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旭山動物園園長 坂東 元 聞き手 枝廣淳子 Interview15

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人間と動物―感情がもたらした変化

枝廣:
人間はもともと、そういう動物たちの「ひとつながりの命」の中にいたのですか?
坂東:
ヒトになる以前は、おそらく、自然環境の中で自分たちの立ち位置をつくりながら存在していたのだと思います。基本的には、火をコントロールすることと道具から変わってきた。ヒトは直立したので、重たい頭が持てるようになり、声帯にも余裕ができてしゃべるという発声のバリエーションも増えた、などと言われますね。ヒトは極端に特殊化しなかったから、サルの中でも特徴がない。モノにはぶら下がれないし、チンパンジーほど特化していないから、可能性が残ったと言いますよね。それが良かったのか悪かったのか分かりませんが。
でも、昔から、社会性のある生き物には競争がある。チンパンジーも、自分が食べる場所は自分の陣地にしたい。みんな基本的にそれがあるから、ぶつかりが出てくる。チンパンジーぐらいになって、本当の社会性というか、感情とかのコミュニケーションがある生き物になると、今度は好き嫌いの感情が働いて、追い出しや子殺しなどが生まれてくる。チンパンジーなどを見ていると、感情の部分では人と一緒だなあと思います。戦争も、結局感情ですよね。理屈で防げないということは、そういうことだと思います。
枝廣:
チンパンジーはまだ、「ひとつながりの命」の中にいる?
坂東:
まだ自然の中にいます。チンパンジーには、幼稚園児くらいの知能があると言いますが、たとえばモノを持つことはやります。ヒトだと2、3歳ぐらいになると、急に人の顔を描けるようになる。〇の配置で顔と認識できる。でもチンパンジーにはその回路がないみたいですね。だからいくら描いても落書きしかできない。そういう意味では、人ほどの欲を持つといった、そういう回路はないのだと思います。簡単な道具を使ったりはしますが。
枝廣:
人が欲を持って、奪ったり叩きのめしたりするのは回路ですか? それとも、そういうふうに進化しちゃった?
坂東:
人は、必然的にそういう生き物なのだと思います。だけど、言葉を持ったことで、感情を抑えたり、社会の中のルールを明文化したりできるようになった。だからこんなに異常な数になったともいえる。東京なんか、電車の中に何百人いても、取りあえず和を保っているでしょう? チンパンジー100頭を電車の中に入れたら、えらいことになります。人は、知らない人同士でも、ちゃんと挨拶しましょうとか、握手しましょうとか、ルールをつくってきました。だけど、根っこは一緒です。だから感情が先に立った時点で、和を保てなくなりますよね。
 
枝廣:
その上に、火を持ち、道具を持っているから、大変なことになりますね......。人間がひとつながりの命、自然界の命の循環の中から外れているのは、進化とか回路とかのせいだとしたら、最初に人間ができた段階で、自然も地球も滅びる運命になったということでしょうか? それとも、人間がもっと進化すれば......?
坂東:
人間の文明って、メソポタミア文明やエジプト文明など昔からあるけど、文明が滅びるときは、基本的には、人為的な、局所的な環境破壊が原因だと言われていますよね。だから、大洪水が起きたり、必ず天災が起きたりする。
その時代の技術の頂点を極めたときに起きているんです。過去の文明、みんなそうです。その時の技術の、本当の繁栄を栄華したと思ったら、何かが起きるんです。今がもしかしたら? 僕から見ると、人間なんて、しょせんチンパンジーに毛の生えたようなものなので、今こんなに「すごい、すごい」と言っているけど、科学が進歩して、技術が進歩して、恐竜時代よりほかの生き物がどんどん死んでいっているわけで。これがほんとに進歩なのか、と思います。
原子力とか、制御できないものは科学ではないと思う。自分たちでまったくコントロールできないものをつくり出した時点で、どうなんですかね。だって、次に東海かどうかわからないけど、大地震が来て、原発がやられたら、もう日本は終わりだと思うんです。
 
枝廣:
ほかの国にも迷惑かけるし......。
坂東:
「動いていないからいい」という話じゃないじゃないですか。その場にあるのですから。核廃棄物を最終的に処理する方法も見つけられていない。どこかに埋めると言っても......。
 

「ひとつながりの命」の中で人間ができることとは

枝廣:
どうしたら人間も共存させてもらえるようになるのでしょうか。今の小賢しい知恵や技術ではなくて、もっと進化しないといけない?
坂東:
どこかで一度、立ち止まる。ここまでのものを享受してきたが、これが当たり前なのか? 何かちょっとずつ、1個ぐらい引き算してみようと、みんなが思えるか。
でも、そういう可能性はあるような気がしています。パソコンが出始めた時は、CPUがどうといって、1年もたたなくても次から次へと買い替えていたけど、「ここまでいらないんじゃないの?」みたいなことに、今気づいてきたように思うんです。
枝廣:
少しずつ。確かに。
坂東:
もうCPUだけを見て選ぶ時代ではなくなっている。「これ以上いらないんじゃないの?」「むしろ、ここまではいらないんじゃないの?」と。どこまで求め続けるのか。もう1回自然に帰ろうという動きは、その反省に立っているんだと思います。完全に管理されて、徹底的に追求した中で幸せを感じるのか、自然の原っぱで風が吹いたのに幸せを感じるのかで、きっと未来は変わる。ナチュラル志向やスローライフといった、いろいろなことが起きています。
枝廣:
それが、社会・経済の主流になっていくにはどうしたらいいかと、いつも考えているんです。
坂東:
そうですね。1000円の時計と100万円の時計があったとき、100万円の時計を選ぶのに理屈はないんです。単純に所有する喜びなんです。たとえ1000円のデジタルのほうがずっと正確でも。
それと同じように、100人が100人にはならなくても、「ほかの生き物にちょっとやさしいものですよ」、「ほかの生き物と一緒に暮らせる未来を見られるものですよ」というものにお金を出すという付加価値観が育てば、と思います。2回に1回でも、ちゃんとした正当なお金を払う。
枝廣:
「ちゃんとした」お金。
坂東:
「その100円分が必ず現地に届いて、具体的なプロジェクトとして見えているものに寄付される」というようなものをたまには買うとか。ほんのちょっとしたことです。ただ、あまり具体的なプロジェクトがないですね。みんなの気持ちが何に届いたのかを感じられるものが。
今、クラウドファウンドなどを見ていると、広島県が犬の殺処分ゼロというようなプロジェクトでふるさと納税をやったら、驚くくらいお金が集まったり、動物園がライチョウの保全プロジェクトで1000万円を目標にクラウドファンドをしたら、2000万円集まったそうです。
このように、何らかのプラットフォームがあって、「こういう目標を持っています。これを応援してくれたらこれができます」という、自分ではできないことを具体化しているものがあれば、それを応援する人たちは潜在的にすごく育っているのではないかと思います。
枝廣:
そうですね。今、そういう応援するプラットフォームに参加したい人は増えていますね。
坂東:
ボルネオゾウの未来を考えて、日本人が1人1円出せば、ゾウの未来は変えられるんです。でも、それが出てこない。特に環境などに関するプロジェクトは、なかなかお金が集まらない。一方、目の前に見える何かの命、たとえば心臓病の手術のためにアメリカに行かせてあげよう、というプロジェクトには、驚くぐらいお金が集まります。そういう気持ちがある人たちはいるんです。
だから、たとえば「オランウータンと一緒に生きる未来」とか、そういうものにもみんながお金を出すようになれば、本当に未来は変わると思います。動物園は、そういうことを先に察知できる集団です。だから、「そこに生き物として動物がいて、自分たちはこういうことに気づいたので、こういうことをやっていきます」と、具体的に示して、「だから応援してください」とみんながもっとやっていかないといけない。「こいつらの未来はもう何十年もないです」としゃべるのはいくらでもできますが、具体化することです。そこを、これからどう切り開いていけるかだと思います。
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