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ホーム > インタビュー > 高野 翔(2):インタビュー

JICA(国際協力機構)(Schumacher College留学中) 高野翔 聞き手 枝廣淳子 Interview14

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「細胞社会学」の世界

枝廣:
単細胞生物の場合はひとりで生きていけるんですか?
高野:
単細胞生物は一つの生命体として存在できるわけですが、ただ単細胞生物が単体だけでいる、ひとりでいるという状況はないと思います。必ずその周りに他の単細胞生物がいて、その中でのコミュニケーションというのは必ずある。また、その単細胞が内包している水やいろんな物質は絶えず循環しているはずです。私たちの体を構成している細胞も3カ月後には違う細胞にすべて入れ替わっているといわれています。なので、最初にあったものが死ぬまで同じ形というのはありえないはずなんですね。
枝廣:
細胞学を研究している人はそういうふうに見ているんですね。
高野:
どうなんでしょう 笑。私は最近、ブータンに行ってからこういう見方をし始めました。人間社会のあり方と細胞社会のあり方というのはかなり高い親和性を持っているのではと。これは決して学問として確立しているわけではないのですが、「細胞社会学」といったものになると思うんです。
枝廣:
細胞が3カ月に1回入れ替わって人間は保たれている。細胞1つ1つも取り入れては出すという循環をしている。「the細胞」というのはなく、瞬間を切り取ったら細胞の形は見えるけど出たり入ったりする。これは仏教的な見方ですよね。
高野:
そういう見方もあるんだと思います。学問や技術というのは間違いなくその国の思想観というか、生き方の歴史の積み上げのようなものが反映されて出てくるものだと思うので、その思想観で一歩でもより積み上げられれば世界的に貢献できることがあるのだと思います。それを他の国の思想観を借りているだけだと、僕らのDNAや文化の積み上げはなくなってしまいますよね。日本人が、和のあり方、循環のあり方、諸行無常のあり方を感覚でもち、研究できるのであれば、それは本当に素晴らしい研究結果が出る可能性があると思いますね。

周りとの関係性で自己を規定し
生きるためにコミュニケーションを求める正常細胞

枝廣:
ブータンでは人が亡くなったときに明るくおくってあげるんですよね?
高野:
お墓を作らないですし、お葬式も悲壮感があまりありません。四十九日は日本と一緒ですが、四十九日以降は悲しんではいけない。次の人生に旅立ったという捉え方をするので、そこで悲しんでしまうとお化けみたいにとどめてしまうという感覚があるんです。その感覚は日本とは違いますよね。私だったら天国でおばあちゃんが見守ってくれている、というような感覚がありますが、彼らはそうではなく、次の人生として牛になっているかもしれなし、植物になっているかもしれないという感覚をもっています。
枝廣:
自分も死んだあと何になるかわからないから、絶対に殺生しないんですよね。
高野:
ハエとかも殺さないですね。
枝廣:
命も循環しているというような考えですか?
高野:
そうですね。実際、例えば、私が排泄すれば、その物質は、土の養分となり、植物を養い、動物を養い、人がその動植物を食べて、体を構成する細胞の一部となっていく。このような循環が自然界では常に行われている。仏教や宗教に関係なく、科学的に見ても物質はいろいろな命をまわりめぐっているわけなので、そういう意味で命がつながっている、循環しているといえますよね。それを彼らは仏教の文脈の中で、おそらく物質だけにとどまらない命の循環性を、家族や地域での生活を通じて、自然に身につけているわけですね。
写真:ブータンの首都ティンプーの街並み

ブータンの首都ティンプーの街並み
(© Christopher J. Fynn / Wikimedia Commons)

枝廣:
私たちは大きな循環の中にたまたま生かされている、私たちを構成している細胞も入れ替わっている。そうなると、「存在」とは何になるんでしょう?
高野:
「存在とは何か」というのは難しい問いですよね。がん細胞と正常細胞の話に戻りますが、正常細胞は基本的にまわりとの関係性をもって自己を規定します。
私たちには足があったり、手があったり、脳や心臓があったりと、60兆個におよぶ細胞が多種多様な組織をつくっているわけですが、細胞が新たに生まれたときに最初からその細胞の役割が決まっているわけではありません。正常細胞は自分がどこにいるかを3次元的に位置把握できる性質をもっており、自分の場所を認知し、そして周りの細胞とのコミュニケーションを通じてはじめて自分の役割を決めていきます。足の一部になったり、脳の一部になったりと、各々の細胞が役割を決めていき、全体として調和し我々の一つの体をつくっています。
さらに、細胞はまわりの細胞とコミュニケーションがとれないと死んでしまいます。細胞の実験をしている方にとっては肌感覚として理解している現象だとおもいます。シャーレに、細胞を培養するために必要な栄養素が入った液体の培地をいれ、そのあとに細胞をシャーレに移して、細胞がどのように育つのかを観察します。そのときにシャーレに移す細胞の数が少ないと、培地にどんなに栄養素が豊富に含まれていても、細胞は育つことなく死滅してしまうんです。
※培地とは:細胞や微生物の培養に必要な栄養成分をもつ液体や固形物
細胞間のコミュニケーションはある程度の密度にならないととることはできません。密度が少ないと、個体という存在になる。そうなると、周りとのつながりをつくれずに、いくら豊富に栄養があったとしても、細胞は死んでしまうのですね。周りとのコミュニケーションがあってはじめて生きていける。正常細胞は生きるためにコミュニケーションを求める、というのが、私たちの体の中で常に無数に起こっていることなんです。
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