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ホーム > インタビュー > 平山 征夫(2):インタビュー

元新潟県知事・新潟国際情報大学学長 平山征夫 聞き手 枝廣淳子 Interview11

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「大きい政府」と「小さい政府」

枝廣:
国家の体制によって捉え方が変わりますね。
平山:
私は大学で近代経済学を学びましたが、その中に成長理論というのがありました。それと同時に景気変動論というのを学びました。併せて社会主義か、資本主義かという体制論も学びました。体制論の一番わかりやすいのは、社会主義と資本主義ですが、資本主義の中にも、大きい政府と、小さい政府という考え方があり、かなり大きな違いがあります。
社会主義のバイブルはマルクスの「資本論」ですね。ここでは一番大事なことは「平等」という概念です。資本主義では大きな政府は「公正」、小さな政府は「自由」が大事な概念になります。
「自由」というのは、国家は小さい政府で関与しない、ということです。そのため、市場機能によって資源の再配分をする。「市場の合理性に任せる」という考えです。一方、大きい政府では、人間が資源の再配分をやるのですが、それは「市場より人間の知恵を信じる」ということです。でも、目的は共通して「最大多数の最大幸福」です。

「資本論」の表紙(1867年発行)とマルクス

枝廣:
どういう手段で「最大多数の最大幸福」を達成するのか。社会主義はちょっと置いておいても、同じ資本主義の中でこれだけ違うのですね。
平山:
実を言うと、ここに中間を行く「第3の道」という考え方もあります。イギリスで市場主義のサッチャーの後のブレアが執った政策ですね。アンソニー・ギデンズという、ロンドン大学の経済学者が唱えたものです。
大きい政府のほうは、経済学者ではケインズが唱えた理論です。ケインズは「大きい政府で財政支出によって有効需要を創出して経済調整しなさい」ということを主張しました。一方、小さい政府のほうは、アダム・スミスから始まって、それから、フリードマン(レーガノミクスのバックボーンとなった)やサッチャー主義の理論的根拠となり、ケインズのライバルであったハイエクがいます。経済学者でもこれだけ違うわけです。
戦前は全部小さな政府のほうでした。それが1929年、ウォールストリートの株価が大暴落して世界恐慌になるわけです。「自由にやりすぎたから統制が取れなくなった。うまくいかない」というわけで、ケインズが1938年に『一般理論』を書き、「人間の知恵で調整しないといけない。市場に委ねるのはまずい、政府が借金してでも財政支出により有効需要をつくるべき」という新しい経済学を打ち出しました。これを哲学的に言うと、「市場と人間ではどちらが正しい判断をするか」という選択です。

世界恐慌_ニューヨーク・ウォール街の群衆

枝廣:
先生は市場と人間ではどちらが、判断として望ましいと思われますか?
平山:
僕は「人間の知恵に委ねたほうがいい」と思うのですが、ちょっとわからない。自信はありません。
ただ、大事なことは、小さな政府のアプローチが失敗したので、最終的に世界恐慌から抜け出せなくて、第二次世界大戦の突入でこの問題の解決はわけがわからないまま、軍需という需要が増えていって、何となく「解決したみたい」になった。
このため大戦後、「自由主義では経済混乱を起こすので駄目だ」というので、人間の知恵で各国は自国経済をコントロールしようという枠組にしたのです。それが戦後のIMFとGATTの体制です。この枠組を決める会議が米国のブレトンウッズで開かれた時、イギリスからはケインズ、アメリカからはホワイトが出てきて、結局、ホワイト案に決まるのですが、大国アメリカ側にケインズもずいぶん協力するんです。ケインズ的な経済学のバックボーンがこの戦後体制に入りました。
だからこそ、IMFは固定相場に戻し、為替相場の安定を恰好に義務付けた。戦前は変動相場だったためポンドが揺らいだ時に切り下げ競争をやって、貿易収支が赤字になるからと貿易を制限したりした結果、世界経済が混乱したという苦い経験から、戦後は、IMF体制の下で為替安定を図りながらGATTで自由貿易を促進するという体制を打ち出したわけです。
為替を安定させるというのは簡単じゃないです。財政出動によって有効需要を国が需要をつくる。国が需要をコントロールすることで成長を調整し、為替相場を調整する、という考えですね。
枝廣:
国が需要をつくり成長をコントロールしていたんですね。
平山:
極端なことを言うと、失業者を雇って穴を掘らせ、賃金を払う。別の失業者を雇って穴を埋めさせ、賃金を払う。見たところは何も変わっていないけど、掘った人と埋めた人は賃金をもらってパンを買いに行くから、有効需要が生まれることになります。教科書的に言うと、ルーズベルトのTVダム建設がこの政策を使ったものです。
実はこの政策を一番有効に使って最初に成功したのは、ヒトラーのアウトバーンの建設です。あれで失業者を解消して、ヒトラーの評価を上げることになった。だから、ケインズの一般理論は、実はヒトラーの政権を後押ししたと言われるんです。ところが、そう言われたくないから、ケインズ学者は誰も「ヒトラーが最初の成功者だ」なんて書かない。みんなルーズベルトと書く。でも2012年、「ヒトラーはケイジアンだった」という内容の新書が出ましたが、正しい指摘です。
つまり、第二次大戦後は大きな政府のほうに移行した。これは、人間の長い歴史の中でも最も良い時期でした。なぜかと言うと、戦争中に武器などで行われたいろいろな技術開発が、戦後解放されさまざまな製品開発に応用されたからです。自動車やテレビなど家電製品、飛行機など新しいものが出てきて、それが民間の有効需要となって戦後の復興経済をリードしたからです。
そうなると、企業の売上や利益が増え、それによって税収が増える。税収が増えると、官の有効需要創出が容易になるから、官民一体となって景気を押し上げる。高度成長というのはこうして出来上がったわけです。日本もこの戦後体制でうまく復興しました。私は戦後、こうした時代に生まれ育った。貧しかったけど、日々成長を実感出来た一番幸せな時に育ちました。
枝廣:
そのあと、オイルショックがありますよね。
平山:
そうです。オイルショックが発生して、この枠組みがうまく回らなくなりました。どういうことかというと、いったん膨らませた有効需要としての財政支出は、民間需要が増えて景気が良くなった時は税収が増え、財政を増やす必要はないので増収分は貯めておけばいいのですが、財政の単年度主義〈その年度の税収は原則その年度で使う)というルールがあるので使ってしまいます。
逆に景気が悪くなると、税収が減る。でも、同じように膨らんだ財政規模を維持する、むしろ景気対策で増やそうとする、そのために借金をする。結局、これを長くやっているうちに、だんだん国の借金が増える、石油の価格幅のアップ分だけ国内から有効需要が産油国に流出してしまうということになり、成長力が次第になくなっていき、「国家財政の赤字と成長力鈍化」という問題を各国が抱えることになったのです。
そこにさらに第2次オイルショックが来て、一層の石油の価格上昇分だけ有効需要が産油国等に持って行かれ、その分国内で回る金がなくなリ、さらに成長が鈍化する。それまで8%ぐらいの成長率で来た日本経済は、平均4%ぐらいにドンと下がったわけです。
この時に、考え方としては、「大きな外部要因で経済が伸びなくなって有効需要がその分、創出しにくくなったから、4%の成長でも大きな政府でバランスをとりながら国家運営をしていく」と考えることも出来るのですが、そう考えなかった。そこが資本主義論なんです。
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