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JICA(国際協力機構)(Schumacher College留学中) 高野翔 聞き手 枝廣淳子 Interview14

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JICA(国際協力機構)に入構後、アジア・アフリカ各国でさまざまなプロジェクトを担当し、2014年から2017年8月までブータンで持続可能な地域づくりを担っておられた高野翔さん。ブータンが取り組むGNH(Gross National Happiness: 国民総幸福量)やこれからの経済のあり方などお話を伺いました。

まずは学生時代に研究されていたバイオテクノロジーの世界について。人間の体と社会との興味深いつながりからお聞きしました。

細胞や微生物の研究から社会のあり方を考える

枝廣:
さっそくですが、そもそもどういった経緯で現在の活動に至ったのか、教えていただけますか。
高野:
大学・大学院を通じてバイオテクノロジーを学んでいました。小中学校から高校の時は環境問題が世界中で社会問題化し始めた時代でした。生まれが福井でして、毎週末父親に連れて行って遊んでもらっていた山や川や海といった自分にとっては当然ながら身近にある自然やその景色が、だんだんと世界の各地で失われていくことにすごく違和感をもっていました。自然や環境のあり方に興味をもち、自然のもつ力や生命のもつ仕組みを活用して環境問題や社会の課題を解決できるような方策を考えたいなという気持ちで、まずバイオテクノロジーを選んだんです。
枝廣:
バイオテクノロジーの分野では特にどういったことを研究されていたのですか?
高野:
大きく2つあります。1つは、生命の最小単位である細胞の動きや細胞間の相互作用の仕組みの研究。もう1つは微生物が集合体となったときに見られる性質の研究です。
微生物は集合体になることで初めて活性化する役割があります。私の場合は微生物単体と微生物が集合体を形成したときの性質の違いを追ったりしていました。もう一つの細胞に関しては、がん細胞と正常細胞の違いについて興味をもって勉強していました。最終的には、がん細胞を生体に近い環境下で評価する実験のモデル系を作りました。通常の実験では平面のシャーレの上に細胞を撒いて細胞の挙動を観察するわけなんですが、実際私たちの体を構成している個々の細胞は3次元的に四方八方、他の細胞に囲まれた状態で存在していますよね。そこでシャーレの2次元の平面で細胞を見ていても3次元の生体内で行っている本当の挙動は見えていない状況に等しいなと思い、より実際の生体環境に近い3次元のゲルの中にがん細胞を入れ、その中で細胞の挙動や細胞間のコミュニケーションを評価する方法を修士論文では提案しました。
枝廣:
おもしろいですね。2つとも大きくつながっているものがありますね。
高野:
私たちの体は、極めて多様な細胞同士の物質・エネルギー・情報の交換、つまりは細胞同士のコミュニケーションのなかで、細胞間のコミュニケーションの総体として存在しているので、それを単体の性質だけで物事をみて判断するのは明らかに限界があるというか、それでは見えていないものが多々あるはず。集合体のあり方というのは、我々人間社会のあり方においてもまったく同じだと思います。私自身は人間の社会とは人々の関係性の集合体であると思っていますし、微生物や細胞でもそのような興味は変わらずもっていましたね。
枝廣:
今でこそ、システム思考や「つながり」という概念がありますが、当時は大学・大学院の先生が研究されていたのですか?それとも自分の問題意識として持っていらっしゃったのですか?
高野:
自分の中に問題意識があった気がしますね。当時、「ヒトゲノム計画」というものがバイオテクノロジーの世界では圧倒的な注目を得ていました。ヒトの設計図とも呼ばれる遺伝情報をすべて解読していこうというものです。バイオテクノロジーはアメリカが進んでいたのでアメリカに短期間ですが研究留学したのですが、そのとき一番インパクトが大きかったのが、ネズミの背中に人間の耳の形をした細胞構造体をつくりだす、という論文が生物工学や再生医療の最先端として注目を浴びていたことでした。
解読された全ヒトゲノムの上製本

解読された全ヒトゲノムの上製本
(© Russ London / Wikimedia Commons)

でも、再生医療で世界的に有名な教授の論文を見て、それはバイオテクノロジーをやっている人には憧れの論文なのですが、「僕にはできないな」と直感的に思ったんです。私の中で、倫理面でスイッチが入ったというか、なにかしらのブレーキがかかってしまったんですね。論文の世界では「これがすごい、再生医療に使える」など書けたと思うのですが、自分の子どもや家族にそのことを心から自慢して説明できる実験かと言えば、自分にはなんかできないなと。遺伝子や生命を操作するという感覚にブレーキがかかってしまったんです。
どちらかというと、相互関係しあう集合体としての性質、コミュニケーションしながら助け合う調和や共存の機能を私たちは本来的に生物として持っているわけなので、そちらに焦点をあてたほうが、日本人が培ってきってきたDNAとしてやれること、世界に貢献できることが大きいのではないかとその時思い始めていたので、そういう研究をやっていきたいなと思いました。考え方の違いを生命体の見方で感じたんですね。

集合体がとるコミュニケーション
相互作用なくしてありえない生命体

枝廣:
分けて操作するという論理的思考やクリティカルシンキングと相対や全体として物事をとらえるということは、ある意味両極端ですよね。アメリカでそのような話をされたときはどのように受け取られましたか?
高野:
当時学生で、アメリカの研究室では周りが年上の博士の方々ばかりだったのですが、そういう疑問を呈することはまったくできませんでしたね。英語で深いところを話せないという、英語力の問題も正直ありますしね(笑)。自分の自然観や生命観を伝えるということは難しかったです。逆にそれは自分の中で恥ずかしさであり、なんとかしたい、次の仕事で果たしていきたいという気持ちとして残りました。
枝廣:
アメリカや西洋では、総体や集合体という考えはなかなか理解しにくいかもしれないですね。
高野:
機能を細かくしっかり分けながら分析していくというのが今の科学の基本姿勢だと思います。例えば、最先端のバイオテクノロジーでは、人間の体の中のひとつの細胞をとりだして、相互依存する集合体ではなく、その単体としての細胞の挙動を見るという研究が流行っていましたし、そのほうが潮流でした。また、遺伝子のことを考えてみると、細かく分けていくことにより分かってきたことがたくさんあります。遺伝情報をつかさどっているのはたった4つの物質という、それは素晴らしい発見だと思うんです。ただ、たった4つの物質の組み合わせの延長で、生命の神秘や私たちの人間社会の複雑性を生み出していると考えると、分けて考えてきたものを相互作用する関係に結びなおし、関係性の中での調和や共存のあり方に価値が置かれる時代がくると思うんです。そのとき日本人の考え方が合うのではと思います。
枝廣:
東洋医学と西洋医学の違いもそうですよね。東洋医学だと全体とか気の流れを言いますが、西洋だと細分化して、専門医が存在します。微生物の場合、1個の微生物ではなく集合体になることで微生物らしさが生まれる挙動とはどんなことが挙げられますか?
高野:
微生物は単体ではなく集合体を形成するのが普通なのだとおもいます。単体では他の存在とコミュニケーションできませんからね。物理的に接触するというコミュニケーションや化学物質を外にだし、またそれを受け取るというコミュニケーションなど、多様なコミュニケーションを通じて集合体を形成して、ともに生活しているというのが自然な形なのだと思います。
例えば、私は、微生物が集合体になって形成する菌膜、バイオフィルムと呼んでいましたが、そのバイオフィルムの研究をしていました。我々の歯に微生物単体ではなくバイオフィルムが形成されると取り除きにくくなります。それは単体の機能の単純な足し算では表せないような集合体としての役割として粘着的な物質を出したりということが次々と集合体内で起こってくるからです。そういう機能をもっているのが集合体ですね。
枝廣:
私も分けるという考え方に頼ってしまっているのだなと思って聞いていました。単体では出せない物質を集合体になって出せるとのことですが、その物質は無から生まれるわけではないので、それぞれ単体にあるものが集合体になることでスイッチが入るということですか?
高野:
そうですね。集合体を形成することではじめてスイッチがはいる現象は自然界にたくさんあります。コミュニケーションの密度の度合いはいろいろとあると思いますが、集合体であることは普通のことで、相互作用あるその関係性の中でしか単体としても生きていくことができない、ということなのだと思います。
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