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旭山動物園園長 坂東 元 聞き手 枝廣淳子 Interview15

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数を数えられない動物たちが、
微妙なバランスを取っている世界

枝廣:
お書きになった「『ヒトと生き物 ひとつながりのいのち 旭山動物園からのメッセージ』」というご本に、「数を数えられない動物たちが、ちゃんと微妙なバランスを取っている」と書かれていましたね。
書影:『ヒトと生き物 ひとつながりのいのち 旭山動物園からのメッセージ』
『ヒトと生き物 ひとつながりのいのち 旭山動物園からのメッセージ』
坂東:
そうなんです。調和とバランスを取っている。それなのに、数を数えられる僕らがまったく調和もバランスも保てない。
枝廣:
何が違うのですか? 動物たちはどうして微妙なバランスが保てるのですか?
坂東:
たとえば、シマウマとライオンの関係で言うと、よく「天敵」と言いますが、ライオンがシマウマを捕れる確率はせいぜい2割程度です。野球の選手だったら、レギュラーにもなれないぐらいの確率なんです。
「天敵」と言われるシマウマとライオンだが、ライオンがシマウマを捕れる確率はせいぜい2割程度、とされている。

「天敵」と言われるシマウマとライオンだが、ライオンがシマウマを捕れる確率はせいぜい2割程度、とされている。

ライオンといえども、一番元気なシマウマを捕る能力はないんです。だから、ちょっとハンデを持っている動物、たとえば病気になっているとか、子どもだったり、年老いていたりというのを狙う。ライオンは伏せて狙いを定めるんですけど、スッと動いたときに逃げ遅れるものとか。たとえばオオカミだと群れを追っているところで、そこから脱落しそうな弱そうなものにロックします。ほかのものを無視して、それだけを外していってやろうとする。そういうふうにできているんです。だから、病気だったり弱かったり、そういうものから間引かれていきます。
それで食べることが成立する。変な見方かもしれませんが、たとえばシマウマの中で感染症が広がったとする。その病気にかかって弱っているシマウマが最初にやられますよね。そのことで、ほかのみんなが守られます。「治療し続ける」という医学ではなくて、「間引く」医学というのかな。「個」を見るよりも「全体」を見るということです。調和です。
人は、空を飛んでいる鳥を見て飛びたいと思って飛行機をつくり、魚のように泳ぎたいと思って、潜水艦をつくりもっと早く走りたいと思って車をつくり、としてきた。欲ですね。命も長くしたいと思って、結果として長生きになった。
でもね、不思議なんですよ、動物園で鳥を見ていても。スズメがいますよね。シジュウカラという、ヤマガラとかカラの仲間がいるんですが、スズメと同じように枝に止まる。たとえばヒマワリの種があると、シジュウカラはそれをクチバシでつまんで、種を置いて、足で押さえて、クチバシでツンツンツンとやって食べる。
でも、スズメにはそれができない。できないし、「自分もやってみたい」という脳の回路ではないんです。だから共存が成立する。奪い合いにならないのです。それぞれの能力や、時間による棲み分けや競合しない仕組みを持っている。欲の有無という言い方がいいのか分からないですが、スズメにだってできないわけではないはずです。だって、木に止まれるのですから。
すごいと思います。だって、何十種類の鳥が同じ山の中で生活できるのですから。人間なら絶対に奪い合いになりますよね。競争の論理というか、脳の回路などがまったく違うんですね。それが劣っているということではなく。人間が優れているとは思わないですので。
だから感じ方にしろ、いろいろな情報が入ってきたときにも、頭の中での処理の仕方がまったく違うんだと思います。だから人に殺されても、彼らは恨んで反撃に出てくる、ということはないですよね。一方的に死んでいきますよね。まさに調和ですね。
動物の世界に「絶対」というのはない。人間は「絶対」を求めます。人間に狙われたら生き残れる生き物はいない。そういう意味では、どの生き物にとっても、ヒトだけが天敵です。動物の間では、必ず駆け引きというか、「どちらかがどちらかに対して100%」ということはない。ライオンでも、オオカミでも、たとえば、狩りの途中に蹴られて足を骨折したら、獲物が捕れなくなる。だから、そのとき死ななくても結局死にます。だからそんなに一方的じゃない。
でも、死ぬから生きられるんです。「食べる」って、命を奪うことですから。僕らも食べます。命を奪っているのですけど。それが間接的になっていて、感じていないというだけの話です。牛も豚も、膨大な命を奪って僕らも生きているわけです。
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