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旭山動物園園長 坂東 元 聞き手 枝廣淳子 Interview15

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見えないことを想像する
「他人ごと」から「自分ごと」へ

枝廣:
先ほど、動物園を見せてもらっているときに、アザラシの食事タイムがありました。食事タイムって、動物園や水族館のハイライトの1つですよね。みんな楽しみに見に行くけど、そのときに、係の方がアザラシをめぐるいろいろな状況をお話ししながら、エサをあげていて、いいなと思いました。ご本の中に、シカの赤ちゃんが町の中で保護されたら、みんな「かわいそうだから何とかしろ」と言う一方で、数知れないシカが害獣として殺されて、産業廃棄物になっているという話がありました。目の前の見えているものには、「かわいい」とか「かわいそう」とか「何とかしたい」と思うのだけど、それを超えては、想像力が届かない......。
「あざらし館」では大水槽や「マリンウェイ(円柱水槽)」でアザラシの特徴的な泳ぎを観察することができる。

「あざらし館」では大水槽や「マリンウェイ(円柱水槽)」でアザラシの特徴的な泳ぎを観察することができる。

坂東:
そうでしょうね。でも、人間の社会の中でも、見えない所で起きていることに対して、あまり人は本気で動かなくなっている気がするんです。たとえば、クルドの問題で、「空爆で何十人死にました」と聞いても、別にドキッともしない。だけど、もしも自分の出身学校の子が「交通事故で死にました」というように、つながっているとドキッとしますよね。
その接点ですよね。「他人ごと」じゃなく、「自分ごと」に落とし込めるかどうか。でも、今の社会は本当にかかわらない社会になっているから、見えない所で起きることに本気で反応することがない。それに危機感を持つ人がいない。人間同士でさえそうなのだから、まして動物が死のうが生きようが、見えない所でやっているなら気にならない。
枝廣:
それは、私たちがそういう能力を退化させているのか、もともとそういう能力を十分に発現したとしても、自分ごと化は難しいのでしょうか。つなげて考える回路が足りないのでしょうか。
坂東:
どうなのでしょうね。情報があふれ過ぎているような気もする。あまりにも特殊なことでも全国的に取り上げているとか、何が本質的にちゃんととらえるべきことなのか、わからなくなってくる。芸能人が何をやっていても、別にどうでもいいことじゃないですか。だけど、ニュースとしては、芸能人の不倫のほうが大きいんです。
枝廣:
ずっと大きいですね。
坂東:
大きいですね。いろんな情報があふれている中で、みんな、都合のいいところだけを見るようになっている。
枝廣:
そうですね。今、ネット検索も人工知能によって、ますます自分の好きな情報しか出てこなくなってますよね。
坂東:
そう、出てこなくなる。すごいですよね、検索していると、「あなたにお勧め」という情報がバーッと出てきますね。
枝廣:
私も原発賛成・反対をめぐっていろいろな活動をしているのですが、原発賛成の人はググったら絶対賛成の意見ばかり出るし、反対の人は絶対反対の意見ばかりを読むことになる。「それが世の中全般だ」と思い込むので、違う意見の相手が信じられない、となってしまう。思考停止です。
坂東:
原発は、本当は、みんなが「10年後、20年後にどうありたいのか」を議論しないといけない。今の若い世代に、それを引き継いでしまってよいのか、と。
倉本聰さんと「原発なくていい? どうします?」という話をしたら、私たちより上の世代は、「ないならないで、しょうがないな」と言うそうです。でも、20代くらいは、「原発なくなったら、スマホ持てなくなるかもしれないよ」と言うと、「それは困る。嫌だけど、原発がなきゃ駄目だね」と言うと。僕らみたいに黒電話を知っている世代のほうが、そこに戻ればどうにかなっていたということを知っている。
たとえば、ガソリンがなくなって耕運機が動かせくなくなっても、馬が何頭かいれば、取りあえず自分たちが食うぐらいはできる。そういう経験知があるから。後戻りって、僕らが思う以上に難しいんでしょうね。引き算しないと意味ないですよね。北海道もそうですけど、結局、原発止めても、原発前とまったく同じ量のエネルギーを使っている。そこが一番問題だと思います。
東日本大震災の後に、東京に来たら、空港も全部暗かった。コンビニも全部、夜になったら電気消した。そうしたら、ランドマークがなくなったから道に迷うとか、こんなに暗かったら階段を踏み外すとか、そういう議論になった。
僕は、デザインを変えればいいんだ、と思ったんです。特に羽田空港で思ったのは、今の広告って裏から光を照らして光るようにしている広告が多い。はめ込み式ですね。それを、昔ながらのポスターにして、小さな電気でそばからポッと照らす。そうしたら必要な電力は何分の1かになるんじゃないか。そもそものデザインが、照明があるということを前提に全体に暗いトーンになっているけれど、照明をもっと落とすことを考えて、デザイン自体をもっと明るいトーンにすればいい。悲しいかな、そういう議論がなかった。羽田空港がすごくみすぼらしく見えたのは、本来あるべき広告のライトを消しているからです。それを、おしゃれに見えるように、なぜ発想を変えなかったのか。
枝廣:
「我慢」か、「全面展開」か、ですね。
坂東:
電気自動車もそうです。今、電力を充電して車を走らせるという100%の電気自動車はエコじゃないですよね。だって、化石燃料で発電した電気を使っているのだから。
本来の目的をどこに見据えるかではなく、すごく近眼的にしかものが見えないから、手段・方法が目的に化けていく。ちょっとした改善が目的に化けてしまう。何かをちょっと変えることが良いことのように言うけれど、本当は何らかの目的があるから改善するはずなのに。
枝廣:
視野が狭くなってきている。
坂東:
あるところだけを見て、「あいつが悪い」と言うのですが、「自分が悪い」とみんな言わなくなっている。自分は正しい。自分にも何かがあるのかなという発想を、ほとんどの人が持たなくなっていますよね。自分に不愉快なことは徹底的に言ってくる。
 
枝廣:
昔は、日本でもそうではなかった? だんだんひどくなってきた?
坂東:
すごく思います。動物愛護などでも、100人いたら100人正義。「あいつはおかしい」と思ったら、言っている側が正義なので、話を聞いてくれないです。
 
枝廣:
冷静に対話するとか、自分の主張は置いておいて相手の言うことを聞くとか、そういうことすらない。
坂東:
そういう訓練がないのかもしれないですね。言いっ放しみたいに。ネットになると言いっ放しなので。目を見て話して、相手がそれで傷つくとか、悲しむということを見ることがない。小さいころから、ほんのちょっとしたことで自分も傷つくし、傷つけるしという積み重ねがなくて、いきなりやるから、自分が消えるか、相手が消えるかみたいな感じになる。そんな気がします。
 
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