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JICA(国際協力機構)(Schumacher College留学中) 高野翔 聞き手 枝廣淳子 Interview14

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ブータンは正常細胞?私たちは?

枝廣:
人間社会に置き換えたときのお話をもう少しお聞きしたいのですが、たとえばブータンや昔の日本は正常細胞で構成されるような社会で、日本のある部分や先進国が、がん化した社会だという見立てはありますか?
高野:
仮定としてはできますよね。もちろんそう言ってしまうと寂しいところもありますが、どちらかといえば、人間らしいという点において、ブータンの方が正常細胞であふれた社会であると。
枝廣:
人間をどう規定するかですよね。人間らしいといったときに、たとえば経済合理性をとるとどうか。
高野:
そうですね。人間を合理的経済人、自己の利益を最大化させる行動をとるものと仮定する今の経済学の視点を前提にすると、我々日本や先進国のほうが合理的な経済活動をたくさんおこなっていますよね。人間は合理的経済人で収斂されるような存在だとは私は思っていませんが、人間は自己の利益を最大化させるものだという狭い視点だけにたてば、正常細胞よりもがん細胞の挙動のほうが優位に働く社会となってしまいますね。
また、正常細胞のような豊富なコミュニケーションを維持し、持ちつ持たれつの関係性の社会という場合にはブータンのほうが近いでしょうね。ブータンにいると仕事は3割、家族は3割、地域コミュニティは3割というような時間の過ごし方をしていて、必ず周りとの複数の関係性があって、自己の役割があるような居場所みたいなものがあるんですね。金銭的に貧しくても拡大家族のような支え合うインフォーマルな保証があるし、地域コミュニティの役割もあるので、関係性のスイッチが入らないということはない。また、仕事だけに偏って時間を使うこともなく、残業とかもほとんどしない。夕刻定時になれば、家族や地域コミュニティとの時間のスタートです。
おもしろいのは、例えば、ブータンの同僚とご飯を食べているときに同僚に電話がかかってきて、楽しそうに話をしていたので、終わってから何の話をしていたのかを聞くと、間違い電話だったと。なぜ間違い電話でそんなに楽しそうに話すんだろうと 笑。日本人なら間違い電話だとわかるとすぐ切るじゃないですか。でもブータンの人は「地元どこ?」とか「なんで電話してきたの?」「なんの用事?」とか、どんどん話を続けながら接点を探して、結果、「共通の友人がいたんだよ」みたいなことで盛り上がっているんです。それって日本ではありえない関係性の持ち方ですよね。もちろんブータンでも、人と人とのつながりはすべてがポジティブなものだけではなく、なかにはネガティブなものもあるわけですが、ただ日本よりも「つながっていることが心地よい」という感覚があきらかに高く、関係性に生かされて生きているなというのがブータン人のあり方です。とても正常細胞っぽいですね。
枝廣:
仕事3割、家族3割、地域コミュニティ3割、時間的にもコミュニケーション的にも調和をとっている。ブータンのその価値観というのは、それが自然だということでしょうか?
高野:
私はそれが自然なんだろうなと思っていますね。人間としてそれが自然で心地よさを感じているので続いているんだろうなと思います。もう一つはブータンの国是であるGNHという大きな思想が守ってくれているという側面があると思います。GNHは9つの領域を定めていますが、その一つは「時間の使い方」です。日々の生活を支えるお金などの財産(「生活水準」)と同じだけ「時間の使い方」が重要と国としても位置づけています。
GNHの9つの領域

GNHの9つの領域

短期的な快楽が導く世界とは

枝廣:
コミュニケーション不全に陥って、自己や社会の短期的な利益の最大化に走ったときに社会のがんが生まれると思うのですが、その時の大きな原因は「お金」かなと思うんです。お金の持つ価値を最大化することだけを目的化してコミュニケーションを考えなくなる。もしコミュニケーション不全の原因の1つがお金だと仮定すると、過去にブータンは開発のペースをコントロールして、無秩序に行うというかたちではなかったと思います。ただ今はインターネットの影響もあり、すべてがつながっています。そうした時に首都のティンプーをみていると、ある意味先進国化しているところがあるなと思います。これまでのブータンと今ティンプーで起こっていることをご覧になって、何が変えていると思われますか?
高野:
変化は現実として起こっていると思います。ブータンでも地方に行けば昔から変わらないところがたくさんありますが、首都ティンプーは少し別世界になっていますね。
幸せというのは私の感覚では2つに分類できるのかなと思っていて、「快楽を伴うような短期的なもの」と「心の平穏のような中長期的なもの」。ブータンでももちろん両者あります。ただ、私自身ブータンに行って初めて、その違いを体感したというか、中長期的な平穏な幸せというものも確実に人々の中には存在する大事なものだと学ばせてもらいました。
しかし、短期的な幸せのほうが早く影響が出るというか、政治としてもそちらのほうが比較的成し遂げやすいものが多いし、我々の短期的な欲求的なものと今の経済やお金との相性もいいと思うんですね。ティンプーなどの都市部には国境を越えてたくさんのものが入ってきます。一方で心の平穏を守り同時に築いていくという姿勢には長い時間軸での視点が欠かせません。ブータンであっても、大きな世界の潮流としてグローバリゼーションが進行する中で、短期的な利益の追求という影響を避けられない状況なのだと思います。
経済の視点からみると、ブータンはインドと中国に挟まれた内陸国ですが、中国とは国交をもっておらず、インドとの関係がきわめて強いです。輸出入のほとんどをインドと行っているといっても言い過ぎではありません。経済も人口も比較にならないほどインドのほうが大きいので、ブータンがインドにどう接するかということよりも、インドがブータンにどう接するかによって経済的に大きな影響を受ける関係性にあり、他国の影響は無視できない状況にあります。
枝廣:
がん化した細胞が後先考えずに短期的にどんどん増殖して、最終的には人を死に導いてしまう。そうなったらがん細胞たちも生きてはいけないわけですよね。
高野:
そうですね、生命を維持する調和ある正常状態を壊すことになってしまいますからね。
枝廣:
短期的なほうに目が奪われてしまう。それは人間も同じですよね。
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