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ホーム > インタビュー > 太田 直樹(4):インタビュー

総務大臣補佐官 太田直樹 聞き手 枝廣淳子 Interview13

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変化のきっかけは
既存の世界観や知識体系から自由になること

枝廣:
さきほどのギュッシングの話に関連して思っているのが、たとえばギュッシングは自分たちが輝いて終わりではなくて、オーストリア、ヨーロッパにも広がっていきましたよね。日本でもキラキラ輝く地域がもっと広がりを持てるといいなあと思っています。そのあたりはどのようにみていらっしゃいますか。
太田:
そこは私も考えていて、まず違うと思っていることから申し上げると、「スケールアウト(数を増やして展開)しましょう」という言葉は、僕は違うと思っています。
おそらくギュッシングで起こったことが拡大したのは、もう少し同時多発的な、あることを考えているときに同じことを考えている人が離れたところにいるという、そういう現象に近いと思っているんですね。
それは何が後ろに働いているかというと、自分の中にある既存の世界観や知識体系からもう少し自由になって動ける人が多い状態だと思っています。それぞれがその場で思いをもってやっていると、それが連鎖していくような土壌に、日本はまだないのでしょう。500人がばらばらで活動しても動かないんですが、思いをもっている人がたくさんつながって、ゆらぎがでて自由になると日本も変わると思います。
枝廣:
たしかにそうですね。日本で同時多発的にといえば、ひとつは平成の大合併の時に住民投票をしたところがすごく多かったという例がありました。もうひとつ、最近は住民出資の会社が広がっていますよね。日本でも希望のもてるところはあります。でもいまの多くの人のゆらぎを取り戻すというのは、ICTを活用した働き方改革とか柔軟な考え方などが関係しそうですか?
太田:
そうですね。単純に考えると「変わる」というのはいくつか伴ってくる事象がありまして、時間の使い方や会う人と場所を変えるというあたりがわかりやすいことだと思うんですよね。今の生活ではなかなか難しいけれど、その1つか2つが変わると、やっぱり「変わる」。
それに関してはICTがあると、在宅で仕事がやりやすかったり、地方で働いたり、いろんな人とつながれるという面があるので、「変わる」機会がすごく増えていくと思います。そこから先はそれぞれの方法論があっていいと思いますけれども、環境としては変わりやすいところがあるでしょう。

「見る力」をもった人工知能
その時人間に必要なこととは

枝廣:
ICTで変わるという点については、人々の価値観が先に変わって使いやすい技術を選ぶ、というよりも、技術が使えるようになって価値観が変わっていくという「変わる」がありますよね。
太田:
技術というのは色がついていないので、ソーシャルメディアはかなり問題になると思いますし、バーチャルということが中毒性を持つということもあると思います。人工知能に関しても懸念されていることというのはいくつか現実になると思います。
枝廣:
使い方に気をつけることは別として、ICT自体が人間の脅威になるということはこれまであまりありませんでした。ですが人工知能という技術自体が、使い方云々の前に不安を呼び起こす何かをもっているような気がしているのですが、そのあたりはどのように考えていらっしゃいますか。
太田:
僕は大学の頃から自己流なんですが座禅をやっています。毎朝般若心経を読んでいるんですが、その中に「無眼耳鼻舌身意」というのがあります。先日ある文章を読んでなるほどと思ったのですが、この並び方の順番には意味がある、とありました。
「眼」と「身」はいちばん離れて書かれています。身体というのは「身を持って知る」ということで、自分をすごくリスクにさらして、ここが安全だ、ということを知る。「見る」というのは遠くから細かく知ることができるので、自分をリスクにさらさずにすみます。こういうことで人間は「見る力」を発達させて制覇してきたんだと思うんですね。そして、身体を使わなくなってきています。
AIに話を戻しますと、今AIで起こっているのは何かというと、一番簡単な説明は、これは東京大学の松尾豊先生がおっしゃっていたのですが、「人工知能が見る力を持った」ということなんですね。有名なのは猫が見えるようになった研究です。これまで人工知能は見る能力がなくて、人間が教えないと仕事ができなかった。我々の仕事や生活は「見ること」を9割ぐらい使っているので、それでは役に立たなかったんです。
「見る力」があると、AIに「運転して」と頼んだり、「これ何の病気?」と尋ねたりすることができるようになります。しかし、その時に人間は不安を感じます。なぜかというと、我々は見ることばかりやってきたので、それをAIがやってしまったら我々は何するの?という話だからですね。実はもっと見るところから遠いところに、においを嗅ぐとか、味わうとか、身体という感覚があるのに、そこにある豊かなものというのをたぶんどこかに置いてきてしまっていて、AIによって自分の世界がなくなってしまう、どうしよう、というのが、おそらく理屈っぽくいうと今、人工知能について感じている不安です。
ただポジティブに考えると、「見る」ことはAIにまかせてしまって、身体で感じるという豊かな世界、触覚でいろんなことを楽しむ世界をもっとつくればいいじゃないかと僕は考えているんです。
枝廣:
桜があるというのは人工知能に見えても、桜を愛でるっていうことはしないですものね。
太田:
思い起こすと僕は個人的にも家族にも辛い時期が7~8年前にあって、そのときの転機のひとつがダイアローグ・イン・ザ・ダークに行ったことなんです。半信半疑で行ったのですが、すごく怖くて。上下もわからなくなって、私は動けなくなったんですが、一緒に行った当時中学1年生の娘は、バーッと動いていました。そのときの感覚が、すごく豊かだったんですよね。見えない世界というのがこれほどすごいのかというのを、時々思い起こします。
※ダイアローグ・イン・ザ・ダーク:暗闇のソーシャルエンターテインメント。参加者は完全に光を遮断した空間の中へグループを組んで入り、暗闇のエキスパートである視覚障がい者のアテンドによりさまざまなシーンを体験する。
ダイアローグ・イン・ザ・ダークのWebサイト
実は人工知能に関して感じる恐怖も根っこは近いと思います。我々は見ている世界に独占されているので、それをとられてしまうと何をしていいのかわからない、というものです。しかし、もしダイアローグ・イン・ザ・ダークにポーンと放り込まれたときのような、最初は怖い、でもすごく豊かな感覚を得る、というのを知ってしまえば、まったくガラっと変わるような感じがしています。
ただそう思えるようになるには、「見る」支配からいかに自由になるかという、先ほどの自分がどう変わるのかということにつながります。自分が変わっていかないと、本当は豊かなことがいろいろ起こっていてもあまり共感できなかったり、反応ができない。「見る」というのは効率がいいですが、「見る」ことをどうやって少し脇において、本当は豊かなものがいろいろある、という感覚を取り戻すか。このあたりに、今我々は立っていて、強制的に人工知能から押されている、というように僕は考えています。
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