる見込みです。
- 枝廣:
- 本当ですか?
- レスター:
- ちなみに去年は1,150万台でした。1,700万台に戻ることはもうないと思います。米国の自動車数はまもなく減少し始めるでしょう。
出典:アースポリシー研究所;ウォーズオートモーティブグループ
- 枝廣:
- 企業が、進歩や成功を測るために、古い基準に依存していては、あまりうまくできません。どうしたら変えることができるでしょうか? 別の方法はありますか?
- レスター:
- どのような形になっていくかは明らかではありません。自動車部門については、米国と、もちろん日本や世界の大部分の国々には当てはまりますが、世界のすべての国々というわけではありません。例えば、中国では、自動車業界が急成長していますが、ある時点で終焉が訪れるでしょう。
- 数年前、北京の大学で大学院生向けのセミナーをしたときのことです。私は、「中国は米国のように4人につき3台の自動車を持つようには決してならないでしょう」と話すと、一人の大学院生が、「しかしこれは私たちの夢なのです。私たちはそれを望んでいるのです」と言ったのです。そこで私は「ここ中国で、いつか、4人につき3台の自動車を持つことに成功すれば、それは『夢』ではなく、『悪夢』になるでしょう」と言いました。
- 枝廣:
- (笑)
- レスター:
- なぜならそのレベルに達すると、中国が所有する自動車の数は、現在の世界全体の自動車所有台数を上回るからです。交通渋滞は想像を絶します。ですからあり得ない話なのです。いま、中国での自動車販売台数は急増していて、その状態がずっと続くような印象を受けますが、そうではありません。日本や米国でわかったように、あるレベルを超えると、自動車の台数を増やし続けることは交通渋滞をもたらすだけで、何も解決しないということに気がつくでしょう。